#12 「『4月0日』まで戻りたい」
「だから、地元から遠いこの星皇学院を選んだんだね? いじめられていた過去を知る人が絶対に居ない所なら、今度こそ新しいスタートを切れると思って……」
「でも……でも、まだ私、怖いんです。不安なんです。初めての一人暮らしだから、分からないことや戸惑うことが多くて、こんな風に暗い性格だからお喋りも苦手で、友達も作れなくて、もしかしたらまた、中学の頃のような三年間になってしまうんじゃないかって……」
「それは……」
考え過ぎだよ、と喉まで出かかって、その言葉をぐっと押し込んだ。
ここで否定を口にしてはいけない。
「自己紹介の時、染井君たちクラスメイトのみんなを見渡して思ったんです。ここには私なんかよりもずっと頭が良くて、性格も良くて、部活動や会話が上手で、綺麗な人だって何人も居た。田舎から来た、勉強くらいしか取り柄が無い私は、ここじゃ最底辺の劣等生なんじゃないかって……そう考えたら……」
三年間の辛い体験がトラウマになって、体が解放されて尚、心は未だ地獄の中学時代に囚われてしまっている。
「……もしかして、それなのかな?」
「えっ?」
彼女が濡れた顔を上げた。
「いや、今ふと思ったんだ。吉野さんのそのトラウマが、もしかしたらこのループの原因なんじゃないかってさ。『いじめられてた中学生活に戻りたくない』『いじめられるかも知れない高校生活も始まって欲しくない』──だから、中学生活が終わって高校生活が始まる前の、入学式が始まろうとする時点、過去と未来の狭間を繰り返してるのかも、っていうのが僕の考えなんだけど……どう?」
「どう、と言われても……」
吉野さんが意図してこのループを仕組んでいる訳ではないのだから、返答に困るのは当然だ。
「何にせよ、このままじゃまずいよ。ループ云々は別にしても、ネガティヴに囚われたままじゃ本当にまた辛い生活になる。思い込みは現実になる、ってうちの爺ちゃんも言ってた。暗いこと、辛いことばかり考えていると、本当にそうしたことばかりの人生になる。良くも悪くも、世の中は自分が思った通りにしかならない」
思い込みは現実に作用する、人生規模のプラシーボ効果。
だとしても、ループなどという超常現象は流石に度を超えている。
「分かってます、頭では分かっているんです……! このままじゃいけない、前に進まなくちゃいけないって。でも、このループに安心している自分も居るんです。このまま時が進まなければ何も始まらない。過去も未来も無い0がいい。3月31日と4月1日の狭間──『4月0日』まで戻りたい、永遠の円環に留まっていたいって言う自分が……」
理性と感情の板挟みになって葛藤する彼女を見て、彼女がこのループの発端だという僕の仮説は間違っていないと確信できた。
彼女が過去のトラウマを乗り越え、一歩を踏み出す勇気を持たない限り、このループは何百回でも続き、4月2日以降には到達できない。
「だったら──だったら僕が助けるよ、吉野さんのこと……! 踏み出せないのなら背中を押すよ。もしまたいじめに遭うようなら、味方になる。頼りないかも知れないけど……」
などと勢いに任せて言ってはみたものの、僕にはいじめられた過去も、いじめた過去も無く、いじめっ子に立ち向かった経験も無い。
全く違う環境で生きてきた人間の言葉など信用に欠けるだろうし、僕自身も自分の中の弱気を自覚している。
「……その言葉、本当ですか? いくら今日がエイプリル・フールでも、吐いてはいけない嘘、赦されない嘘はあるんですよ……?」
4月1日だろうがそれ以外の日だろうが、誰も傷付けず迷惑にならない軽微なものや、愉快な気分にさせるもの、誰かの救いになるようなもの以外、嘘は吐くべきではない。
「染井君は悪い人ではなさそうですけど……本当はこの場だけ上手く取り繕って、私を勇気付けて、期待を持たせて、取り敢えずループさえ終わらせられれば後はどうでもいいと、そう考えているのでは? 上辺だけの善意や励ましなら飽きるほど聞いてきました。それこそループのように」
長く他人の悪意に晒され続けてきた吉野さんは、善意を容易に信じず、その裏に隠された真意を見抜こうと、涙を拭った後の真っ赤な眼に疑念の色を滲ませている。
これは正当な自衛であって、決して性格が捻じ曲がっている訳ではない。
「……それは、まあ……完全には否定できない。何とかループを終わらせようと焦っている。でも吉野さんの力になりたいっていうのも本当だよ。あんな過去話を聞いて、助けになりたい、何とかしてあげたい、と少しも思わないなんて言う奴が居たら、年中エイプリル・フールの大嘘吐きか、真冬のような冷血漢のどちらかだ」
そのどちらも僕は御免だ。
「それにさっきも言ったけど、仲が良かった友達が違う学校に行っちゃって、一年A組にも知り合いと呼べるような相手が居なくて……だから、その……一人くらいクラスで、気心知れた相手が出来たら安心できるなっていう……ちょっとした打算もある」
「えっ……」
「あ、いや……」
自分でも何を言っているんだと、顔が熱を帯びてきた。
思い返してみれば、登校途中で会うあの三人──雄人、大吾、敦はいずれも近所に住む幼馴染で、幼稚園の頃から一緒だった。
環境の一致から出来上がった成り行きの友人であって、僕がゼロから能動的に作った友人と呼べるような相手はゼロだった。
「私は……まだ染井君を信じ切れていません」
「そうだね。何せ……今日出会ったばかり、なんだから」
今日という日を五回も経験しても、まともに会話したのはこの時が初めてで、僕の方も吉野さんのことをよく知らない。
「でも……そうですね。私の都合でこれ以上、染井君に迷惑を掛けるのは申し訳ありませんし、私もループに飽きを感じてきました。何より……あなたの言う通り、このままじゃいけない。勇気を出す時が来たのかも知れません」
ようやく彼女の口から前向きな言葉が出てきた。
「──どうか終わらせて欲しい。この『エイプリル・ループ』を」
レンズの奥にある彼女の瞳には、馬鹿みたいに真剣な顔が映っていた。




