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6話 名前を忘れた案内人と、迷子のギャル

俺とミユは冷酷な現実に立ち尽くし、二人の間に重苦しい空気が漂う。葬儀場には読経だけが響いていた。


「……案内人のおじさん、どうするの? ウチ、どうやら成仏できそうにないんだけど。ビルを建てるなんて夢も、叶うことはなさそうだし」


供花の香りと線香の煙が冷たく立ち込める葬儀場の片隅で、ミユは力なく笑った。ハイブランドの『鎧』をまとったその肩は、震えている。


「成仏できないなら、このままおじさんと一緒にずっといるのもいいかなーなんて思ってるんだけど?」


鼻をすすって、冗談めかして言ったその瞳の奥には、世界にたった一人取り残された子供のような、怯えと諦めと助けを求める本音が透けて見えた。


俺はポケットからゆっくりと手を引き抜き、手元の端末のバックライトを消してジャケットへと仕舞い込んだ。そして、今にも凍りつきそうなほど冷え切った彼女の肩を、強い力でガシッと掴んだ。


「それだけはやめろ! そんなことを考えるんじゃない」


「え……な、何でよ!?」


ミユは思わず、俺の剥き出しの真剣さに気圧されて怯む。


「死後に成仏を諦め、未練を抱えたまま現世に留まり続けるとな……。まず、自分が誰であったのかという『名前』を忘れる。それから生前の記憶が、指の隙間からこぼれ落ちる砂みたいに、一つ、また一つとゆっくり、確実に忘れていくんだ。そうして、己を構成するすべてを失ったまま、ただ虚無の中で消滅を待つだけの存在になるんだよ」


感情を排した俺の言葉に、ミユは「は、はぁ!? 何それ……」と、息を呑んで硬直した。


その絶望を、誰よりも熟知しているのは他ならぬ俺自身だった。


なぜ俺は自分の葬式を拒否したのか。なぜ俺には名前がないのか。なぜこんな『案内人』という、他人の人生の答え合わせを見届けるしがない役職に甘んじているのか。


──その理由は、もう俺の中のどこを探しても残っていない。


名前を忘れ、過去を忘れ、ただ『消滅を待つだけの虚無』に耐えかねたからこそ、俺は自分の記憶の一部を『報酬』として受け取り、救済されるという、胡散臭い契約に飛びついたのだ。そこに幸せなど、1ミクロンも存在しないことを知っているからこそ、俺の指先には自然と力がこもっていた。


「やめとけ。そこには幸せなんか一ミリも存在しない。いいか、ミユ……」


俺は、彼女の透き通る瞳を真っ直ぐに見据えた。


「今のミユは、もう強がらなくていいんだ。ここにはお前を騙す大人も、記号として搾取するクズも誰もいない。都会で生き抜くために、弱音を吐かないように虚勢を張る必要なんて、もうどこにもないんだよ!」


「そんなことわかってるし!!」


堰(せき)を切ったように、ミユの目から大粒の涙が溢れ出た。彼女は俺の胸元に、長く尖ったデコネイルの拳を何度も何度も叩きつけた。彼女の感情が否応なしに伝わり、胸の奥が激しく揺さぶる。


「でも……でもさぁ! それを認めちゃったら、好きでもないおじさんをパパって呼んで、欲しくもなかったブランドのバッグや服に身を包むことこそが自分の喜びだって、そうやって自分を騙して、割り切って必死に頑張ってきたウチの人生って、一体何だったのよ!? ウチの人生、全部ただのゴミだったってことになるじゃない!!」


張り裂けんばかりの、19歳の魂の慟哭(どうこく)だった。歪んだ世界で、歪んだ尺度を正しいと信じ込まされ、それしか縋るもののなかった少女の、血を吐くような自己否定。


「違う!!」


俺は思わず、寂れた葬儀場に響き渡るほどの声で一喝していた。読経の声さえも、一瞬だけかき消されたような気がした。


「『ギャル』として、『港区女子』として生きてきたお前の時間は、人生のほんのわずかな一コマに過ぎない! お前が人生で一貫して貫いてきたものは、そんな仮面の種類なんかじゃない。どんな時でも、ひたむきに、がむしゃらに、不器用に、一生懸命に頑張ろうとし続けた、お前自身のその強い意思だ!!」


「えっ──」


ミユは自然と溢れ出した俺の言葉を受け止めきれずに混乱した様子だったが、俺は構わずに思いの丈をぶつけた。


「チアリーディングで汗と埃まみれになってマットに身体を叩きつけていた時も、毎晩電車に揺られながら松戸から港区に通い詰めて、必死に大人の世界を一人で生き抜こうともがいていた時も、お前はずっと、誰よりも真っ直ぐだった。世間に踊らされ、手段が歪んでいたとしても、その場所で必死に咲こうとしたお前のひたむきな輝きだけは、お前だけの『本物』だ。……オオサワミユ。お前は、めちゃくちゃ格好よく生きてたよ。俺が保証してやる」


「なんなのよ、急にマジになってお説教とか……マジ、意味不だし……」


ミユは涙を流しながら、子供のようにポロポロと泣きじゃくった。


彼女の本当の願い。それは、六本木に自社ビルを建てることでも、タイムラインのフォロワーを何万人に増やすことでもなかった。


不器用に、がむしゃらに、泥をすすりながら頑張る自分を、偏見無く、誰かに「よく頑張ったね」と、一つの『生身の人間』として認めてもらうことだったのだ。


その瞬間、彼女の足元から、今までにないほど眩い、温かく柔らかな桜色の光が溢れ出した。その変化にミユは自分がこの後どうなるのかがわかった。


「……あはは。死んでからいきなり出会った、名前も忘れたおじさんに、本当のウチを認められるとか、マジでウケる。……でも、嬉しいな」


光の粒子は彼女の脚をさらさらと透き通らせ、きらきらと夜の葬儀場の天井へと舞い上がっていく。その光の渦の中で、彼女の顔に深く癒着していた『港区女子』の冷たい仮面は完全に剥がれ落ち、溶けて消えた。


そこに現れたのは、厚化粧のメッキが剥がれた、祭壇の遺影と同じ、どこまでも純粋で、等身大の、本当に綺麗な19歳の少女の素顔だった。


「じゃあね、案内人のおじさん。これ、ウチからの最高の『いいね』だし」


「えっ──」


光が最高潮に弾けた、その刹那(せつな)だった。

さらさらと消えゆく彼女の顔が、ふわりと俺の目の前に近づいたかと思うと、俺の右頬に、信じられないほど柔らかくて、ほんのりと温かい、小さな感触が、奇跡のように一瞬だけ触れた。リップ音が、静寂の空間に微かに爆ぜる。


「……っ!?」


驚きに目を見開いたときには、もう遅かった。


オオサワミユの身体は、眩い光の粒子となって秋の夜風の中に完全に溶け去っていった。


「……ったく、最後まで、手に負えないギャルだったな……」


俺は呆然としたまま、右頬にそっと手を当てた。幽霊のくせに、彼女の唇が触れた場所だけが、いつまでも熱を持っているような気がした。


「来世は迷子になるんじゃねぇぞ……」


そんなことを口にしながらも、ふと自分の感覚に違和感を覚えていた。


名前さえも忘れ、凍りついていたはずの俺の胸の奥底に、微かな熱が確かに小さく灯ったからだ。


俺は頭をガシグシと掻きむしり、その消えかけの温もりを嫌々ながらもそっと抱きしめ、次の現場へと、静かに歩き出すのだった――――。


第一章、第二章とお読みいただき、ありがとうございました。


第一章の成仏劇から一転し、第二章は現代社会の影に狂わされた少女の、少し切ない物語をお届けしました。読後感のギャップに戸惑いがあるかもしれません。


現世を彷徨う死者を成仏させるための『案内人』。

自身の名前すら忘れてしまった主人公が、一癖も二癖もある死者たちの生と死に寄り添うことで、かつて捨て去ったはずの「大事な何か」を思い出していく──それが、この作品の本当の物語です。


現在、第三章を鋭意執筆中ですので、これからの「案内人」の旅路も引き続きお楽しみいただけますと幸いです。


作品を気に入っていただけましたら、下部より【ブックマーク登録】や【ポイント評価】をいただけますと、執筆の大きな励みになります。何卒よろしくお願いいたします。

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