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4話 泡沫の夢

都心にそびえ立つ高級タワーマンションの屋上。


そこから非常階段へと繋がる鉄扉をすり抜けた瞬間、オオサワミユはパステルピンクのクロップドカーディガンに包まれた肩をすくめ、露骨に嫌そうな顔を剥き出しにした。




「はぁ!? ちょっと待っておじさん、なんでエレベーターじゃないわけ!? マジあり得ないし、ウチのヒール、何センチあると思ってんの? 十センチ超えなんだけど。この細いピンヒールで階段とか、一歩目で詰むわ!」


俺は手元の端末をジャケットの内ポケットに収め、呆れ半分、諦め半分の溜息を吐き出しながら、非常階段の暗い底を見下ろした。


「文句言わないの。防犯カメラに誰も乗っていない無人のエレベーターが、独りでに屋上から地上階に止まる不可解な心霊動画を録らせるわけにはいかないんだよ。ただでさえあんたのメテオ動画でお祭り騒ぎになってるんだぞ。これ以上燃料を投下してどうする。それに、俺なんて行きも帰りも階段なんだぞ。あんたはもう幽霊なんだから、肉体的な疲労を感じることはない。ワガママを言わずに……、ほら、ヒールを脱いで足を動かす」


「疲れる疲れないとか、そういう問題じゃなくてモチベの問題だし! 大体おじさんは階段使うとか、健康にいいでしょ。運動不足のメタボ予備軍でしょ?ウケる」


「うるさい。ほら、行くぞ」



カン、と乾いた鉄の音が響く。俺が一段目を踏み出すと、ミユは口を尖らせながらも、ぶつぶつと呪詛(じゅそ)を吐き散らしながら後ろをついてきた。


肉体はすでに死んでいるため、急勾配の非常階段を裸足で降りようとも、何の問題もない。


俺の足音だけがコツ、コツと無機質に反響する。一段一段階段を降りながら、俺は案内人としての今後の説明、いわゆるチュートリアルを始めることにした。



「これから、あんたの家族が手配した葬儀場へと向かう。そこで、参列者を選んでもらう。そして、その参列者にダイブするんだ」


「ダイブ? 何それ、スカイダイビング的な? ウチ高所恐怖症じゃないけど、落下系はマジ勘弁なんだけど」


「違う。意識の潜水だ。その参列者とお前との間にあった、在りし日の記憶や、今その人間があんたの遺影を前にして抱いているリアルな想い……それらを、嘘偽りなく完全に共有することができるんだよ。そうやって、他人の目線から自分の人生を客観視することで、自分の一生に幕を降ろす心の準備を整える。それが、死して尚、未だに成仏できずにこの世界にさまよう魂に対する成仏のシステムだ」



ミユは歩みを止め、非常階段の手すりに腕を絡ませて、心底退屈そうに俺を見下ろした。その大きなデコネイルの爪が、非常階段の錆ついた鉄にカチカチと不快な音を立てる。


「何それ? そんなんで成仏できんの? 意味不なんだけど。他人の頭の中覗いて『あ~、ウチって愛されてたんだな~』って涙流してバイバイとか、線香の煙より煙(けむ)に巻かれてるじゃん。マジおじさん達の考えるお仕事って、発想が昭和でウケる」


「ぐっ……」


胸の奥に、鋭い痛みが走る。

それは、世間や『おじさん』を舐め腐っているこのギャルへの怒りではない。他ならぬ俺自身が、前回のトミノユウイチの成仏の際に、勝手に消えゆくクズ男を見つめながら抱いてしまった根本的な疑問、そのものだったからだ。


(……このシステムで、目の前のギャルを本当に成仏できるのか? ダイブもクソもなく、ただセフレとの秘め事を思い出して勝手に賢者に至り、消え去ったことを報告書にまとめたら、ただただ桜のスタンプを押されるようなシステムだぞ。この致命的な欠陥システムを使い、成仏しなかった場合、承認欲求の化け物みたいなギャルにコンコンと説得する自信なんて、俺には一ミリも無いぞ……)


俺は懐疑的な本音を胃の奥底へと無理やり押し込み、ただマニュアルに沿った仕事に徹するために、引きつった営業スマイルを顔面に貼り付けた。


「そ、そうだな。初めてのことだから戸惑うのも無理はないさ。だけどな、人間、誰しも他人の本物の想いに触れれば心が動くものなんだ。特に、両親の娘を想う無条件の愛に触れることで、どれだけ擦り切れた魂だって、温かい光に包まれて成仏していくのは間違いないだろう。だから、まずは母親か父親を選ぶのが良いかもな」


「はぁ!? 心が温まるぅ? 何それ、ウチ、冷え性だけどそんなの誰も求めていないし! それに、イマドキの親子が皆が皆、仲良い前提とか既にオワコンシステムだし!まぁウチのお母さんやお父さんはそうでもないけど」


ミユはわざとらしく肩をすくめ、再び階段を降り始める。その横顔には、鳥取の田舎から出てきて、必死に『港区』という虛飾の頂点にしがみつこうとしていた少女の、強情で、しかしどこか危うい頑なさが張り付いていた。


昭和も令和も関係がないのである。親子の情は、時代ごとの常識や感覚を超越したもっと普遍的なもののはずなのだ。子々孫々の繁栄のために殺し合い、憎み合った時代ですら、このシステムで親や子の意識に触れることで、この世の未練から魂は洗い流されていたのである。それを『今の時代には合っていない』と成仏できないのだとしたら、現代の社会システムを生き抜くための常識や感覚とは、『人』であることを捨て去る、狂気の処世術とも言えるのではないだろうか。


俺は歩調を合わせながら、ふと気になっていた質問を口にした。

「ち、ちなみにさ、ミユちゃん。あんたの言う『成仏の条件』ってやつを参考までに聞かせてくれないか? あんたはどうなったら、自分の人生に満足して次のステージへ行けると思うわけ?」


その問いを聞いた瞬間、ミユは階段の踊り場でピタリと動きを止め、映画の主役にでも選ばれたかのように、ハイブランドのバッグを抱えながら胸を張った。その瞳には、液晶画面の向こうの何万人ものフォロワーを見つめている時と同じ、妖しく、そして狂信的な光が宿っている。


「そんなの決まってるじゃん! ウチはね、伝説のインフルエンサーとして、いつまでもリスナー(視聴者)がウチのことを忘れずにタイムラインで神格化してくれたり、ウチがこれまで転がしてきたパパ達が、ウチのお葬式をめちゃくちゃ豪華にして、六本木のクラブ一晩貸し切りとかで追悼イベントやってくれたりとか~? そこで港区のイケメンも社長も、みんなが『ミユちゃんがいない世界なんて、もう生きてる意味がない!』ってタイムラインにボロ泣き投稿してたら、ウチ、マジで『あ、ウチの人生、完全無欠の勝ち組じゃん』って満足して成仏できるかも!」


「ハッシュタグが『グロ・閲覧注意』になってる現実は、もう脳内から綺麗さっぱりログアウトしたのか……」


「うるさいし! あれは一時のバグみたいなもんだから! ウチの本物の価値は、お葬式に集まるメンツの豪華さで証明されるの! ……あ!」


ミユは突然、はっとしたように自分の綺麗なデコネイルを見つめ、声を上げた。


「そうだった……! ウチにはさ、死んでも絶対に叶えなきゃいけない、人生の最大の夢があったんだった!」


「え……な、なに? 世界一周とか、フォロワー一万人とかか?」


ミユは興奮気味に夢を口にした。


「ミユの夢はね、あの東京タワーが見える一等地に、一棟丸ごと『オフィスオオサワ』っていう貸事務所のビルを建てて、そこのオーナー社長になりたかったの!港区の最先端で自社ビルを構えるトップビジネスウーマンになる。それがウチの本当のゴール。死んじゃったけど……『オフィスオオサワの遺志は俺らが継ぐ!』ってパパ達がビル建ててくれるって誓ってくれたら、ウチ、マジで速攻成仏してあげる!」



「……どこから突っ込んだらいいものやら……」


俺は額を押さえ、非常階段の冷たい壁に背中を預けた。


頭が痛い。トミノユウイチの時とは、業(ごう)の深さもベクトルが違いすぎる。


案内人である俺の手元にある、彼女の冷酷な『現実のデータ』には、そんな煌びやかな未来の欠片(かけら)なんて、1ミクロンも存在していなかった。



(叶うわけがないだろう、そんなもの……)



俺は、彼女に背中を見せながら、心の中でその残酷な真実のすべてを吐きだしていた。



あんたが信じ、縋(すが)り付いているその『港区』という世界はね、地方から出てきた女の子が努力と美貌で這い上がれるシンデレラストーリーの舞台なんかじゃないんだ。


そこは、経済力と権力を持った大人たちが、自分の手を一切汚さずに、あんたみたいな少女を無知であることを良いことに、都合よく搾取して、自分たちのドス黒い欲望を満たすためだけに作り上げた、底なしの泥沼なんだよ。


田舎から出てきて、都会の冷たい風に怯え、舐められないように必死に抗った19歳のあんたは、誰よりも強くこの街で生き残るために、ハイブランドの『鎧』を身に纏って、『港区女子』という虚飾の仮面を顔面に張り付けた。常磐線の電車に揺られながら、毎晩、どれだけ心がすり減るような思いでその仮面を磨いていたことか。


だけど、あんたは戦っているうちに、その仮面に心を乗っ取られ、狂わされてしまったんだ。


その搾取の構造でしかない世界の価値観にどっぷりと浸かりすぎた結果、いつしか、自分が買ってもらったバッグの値段、タイムラインのフォロワー数という、すべて『大人が用意した都合の良い尺度』でしか、自分の19年間の人生の価値を測れなくなってしまった。


その尺度のルール自体が、あんたの生身の人間性を都合よく掠(かす)め取るために大人たちが仕掛けた罠だということにも気づかずに。


あんたは、自分の意思でその肩書きを選んだと思っている。だけど本当は、都会の歪んだシステムに踊らされ、人生のカタチを歪められた、あまりにも悲しき被害者だ。


死んで肉体を失った今でも、その尺度でしか自分を肯定できないから、あんたは際限のない承認欲求の沼から抜け出せず、成仏のスタートラインにすら立てずにここで彷徨っている。

都会が落とす影に、骨の髄まで消費し尽くされてしまった少女。


死してなお「パパがビルを建ててくれたら成仏する」と無邪気にのたまうあんたの魂にこびりついた『業』は、前回のクズ男の100倍、あまりにも深くて、重くて……そして、どうしようもないほどに切ない──。



「ちょっとおじさん、何真面目な顔してフリーズしてんの? マジ引く、ウケるんだけど。ほら、早くWi-Fiのある葬儀場に連れて行きなさいよ!」


ミユは俺の顔の前でパチンと指を鳴らし、非常階段をトントンと軽快に降りていく。その背中に向かって、俺はただ一言、小さく呟くことしかできなかった。


「……あぁ、そうだな。すぐに行くよ、メテオミユちゃん」


(前回の反省を心に秘めながら……いや、この業深ギャルの……自分が信じ続けたものが、泡沫の夢であると気づいた時、俺は一体どんな顔で見届ければいいんだ……)


俺は重い足取りで、彼女の本当の、そしてあまりにも残酷な『人生の答え合わせ』が待つ葬儀場へと、一歩を踏み出した。




俺の案内人としての本当の試練が、これから始まる――――。


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