鍵②
鍵穴に青銅色の鍵を差し込み、右か左かどちらかに回そうと試すがまるで動かない。力をいれて回そうとするわたしにH304は、少し持ち上げるようにして鍵を回すのだと教えてくれた。そうするとカチリと音がして鍵が回った。わたしは重い分厚い木製の扉をこじ開けるように押し開けた。薄暗い地下のその一室をH304が蝋燭で照らすと、部屋は棚だらけで棚は全て書物で埋め尽くされていた。これはきっと禁制の書物だ。訓練で、形状については学んだことがある。この形はきっと、そう。書物は星の治安を乱すとして重大禁制物の一つで、すべて燃やされたはずだった。驚いて立ち尽くすわたしに、気に入ったものを選んでこっそり持って帰ってもいいとH304は言った。もちろん、誰にも見つからないようにね、と。
「気に入ったもの?」とわたしは思う。これだけ膨大な書物の何をどう気に入ればいいのか。そもそも書物とは何を意味しているのか。わたしは、書物というのはただ字が書かれた紙の集まりだと思っていた。一部の特別な訓練で、紙でできた簡単なテキストやマニュアルは使ったことはある。書物については「治安を乱すものである」ことだけは教えられた。でも書物のもつどういった性質が治安を乱すのかは知らないままだった。興味も抱くことなく、そのままただ事実として受け止めていた。戸惑うわたしに彼は言った。書物にはいくつかのタイプがある。事実を書いたもの、事実でないものを書いたもの。そしてそのどちらもを混ぜたもの。
わたしは混乱した。事実を書いたものはわかる。でも事実でないものとは、それは書かれたとしてどんな意味を持つのだろうか、と。その疑問にH304はこう答えた。
「事実ではないことが人を救うことがあるんだ。事実が辛すぎるとき、苦しすぎるとき、事実から目を背けたいとき、架空の物語を読むことで物語に没頭できるし疑似体験を味わう。それがけして自分が手に入れることができない未来の物語でも、遠い過去の物語でも、事実でなくても関係ないんだ。ただ、物語がこれからどうなるのかに引きつけられ、物語の登場人物を好きになったり憎んだりする。そうやって現実と違う世界を味わい、その世界を夢見ることで、心が保てるんだ」
わからない。それが本当に心を保つのだろうか。事実ではない話に意味があるのだろうか。その時わたしはそう思った。それに、紙の上の、現実にいない人を好きになったり、憎んだりするのは馬鹿げている。好きというのも、言葉としては知ってるけどよくわからないつかめない感覚。でも、その言葉を聞くと不思議と心が躍る気がするのは何故だろう。それにしても、書物に登場する人間をどうやって好きになるのかと訝しく思いつつ、指し示された書物を手に取った。




