5話 ダイブの先で見えた真実
タワーマンションの果てしない非常階段を降り、たどり着いたのは、港区の煌びやかな高層ビル群など影も形もない、寂れたセレモニーホールだった。
剥げかけた看板、湿った秋の夜風に揺れる薄汚れた提灯。線香の匂いが微かに鼻腔を突く静まり返った建物の中で、トミノユウイチの時と同じように、一人の少女の家族葬がしめやかに執り行われようとしている。
「なんなのこれ……!? ウチの想像していたのと全然違う! なんでこんなセコい会場なのよ!?」
ミユは露骨に絶望の表情を剥き出しにした。現実のあまりの寒酸さに、その大きな瞳が激しく泳いでいる。
「……冷静に考えても見ろよ。お前の葬儀に、どれだけの人間が参列すると思っているんだ」
「え? だって、ウチのリスナー(視聴者)とか、長蛇の列になるんじゃないの!? 駅の方まで人が並んじゃって、警察とか出動するレベルだと思ってたんだけど!」
「あのな……」
俺はポケットに手を突っ込んだまま、冷ややかに彼女を見下ろした。
「お前がどれほどリスナーのことを大事に思い、画面の向こうのいいねの数や再生回数に一喜一憂していたのかは知らないが、リスナーがわざわざリアルな葬儀に足を運ぶことなどないぞ」
「それは、ちゃんと配信で最後の告知をしてないからで! ちゃんと場所とか時間をアナウンスすれば、みんな絶対に来るかもしれないじゃん!」
「物好きが数人は来るかもしれない。だが、大多数の人間はな、ミユの配信がストップすれば、次の日にはまた別の配信者に流れるだけなんだよ。ネットのタイムラインなんてそんなもんだ。お前が命を懸けていた画面の向こうは、それほどまでに冷たい」
「じゃ、じゃあパパ達は!? ウチがこれまでたくさん転がしてきた、お金持ちのパパ達は!? 大きな高級な供花とか、祭壇が埋まるくらいのお供え物とか届いてるでしょ!?」
「パパ達もこの葬儀場には現れることはない。ここは、彼らの『仮面舞踏会場』の範囲外なんだよ。この場所じゃ彼らは都合の良い仮面を付けられないし、世間に対してその小汚い素顔を晒すわけにはいかないんだ。彼らにとって、お前は夜の街のネオンの下でだけ価値がある記号なんだからな」
「そんなの……」
ミユは、両手に持っていたヒールを、コンクリートの床に叩きつけて叫んだ。真紅のソールが、寂れたセレモニーホールのエントランスの片隅に虚しく転がる。
「ウチの、一生に一回限りの葬式なのに……! なんでこんなに見すぼらしいのよ!!」
「あのな、お前……」
俺は考えていた持論を、静かに彼女に語りかけた。
「葬式を執り行う意味っていうのは、故人のためではなく、遺された生きてる人たちのためにあるんだよ。歴史上の王様の葬式や大きなピラミッドが立派なのも、生きている後継者たちが自分の力を誇示して、体制を存続させるのが目的であってな。死んだ本人の人間の価値とは何の関係もないんだ。だから、ここがセコいからといって、お前の人生が否定されたわけじゃない」
「うるさいし! そんなおじさんのお堅いウンチクとか、マジいらんから!」
「……まぁ、とりあえず、中に入ろうか」
俺が促し、2人で薄い受付の幕をすり抜ける。
その瞬間、祭壇の真ん中に飾られた遺影を正面から見たミユが、今日一番の、悲痛な悲鳴を上げた。
「うわあぁぁぁ!! すっぴんの遺影とかマジやめてほしいんだけど! マジ最悪!! 殺意湧く! 誰よこの写真選んだやつ!」
「なぁ、そのすっぴんを見せたくないって反応、なぜなんだ? 別に普通に可愛らしい顔をしているじゃねえか。生前のお前が国宝級と自称していたのも、あながち嘘じゃないな。化粧で塗り潰すのがもったいないくらいだ」
「う、うるさいし! デリカシーゼロのおじさんにそんなこと言われても一ミリも嬉しくないんだから! ウチは、あの完璧なギャルメイクによって初めて『国宝級のウチ』が完成するわけ!」
顔を真っ赤にしてそっぽを向くミユを横目に、俺は手元の無機質な端末を起動し、参列者リストを確認する。
「えーと、参列者は……両親と、高校時代の友人が数人。よくこんな寂れたホールまで来てくれたもんだな。あぁ、こっちに住んでいるやつか……。そしてやはりあんたの言っていた港区の煌びやかなギャル仲間は、一人も来てないな」
そう、一覧にあるのは彼女が東京で築き上げたタイムラインの華やかさとは対極にあるものばかりだった。だが、リストの最下層にある、一つの名前にミユの目が止まる。
「あ、ビジネス彼氏……あれ、あいつなんでいるのよ?」
「なに? ビジネス彼氏って。……か、彼ピッピとかと何が違うの?」
「おじさん! 彼ピッピとか久々に聞いたんだけど! マジウケる、いつの時代の人間だよ!」
ミユは一瞬だけ、いつもの調子でケラケラと笑った。だが、パイプ椅子に座り、ハンカチを顔に当てて激しく肩を震わせている一人の男の姿を見つめ、すぐにその笑顔を消して視線を落とした。
「それで……誰にダイブするんだ? 俺としては、大人しく両親を勧めるんだが」
「えー……なんか嫌かも。このお葬式の空気見ればわかるじゃん。ミユの両親は、今のミユの価値観とは全然違うのよ。田舎の常識で生きてる両親の気持ちを知ったところで、ウチが納得して成仏するわけないでしょ」
「……そうか。なら好きにしろよ」
俺はそれ以上無理強いはせず、端末の画面を彼女に向けてやった。
「んー……じゃあ、あのビジネス彼氏にしようかしら。ほら、なんかめっちゃ泣いてくれてるじゃん。実はウチが本当に死んじゃってから、ミユの本物の価値に気づいちゃったー! とか思って後悔してるんじゃないの?」
俺は祭壇の前でわざとらしく肩を揺らしているその男を、冷徹な目で見つめた。
「……本当に、あんな男の意識にダイブするのでいいんだな?」
「しつこい! さっさとしなさいよ! ウチの価値を早く証明して!」
「どうなっても知らんからな。──お約束通り、私語禁止だぞ。ダイブ、スタート」
俺が画面をタップした瞬間、世界は強烈なノイズに包まれ、ビジネス彼氏の『視点』が再生される――――はずだった。
だが。
ビジネス彼氏の『視点』として、何かが映し出されることは無かった。
世界が反転したその先は、色彩も、光も、過去の情景すら一切存在しない、どこまでも果てのない真っ黒な闇の画面のままだった。
五感が遮断されたような不気味な暗黒。しかし、その絶対的な静寂を切り裂くように、男の『思考のノイズ』だけが、生々しく俺たちの脳内へと響き渡ってきた。
【ヤバい、ミユがメテオで死んだおかげでウチのチャンネルの追悼動画、マジでミリオン再生いったわ。お焼香でこうやってボロ泣きしてるシーン、自撮りでストーリーに上げたらさらにフォロワー増えるな。ミユ、最後の最後まで最高のバズ素材になってくれてサンキュー】
ザザッ、と砂嵐のような音がしてノイズが消え、視界は再び寂れた葬儀場の隅へと戻ってくる。
ミユは完全に無言となり、幽霊であるはずの身体を硬直させて立ち尽くしていた。その細い指先が、小刻みに震えている。
「ちょっとおじさん。どういうことなのよ。映像なんて何も映らなかったじゃない。その機械、壊れているんじゃないの!?」
彼女は必死に声を張り上げ、案内人である俺に掴みかかろうとした。その瞳には、隠しきれない恐怖と動揺が浮かんでいる。
「いや……これは壊れているんじゃない」
俺は端末を静かに見つめ、感情を交えずにその仕様を告げた。
「このダイブシステムは、死者と参列者が心を通わせた『在りし日の記憶』を再生するものなんだ。画面が真っ黒なまま何も映らなかったのは……この参列者にとって、死者に対する思い出が、人間としての記憶が何一つ存在していないってことなんだよ。あいつにとって、お前はただの便利な数字であり、消費するためだけの都合の良い『素材』でしかなかったんだ」
あまりにも冷酷で、ドス黒い現代の現実に、デリカシーゼロの俺ですら胸が締め付けられるような感覚に陥った。耐えかねて、柄にもなく気にかけるように声をかける。
「……まぁ、そう気を落とすなよ……?」
「違うし」
ミユは頑なに顔を上げず、消え入りそうな、だけど芯のある震える声で強がった。
「てか、ウチだって逆の立場なら、アイツの死に様利用して同じこと考えてただろうし。ビジネスだしさ、お互い様だし……別に、これくらいノーダメだし……」
必死に目元に溜まる涙を堪え、自らを納得させようと虚勢を張る彼女の横顔には、痛々しいほどの、どうしようもない強がりが見え隠れしていた──。
「……次はどうするんだ? 地元の友人か?」
俺の声に、ミユはしばらく動かなかった。裸足のつま先を見つめたまま、ただ小さく、喉を鳴らすように息を吐く。やがて、その悍ましく長いデコネイルの指先が、頼りなげに一つの名前を指し示した。
「マキ……この子にする」
ミユの視線の先、パイプ椅子が並ぶ静寂の中で、地味な黒の喪服に身を包んだ一人の少女が座っていた。華美な装飾など一切ない、焼香の煙に霞む葬儀場の隅で、彼女はただ静かに、絶え間なく溢れる涙を拭おうともせず、祭壇のすっぴんの遺影を見つめている。
マキ──それは高校時代、地方の泥臭い学び舎で、チアリーディング部としてミユとともに汗と砂にまみれて夢を追った、かつての本当の親友だった。
「わかった。……ダイブするぞ」
俺が端末の半透明な画面をタップした瞬間、世界は耳鳴りのような強烈な高周波のノイズに包まれ、一気に反転した。ビジネス彼氏の時のような底なしの暗黒ではない。視界が明転した先には、強烈な夏の西日と、湿った夕暮れの体育館。そしてマットのあの独特なツンとした匂いが広がっていた。
──キュッ、キュッと、床を擦る体育館シューズの甲高い音が反響する。
マキの意識が捉えていたのは、放課後の誰もいない体育館の隅で、ひたすらマットに身体を叩きつけられている、生前の、いや、高校時代の『オオサワミユ』の姿だった。
ギャルメイクのメッキも、ハイブランドの鎧もない。前髪をダサいヘアピンで雑に留め、汗で張り付いた学校指定のTシャツと短パン姿の、どこにでもいる田舎の不器用な少女。
「ミユ、もう部活の時間は終わってるよ! そろそろ鍵閉めないと先生に怒られるって!」
マキの声が、記憶の中で若々しく響く。しかし、ミユは息を激しく切らし、膝についた埃を手の平で雑に払いながら、頑なに首を振った。
「やだ、まだやめない。ウチ、次の大会で絶対にセンターで跳ぶって決めたんだもん。マキ、もう一回だけ、もう一回だけスタートのタイミング見てて!」
ミユの細い足首には、テーピングが痛々しく巻き付いていた。全身汗だくで激しく肩を動かして呼吸をしている。それでも、彼女の瞳には、純粋で、狂おしいほどの真っ直ぐな想いが宿っていた。
掛け声とともに、彼女は地を蹴った。
空中を鮮やかに舞う。放物線を描き、マットに力強く両足が着地する。完璧なバック転だった。
「できた……! やったよマキ!」
汗と涙が混じった顔で、太陽みたいに眩しく、等身大のクシャクシャな笑顔を弾けさせるミユ。
マキの意識の底から溢れてきたのは、いかなる過酷な環境でも、どれほど才能が足りず不器用であっても、ひたむきに努力して自分の力で輝き続けようとしていた『オオサワミユ』に対する、魂の底からの深いリスペクトの記憶だった。マキは、あの泥臭くて、真っ直ぐに努力をするミユのことが、本当に大好きだったのだ。
だが──記憶の情景が、ひび割れたガラスのように歪み、別の景色へと変色していく。
映し出されたのは、ミユが上京して数ヶ月が経った頃、都内のとある駅の改札口で久しぶりに再会した時の、マキの強烈な記憶の断片だった。
駅のホームに降り立った『ミユ』は、もうマキの知っている『オオサワミユ』ではなかった。
不自然なほど明るく染め上げられたミルクティベージュの髪。素肌を覆い隠すような厚化粧。ブランドのロゴをこれでもかと主張する服と、歩くたびに赤が覗く高いヒール。
「久しぶりー! マキ、マジ変わってなくてウケるんだけど!」
甲高くて、どこか薄っぺらい、テレビの向こう側から借りてきたようなギャル言葉。その歪な変貌に、マキは言葉を失い、改札口でただ立ち尽くすしかなかった。
【どうしちゃったの、ミユ……? なんでそんな、別人のようになっちゃったの? その高そうな服も、その化粧も、全然あんたに似合ってないよ。ねぇ、何があったの? 東京に来て、何があなたをそんな風に変えさせたの……?】
差し出されたミユの手の爪は、長く尖ったプラスチックのデコネイルで覆われていた。かつて部活で、摩擦で真っ赤に腫れ上がっていた、あの愛おしくも誇らしかったミユの手の平の温もりは、その冷たい爪に完全に隠されてしまっていた。マキの心に去来したのは、激しいギャップへの戸惑いと、親友が自分の手の届かない遠い世界へ行ってしまったという、どうしようもない寂しさだった。
そして──ノイズはさらに現在へと収束し、現在のマキが抱く、あまりにも深い『同情』の心理描写へと繋がっていく。
【ミユ……あなたは東京に来ちゃだめだったのよ……。なんであんな、女の子の若さや容姿を記号としてしか見ない、小汚い大人たちに搾取されるようなギャルになっちゃったの……。あんたは、そんなブランド物の鎧なんか着なくたって、あの体育館で、誰よりも真っ直ぐに、一番輝いていた子だったのに。どうして気づいてくれなかったの、ミユ……】
ザザッ──。
テレビのチャンネルが乱暴に切られるようにして、ノイズの塊が消え去る。
視界は再び、あの静まり返った寂れたセレモニーホールの和室へと戻ってきた。
「マキ……あんたも私のこと、理解できなかったのね」
ダイブが終わり、現実の葬儀場の隅に立ち尽くしたミユは、完全に光を失った瞳でぽつりと呟いた。その声は、乾いた砂が崩れ落ちるかのように儚く、頼りない。
かつて同じ汗を流し、自分の本当の努力を知っていたはずの唯一の親友からは、激しいギャップに理解が及ばぬまま、都会に狂わされた可哀想な女の子として同情される。
どこまで行っても、今の自分が必死に武装してきた『港区女子系インフルエンサーギャル』としての生き様を、誇りを、生身の人間として見てくれる人間は現世に誰一人としていない。
過去の自分も、現在の自分も、すべてがすれ違い、バラバラに引き裂かれていく。
底なしの圧倒的な孤独感が、冷酷な現実の重みとなって、19歳の少女の魂を容赦なく叩き潰していた。




