【9】
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それでは、本編をお楽しみください!
その日、ギルドの重い扉を押し開けて入ってきた彼の姿は、いつにも増して凄惨だった。
足を深く抉られているのか、足取りはひどくふらついている。腹部や肩からも血が滲み、全身が赤黒く染まっていた。
周囲の冒険者たちが「また最弱様が死に損なってきたぞ」と嘲笑の声を上げる中、彼はそんな声など一切聞こえていないかのように、壁際の薄暗い席――彼女がいつも身を縮めているテーブルのすぐ傍へと、倒れ込むように座り込んだ。
ポタポタと、床に濃い血が滴り落ちていく。
すぐ隣で響く、彼の浅く荒い呼吸音。
(……どうしよう。このままじゃ、死んじゃう……)
彼女の心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。
普段なら、生々しい血の匂いと死の気配に当てられただけで、彼女は極度の恐怖で身体がすくんでしまう。
けれど。
『ここはダンジョンじゃない。戦場じゃない』
彼女は自分に強く言い聞かせた。
周囲にあるのは魔物の咆哮ではなく、酒飲みたちの野次馬根性丸出しの声。迫り来る殺意もない、安全なギルドの中だ。
戦いの最中でなければ、恐怖で頭が真っ白になることはない。呪文だって紡げる。
彼女は震える膝にギュッと力を入れ、立ち上がった。
そして、恐る恐る彼の傍へと近づき、その無残に裂けた傷口へ向けて両手をかざした。
「……『治癒』」
震える声で紡がれた詠唱と共に、彼女の手のひらから淡く温かい光が溢れ出す。
光は彼の傷を包み込み、肉を浅く繋ぎ合わせ、危険な出血をゆっくりと止めていった。完全に塞ぎ切ることはできないまでも、最悪の事態は脱したはずだ。
しかし――。
光が収まり、彼女がそっと手を離しても、彼はピクリとも動かなかった。
ただ、チラッと無機質な瞳で彼女の方へ視線を向けただけ。
驚くわけでも、安堵するわけでもない。ただ「そこに石ころが転がっているのを見た」ような、ひどく静かで冷たい目だった。
(あっ……もしかして、私、余計なことを……!?)
治癒魔法をかけられて不快だったのだろうか。何か、彼なりの理由があって傷を放置していたのに、勝手な真似をして怒らせてしまったのかもしれない。
急に不安と後悔が押し寄せ、彼女が身をすくませて後ずさりしようとした、その時だった。
「……サンキュ」
ひどく掠れた声で、ぽつりと短くお礼が紡がれた。
「え……あ、いえ……」
戸惑って瞬きをする彼女から視線を外し、彼は血の止まった自分の傷口を、まるで他人の身体であるかのように不思議そうに見下ろした。
「……俺にヒールかけるなんて、変わってるな」
自嘲気味に呟く彼の声には、僅かな疑問が混じっていた。
無理もない。彼はギルド中から万年ソロの『最弱』と見下され、バカにされている男だ。そんな価値のない男に、自身の貴重な魔力を割いてまで治療を施す物好きなど、普通ならいるはずがない。
「そ、そんなことないです……っ。あの、血が、すごく出てたから……」
彼女が消え入りそうな声で答えると、彼はふっと短く息を吐いた。
「あんた、いつもあそこに座ってる魔法使いだな。誰ともパーティー組まないのか?」
痛いところを突かれ、彼女の肩がビクッと跳ねる。
また「役立たず」と蔑まれる覚悟をして、彼女はギュッと杖を抱きしめ、俯きながら正直に告白した。
「……い、入れないんです。私……ダンジョンに入ると、魔物が怖くて、足がすくんで……簡単な呪文すら、全部忘れちゃうから……。いつも、足手まといになって……」
言い終わる頃には、声が震えていた。
呆れられる。鼻で笑われる。そう思って目をギュッと瞑った彼女の耳に届いたのは、冷ややかな嘲笑ではなかった。
「……そうか」
彼はただ、事実としてそれを受け止めただけのような、淡々とした声を出した。
「なら、似たようなもんかもな」
「……え?」
「俺も、生きるのが下手くそな『最弱』だ。……まあ、ここは安全だ。好きに休んでろ」
彼はそれ以上踏み込むことはせず、静かに目を閉じて壁に背中を預けた。
ほんの少しの会話。
けれど、それはずっと誰からも拒絶され、孤独に震え続けてきた彼女にとって、ギルドの中で初めて触れた、確かな『人間との繋がり』だった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
最近戦闘シーンを書いていなかったので、ただただ「泥臭い死闘」と「痛みを伴う戦闘」が書きたくて始めました。
高尚なテーマやメッセージ性はありません。死にたがりの男と、後ろから勝手についてきて全回復させてしまう少女。このバグった二人が限界の死線でどんな最適解を弾き出すのか、作者自身もシミュレーションを回すような感覚で書いています。
チートのない血みどろの戦闘がお好きな方は、この先もお付き合いいただけますと幸いです。




