第3話:冷徹な檻、届かぬ指先
【大和視点】
六花の右耳で揺れる紅いルビー。
俺の左耳にあるものと完全に一対の、世界に二つとない宝物だった。
「六花……本当に、六花なん……!?」
「うん。やっと、気づいてくれた……」
そう言って微笑んだ六花の目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
周りの喧騒も、色褪せた世界の風景も、すべてが消え去ったかのような奇跡の瞬間だった。
10年だ。俺たちが引き裂かれてから、実に10年の歳月が流れていた。
俺が一歩踏み出し、ようやく会えた幼馴染の身体に手を伸ばそうとした、その時。
中庭に冷徹な靴音が響き渡り、六花の後ろから低く、威圧的な声がかけられた。
「……六花お嬢様。お迎えに上がりました」
### 【六花視点】
「――ッ」聞き慣れた老執事の声が背後から届いた瞬間、私はビクッと身体を強張らせ、激しく震えた。
東雲の家に籍を入れられ、伯父に支配されている冷酷な現実が、一瞬で私を引き戻す。
現れた老執事と黒服の男たちは、大和くんやその先輩たちに対して、一言も言葉をかけなかった。
文句を言うことすらしない。
彼らにとって大和くんたちは、話しかける価値すらない『ただの虫』と同じなのだ。
男たちの、ゴミを見るような冷ややかな視線が突き刺さる。
「おい、やっぱり氷の姫が何かの勘違いで声をかけただけだったんだな」
「ただの偶然だろ。あんな泥まみれの作業服着て這いずり回ってる連中なんて、高嶺の花に近づいていい存在じゃないんだよ。身の程知らずに勘違いしちゃって、本当に恥ずかしい奴ら」
残っていた男子生徒たちが、私のことは一切悪く言わず、泥にまみれて働く職人たちの仕事そのものを嘲笑し、蔑みの声を浴びせてくる。
私は背後の黒服たちに促されるまま、ただ無言で車へと連行されていくしかなかった。
### 【大和視点】
「……っ、六花!」遠ざかっていく六花に向かって、さらに近づこうとした俺の肩を、先輩の強い手がガシッと掴んで引き止めた。
「大和……とりあえずもう帰るぞ」
見ると、先輩たちの顔は静かな憤りで青ざめ、拳を血がにじむほど強く握りしめていた。
ここで生徒に反感を買えば、この紫苑学園での大きな仕事を失い、自分たちを家族のように大切に育ててくれた親方の会社の看板を傷つけることになってしまう。それが分かっているからこそ、先輩たちは言葉を一切発さず、職人としてのプライドと怒りを胸の奥に無理やり押し込めて、俺に撤退を促したのだ。
「……すんまっせん」
俺は絞り出すように呟き、伸ばしかけた手をゆっくりとポケットにねじ込んだ。
中庭から去っていく黒塗りの高級車。
俺たちの格差をこれでもかと見せつける、圧倒的な権力の暴力。
胸の奥で、今まで経験したことのないほど激しい怒りの炎が、パチパチと音を立てて燃え上がり始めていた。
### 【六花視点】
中庭を後にした黒塗りの最高級車の後部座席で、私は背筋を伸ばし、一言も発さずに窓の外を眺めていた。沈黙を破ったのは、助手席から振り返った老執事の、低く冷ややかな声だった。
「六花お嬢様。先ほどのような下賤の者に近づくのはおやめください。東雲の家の品位を落します」「……ええ。分かっています」
私は感情を一切削ぎ落とした、いつもの『氷の姫』の声で冷たく返した。
「あのグレーの髪の青年は誰ですか? 何か無礼を働かれたのでは。もしそうであれば、旦那様に報告し、相応の処分を下しますが」
執事の目が、バックミラー越しに私の動揺を探るように光る。
大和くんに危害が及ぶ。その危機感が、私の頭を冷徹に回転させた。
この10年間、伯父の冷酷な檻の中で生きるため、私は本心を隠す術を身につけていた。
「ただの、見間違いです」私はふっと、いかにも不快そうに美しい眉をひそめてみせた。
「昔、北九州にいた頃、私に無礼をはたらいた出来損ないの顔に酷似していたものですから、つい確認したくなっただけです。人違いでしたし、泥塗れの身で気安く私の名を呼ぶなど不愉快極まりない。相応の処分をしたいのは山々ですが、そんな底辺の者に構って東雲の名に傷がつく方が愚かしいわ。……もう、その話はおやめなさい」
冷徹で、傲慢な令嬢としての完璧な立ち居振る舞い。
バックミラー越しの執事と黒服は、その言葉に一切の不審を抱かず、深く納得したように頭を下げた。「左様でございますか。お嬢様のお心を煩わせ、失礼いたしました」
「……ええ」
私は再び窓外に目を向け、小さく息を吐いた。大和くんを守れた安堵と、彼を『出来損ない』と侮辱しなければならなかった胸の痛みが、冷え切った心に深く突き刺さっていた。
(第3話・了)




