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7話 右頬に残熱 それでも次の現場へ

夕暮れ時の河川敷―――。



どこか寂しげなオレンジ色に染まる土手の芝生に寝転んで、俺は流れる雲を眺めながら、所在なく物思いにふけっていた。



そっと、右頬に指先を触れる。



別れの間際、あの手に負えないギャル──オオサワミユが、さらさらと消えゆく光の粒子のなかで、俺の頬にそっと残していった、最高の『いいね』の温もりが、秋の冷たい風の中で何度もリフレインしていた。


別に俺があの十九歳のギャルに惚れたとか、そんな甘酸っぱい話じゃない。ただ、あいつの生き様に、ガラにもなく感情移入させられてしまったのだ。


どこまでもひたむきで、一生懸命に頑張ることしかできなかった女の子を、俺はどうしても、放っておくことなんて出来なかった。


ミユは、マニュアル通りに参列者との『在りし日の記憶』を再生させて、「はい、お疲れ様」で片付けられるような簡単な話ではなかったのだ。


あそこにいた参列者の誰一人として、ミユの本当の素顔を見抜くことも、彼女を成仏させることもできなかったのだと今でも俺は確信している。だからこそ、俺が踏み込むしかなかった。



あいつが成仏する直前、鼻をすすりながら冗談めかして口にした、あの言葉が、どうにも頭から離れない。


『成仏できないなら、このままおじさんと一緒にずっといるのもいいかなーなんておもってるんだけど?』


もし──、あいつのあの言葉を真に受けて、成仏させるのをやめていたら、どうなっていたのだろうか。


名前も、生前の記憶も、すべてを失い、ただ世界の片隅で静かに消滅を待つだけだった俺の、この果てしない『孤独の領域』に、ミユが隣に居座っていたら?


終わりのない虚無の時間を、二人でバカ話をしながらずっと一緒に生きていく世界線があったのだとしたら?



俺のこの凍りついた孤独は、ほんの少しだけでも、救われていたのではないだろうか―――。



この世界で、俺が言葉を交わすことができるのは、この世に未練を残して成仏できない哀れな死者だけだ。そんな死者と心が通じ合い、魂の奥底で『意思疎通』ができたと、そう思えた次の瞬間―――、その温もりの余韻に浸る間もなく、相手は光となって消え去り、俺はまた元の、絶対的な孤独の底へと一人きりで放り出される。


通じ合えた確信が深ければ深いほど、あとに残された静寂の寒さが、身を切るようにこの胸を苛む。



このあまりにも切なすぎる喪失のサイクルを、これからも延々と、次の仕事をこなすたびに何度も何度も繰り返していかなければならないのだとしたら―――ぶっちゃけ、俺の身が持たない。


それが、案内人としての正直な、そして最高に格好の悪い、白々しい言い訳だった。




「……ったく。次からは絶対にマニュアル通りに、淡々と冷徹に仕事をこなしてやるからな」




自分に言い聞かせるように呟くと、俺はガシガシと頭を掻きむしって、土手の芝生を睨みつけた。そうでもしなければ、胸の奥底に灯ってしまった、かつて自分が捨て去ったはずの『誰かを愛おしいと思う』の渇きを、振り払えそうになかったからだ。



そんな俺の葛藤を無視するかのように、ポケットの中の端末から着信音が鳴った。溜息を一つつきながら、端末を取り出して通知内容を確認し、本日指定された次の現場へと、気持ちを新たに重い足を進めることにした。



──さて、今日もどんな人生を見せられることやら。。。




端末に表示された地図に従い、住宅街の薄暗い路地を歩く。たどり着いたのは、築年数の古さが隠しきれない、ありふれた二階建ての木造アパートだった。


一階の一室、煤(すす)けたドアの前に立つ。


(チャイムなんて鳴らしても、どうせ反応しないだろうしな……)


生前の死者が、このドアの向こうでどれほど世間から耳を塞ぎ、自分の殻に閉じこもっていたか。手元の端末に表示された生前のデータが、その孤独を冷徹に物語っていた。


俺は軽く息を吐き、コンクリートのように冷たい鉄扉を拳で叩く。


コンコンコン―――。


「探したよ。さぁ、行こうか」


だが、いつまで経っても返事はない。静まり返ったアパート、遠くの道路を走る車の音だけが虚しく響く。


「おーい。自分がもう死んでることくらい、本当はわかっているんだろ。開けてくれよ」


しばらくの沈黙の後、ガチャリと重い金属音がして、ゆっくりとドアが数センチだけ開いた。ドアチェーンがかけられた狭い隙間から、突然の来訪者の正体を怯えと警戒の混ざった目で見つめながら、ひどく線の細い、消え入りそうな声が漏れ出てくる。


「あ、あの……どちら様でしょうか……? なんで僕が、死んだことを知っているんですか?」


「あー……その、君を迎えに来たんだ。俺は君が成仏するためにやってきた案内に―――」


バタンッ!


俺が「案内人」と言い切るより早く、力任せにドアが閉められた。激しい音とともに、内側から鍵をガチャガチャと回す音、そしてドアチェーンをこれでもかと激しくかける拒絶の音が響いてくる。


「あ、あなた! 死神か何かなんでしょ!? 僕を消しにきたんだな!?」


死神―――。


まぁ、やっている仕事の性質からして、あながち間違っちゃあいない。未練を清算してこの世から成仏させる=存在を消すということは、彼らの視点から見れば同義とも言えるからだ。


このまま幽霊の特性を使ってドアをすり抜けて中に入ってもいいが、それをやると部屋の中でパニックを起こされて話がややこしくなる。


俺は結局、穏便に話し合いをするための妥協を選んでしまう。


「死神じゃないぞー。俺は君が成仏するのを手助けする案内人だ。言うなれば、ゲームの最初に出てくる『お助けキャラ』みたいなもんだよ。死んだばかりで、何が起きてるか分からなくて不安なのは無理もない。だから、まずは俺の話を聞いて欲しい」


「…………」


ドアの向こうの気配が、じっと息を潜めてこちらの様子を窺っている。


「安心しろ。俺はマンガに出てくる死神みたいに、お前を無理やり鎌で切り裂いて消すような大層な能力なんて持ってないんだよ」


(……まぁ、ダイブというシステムでは成仏しなかった2人の死者をこの世界から綺麗に消し去っているわけだが……)


「本当に……!? 地獄に連れて行ったり、生贄(いけにえ)にしたりしないんですか!?」


怯えのベクトルがどこか子供じみていて、思わずため息が出そうになる。


「生贄って既に死んでるでしょ?地獄の使者が、こんな冴えないスーツ着て、間抜けた声で会いにくるかね?」


その言葉にようやく毒気を抜かれたのか、しばしの逡巡の後、ドアチェーンを外す金属音と、鍵が開く音がカチャリと響いた。ゆっくりと開いたドアの隙間から、ぼさぼさの髪に、酷く顔色の悪い20代の青年が、おずおずと顔を覗かせた。その腕には、まるで命の綱であるかのように、一冊の使い古されたノートがぎゅっと抱きしめられている。


「ど、どうぞ……」


「おう。少し上がらせてもらうぞ」


「お邪魔します」と口にするのすら躊躇われるほど、ドアの向こうは静まり返った独り暮らしのワンルームだった。生活感の薄い廊下兼キッチンを抜けて、奥にある一つしかない居住スペースへと進む。20代男性の部屋にしては、妙にすっきりと片付いており、ゴミ一つ落ちていない。


「随分キレイなんだな……というか、テレビすら無いのか」


部屋を見渡して、俺は思わず眉をひそめた。

そこには、最低限の寝具であるベッドと、小さなローテーブル。そして、わずかな書類や本が収まったキャビネットと、衣服が入っているのだろう衣装ケースがいくつかあるだけだった。余計な家具や、エンタメの欠片が一切見当たらない。


「あ、あの……」


「あぁ、お構いなく。座らせてもらうぞ。……客なんて、生前は一度も来たことないんだろ?」


「はい……」


ソウタは気まずそうに視線を落とし、ベッドの端に小さく腰掛けた。


俺はローテーブルの前に胡座(あぐら)をかき、懐から手元の端末を取り出して操作し、彼の資料を画面に呼び出す。


「えーと、ナンバソウタ。26歳、男。……死因は、極度の栄養失調の末に迷走神経反射を起こし、一時的な失神によって、夜道の側溝に頭を突っ込んで水深15センチの雨水で溺死……か。二十代半ばでこれは……なんというか、お気の毒だな」


「え……!? 僕、水深15センチで溺死したんですか!? それに、めいそうしんけいはんしゃって、一体なんなんですか?」


自分のあまりにマヌケで不条理な死に様を初めて突きつけられ、ソウタの目が驚愕に見開かれた。


「人間、呼吸ができなければ水深数センチだろうと簡単に溺死するよ。迷走神経反射っていうのはな、世間一般で『貧血』と混同されてるやつの正式名称だ。お前、死ぬ以前から、ずっとまともに飯を食っていなかっただろ? 極度の低血糖状態で夜道を歩くから、血圧が急降下して、そのままドブにバタンだ」


「そうなんですね……」


ソウタは呆然と自分の半透明の手の平を見つめ、自分が本当に死んでしまった事実を、じわじわと受け入れ始めているようだった。


「あの……僕は地縛霊か何かになったのでしょうか? この部屋から一歩でも出ると、僕は消えてしまうんですか?」


「いや、消えないぞ。これから俺と一緒に、お前の葬儀が行われている葬儀場へと向かうんだ。そこで、参列者の一覧から一人を選んでもらい、その意識にダイブする。お前と心を通わせた『在りし日の記憶』や、遺された参列者のリアルな感覚に触れることで、君の魂は未練から解放されて、満たされて成仏していく。……これが一連の流れだ」


「葬儀場に行くんですか!?」


ソウタは露骨に嫌そうな顔をして、腕の中のノートをさらに強く抱きしめた。


「あの……拒否権は、ないんですか?」


「すまんが、こっちも仕事なんだよ。理由もなく拒否されると、上の人間からマイナス評価を食らっちまうんだ。最終的にあの世へ行くか、この世に留まるかはお前の自由だ。だが、その判断をするために、ルールとしてダイブだけは最低限行ってもらいたい」


「……わかりました」


渋々と、しかし諦めたようにソウタは小さく頷いた。


死を受け入れてはいるが、成仏することに対して、何やら強い拒絶と恐怖を抱いているパターン。それは、案内人としての短いキャリアのなかではあるが、初めて対峙するタイプの死者だった。



『次からはビジネスライクに、淡々とスマートに済ませる』



そう土手で心に誓った俺の意思に反して、またしても一筋縄ではいかない、厄介そうな死者を引いてしまったことに、胸の奥で強烈な嫌な予感が渦巻くのを感じる。


だが、仕事は仕事だ。俺は重い腰を上げ、ソウタを促してアパートのドアを開けた。


「……まぁ、ここにいても始まらない。行くぞ」


簡素な家族葬が執り行われる地元の斎場までの道すがら、俺は隣をトボトボと歩く『ナンバソウタ』の、その内に秘められた未練と人となりの聞き取りを始めることにした。


俺の、案内人としてのスマートな仕事が、これから始まる――――。


第3章 7話 読んでいただきましてありがとうございます。


ここまで、3人の死者の死因が明らかになっておりますが、どれも一風変わった死因なのは、あえて現実的に起こり得ない死因をチョイスしております。実際の事故死とかを想起させるようなのを、入れると炎上しかねるかなとか……そんなことで対策のつもりです。


好評価、ブックマーク登録を引き続きお待ちしております。

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