ガラス窓、氷の初恋
【大和視点】
チャイムが鳴り、中庭の足場に登って作業を再開したものの、俺の頭はさっきの出来事で一杯だった。
(あの綺麗なお嬢様、なんで俺の名前を知ってたんや。それに……『うち、北九州で』って……)
北九州。なんで俺の出身が北九ち...。
「おい大和! 手が止っとるぞ!」
「あ、すんまっせん! すぐやります!」
先輩に怒鳴られ、慌ててハンマーを握り直す。ふと見上げた校舎の3階、ガラス窓の向こう。
大勢の生徒たちが席に着く教室の中に、さっきの真っ白な髪の女の子が座っているのが見えた。
【六花視点】
背筋を伸ばし、完璧な立ち居振る舞いでノートを取りながら、私の目は窓の外の大和くんを追っていた。「ご覧になって、あちらのグレーの髪の職人方。重そうな資材を軽々と運んでいらして、とても力強くて素敵ですわ」
「ええ、泥にまみれていらっしゃるのに、何だか目を引きますわね」
周りの女子生徒たちが窓の外の大和くんを見ながら上品にひそひそと盛り上がる一方で、男子生徒たちは鼻で笑う。
「ハッ、若い癖に学校も行かねえで、あんな泥まみれの底辺作業かよ。住む世界が違うわ」
その声を耳にしながら、私の心は10年前、小学1年生のあの日に飛んでいた。白い髪と赤い目を、男の子たちに気味悪がられて泣いていた私。そこへ飛び込んできたのが、大和くんだった。
「お前らしょーもねー理由でなん女泣かしよんかっちゃ!」
ボロボロになりながら男の子たちを追い払ってくれた大和くんに、ズビズビと鼻をすすり泣きながら
「なし助けてくれたん?」
と尋ねると、その子は少しはにかんだ。
『俺もこの髪のせいで、先生に染めとるっち言われて怒られたりするけさ。お前の気持ち、分かるんっちゃ』
大和くんは私の頭を優しく撫でると、一輪の赤いバラとカスミソウが入った、小さな花束を私にくれた。彼が何故か持っていたその花束が、本当はお母さんの誕生日プレゼントのために、自分のお小遣いを叩いて一生懸命買った大切なものだったと知ったのは、ずっと後のこと。それが私の初恋だった。家が近くて毎日のように一緒に遊び、虫取りやゲームをした。
引っ込み思案だった私は、大和くんの前でだけは、明るい本当の自分になれたのだ。
【大和視点】
放課後、今日の分の仕事がすべて終わった。俺は中庭の片隅で、先輩たちと缶コーヒーやジュースを飲みながら、明日の作業内容の確認や他愛のない雑談をしていた。
「お疲れさん。明日は3階の廊下の養生からな」
「了解っす。あ、それと――」
俺が返事をしようとしたその時、先輩たちの視線が一箇所に釘付けになった。
「……おい大和。なんか...とんでもなく綺麗なお嬢さんがこっち歩いてくるぞ」
「えっ?」
慌てて振り返ると、生徒たちがほとんど下校して静まり返った中庭を、あの真っ白な髪の美少女が真っ直ぐこちらに向かって歩いてきていた。
俺は持っていた缶コーヒーを落としそうになるほど驚き、その場に固まった。
【六花視点】
あの冷たいチャイムに引き離されてから放課後を迎えるまで、私はずっと大和くんのことだけを考えていた。
教室の窓から見下ろす中庭には、黙々と働く彼の姿があった。見間違いなはずがない。あれは絶対に、大和くんだ。
そう確信した瞬間から、授業中も、休み時間も、私の頭からは彼の姿が一瞬たりとも離れなくなった。
そしてようやく訪れた放課後。溢れそうになる感情を必死に押し殺しながら、私は中庭の片隅に佇む彼だけを見つめて歩いた。
周りの生徒たちの声も、すれ違う景色も、今の私の世界からは完全に消え去っていた。
「おい、嘘だろ……あの『氷の姫』が、なんで底辺の作業員なんかに近づいていくんだ?」
まだ残っていた僅かな生徒たちが、信じられないものを見たように周囲でざわつき、どよめきが広がっていく。
けれど、そんな雑音は今の私の耳には一切届かなかった。大和くんの目の前まで進み出ると、彼の隣にいる作業員の先輩たちが
「おいおい大和、お前こんな上等なお嬢様といつの間に知り合ったんだよ!」
と、面白がりながら冗談っぽく大和くんを煽っている。
【大和視点】
俺は本当に困惑していた、同時に目の前に立った彼女、まるで氷の結晶の中に咲いた、白椿の妖精みたいな彼女に目を奪われていた。
動揺を隠せないまま、なんとか声を絞り出した。
「あの…あんた、本当に……誰なんっすか」
【六花視点】
私を他人として見つめる彼の、強い困惑。そこに、言葉にできない寂しさが波のように押し寄せる。
(...やだ...)
10年という途方もない時間は、私たちの記憶すら消し去ってしまったのだろうか。
(...やだよ...やだ)
泣きそうになる感情を笑顔の仮面で取り繕い、私はどうか思い出して欲しいと、右耳にかかる髪をかき分けた。夕暮れの光を浴びて、私の肌の上で、鮮烈な輝きを放つルビー。
彼が、息を呑むのが分かった。「うちだよ、大和くん。……六花だよ」
【大和視点】
「六花、っち……お前、小鳥遊六花……?」
夕暮れの光の中で、彼女の右耳のルビーが、俺の左耳のピアスを呼ぶようにパチパチときらめいた。その瞬間、脳裏にあの日が鮮烈にフラッシュバックした。
十年前の、あいつがいなくなる最後の日。泣きながら俺の手のひらに必死で握らせてくれた、お気に入りのお母さんのピアス。
当時はなぜこんな大切なものを俺にくれるのか、あの時の俺には全く分からなかった。
六花が居なくなってようやく分かった。
あいつ、あのとき、さよならが言えなかったから、代わりにこれを俺にくれたんだ。
でも彼女がなぜこの学園に?何一つ頭の処理は追いつかない。だけど、目の前のお嬢様が六花本人だという圧倒的な事実に俺の心臓はうるさいほどに跳ね上がっていた。
【六花視点】
まだ半信疑で、夢でも見ているかのように呆然としている大和くん。私は何も言わず、右の耳元にかかる長い白髪を、ゆっくりと手で払いのけた。
夕暮れの光を浴びて、私の白い肌の上で、鮮烈な輝きを放つルビー。それは大和くんの左耳にあるものと、一対になる『紅いピアス』だった。
(第2話・了)




