●天才の定義と概観
ディーゼル機関をつくったことで有名な発明家ルドルフ・ディーゼルは、才能をもつ人が陥りやすい運命について次のことを述べている。
「真の才能も援助を必要とする。天才は自ら闘いとるものだという天才についての格言ほど誤ったものはない。百人の天才のうち九十九人までが認められずに失われてゆく。その百人目の天才は、おおむね筆舌に尽くしがたい困難のもとで成功する。この事実から、一般に天才的な才能は常に外的困難を征服する偉大な才能と結びついているという間違った結論が生じるが、天才と生活上のねばり強さとの間にはわずかな関連さえもない。そこで最も本当らしいのは、天才的な才能の側面を生かして特別に訓練すると、外面的な生活上の必要性を立派にこなしてゆくためのもろもろの技術を身につける余地がなくなる、という仮定である。そこで論理的な結論はこうである。天才が自ら闘いとるものであるとすれば、人生の闘いを生き抜くためのその困難さは他の誰よりも大きい。したがって、天才的な才能に加えて、生存競争に対する特別の才能を持たない者は、誰かが救いの手をさしのべない限り、その生存競争の中で生きのびる見込みはほとんどない。」
クレッチュマーは、はっきり天才だと言える人、天才でも健康人でもない人とのちがいを意識しつつ、天才性を端的に扱うための表現として「天才とは、積極的な価値感情を、広い範囲の人々に永続的に、しかも稀にみるほど強く呼び起こすことのできる人格である。」と定義した。ちょっとわかりにくい表現になっているが、真の天才というものは死後しばらく時間が経ってからはじめて評価可能になるものだ、と捉えてもよい。本著でもこの定義に従うこととする。また、話の錯綜を避けるためスポーツ等の運動の天才、演奏の天才等は除外する。
以下、クレッチュマーの分析を引用していく。天才の発育を阻害するのは、環境要因の影響が存在することは確かであるが、しかし天才の典型的な生活苦の原因は多くほかにあるのである。何となれば、健全な人は順応性を持っているから、苦難の苦境におちいっても結局はそれに順応する。彼らは自ら道を切り開き、忍耐し、つねに朗らかな勇気を保ち、人生をあるがままに享受する。また健康な本能をもって、健全な人々の間に自らを正しく処して行く。
それゆえ、健全な人々の間に伍して絶えず自らを正しく処しえないような人は正に健全な人ではない。ミケランジェロにせよ、フォイエルバッハにせよ、彼らの生涯を追想してみるならば、それは成功と失敗との不断の交錯であり、苦渋、疑惑、失望および激烈な行動の連鎖であり、一つの葛藤から他の葛藤へとよろめきすすんだ過程であった。
多数の天才の生涯の悲劇は、二つの方面から観察して初めて正しく理解することができる。その一面を形成するものは、天才の周囲の人々である。すなわち、自分らの安穏を乱されまいとする健全な凡庸さを持ち、自分らにとって目ざわりなほど輝く非凡なものに対して素朴な嫉妬を示す普通人である。また他の一面は天才自身である。極度に感じやすい神経と、周囲に適応しにくい気まぐれな気分をもち、激烈な感情の発露を示す、ある程度、精神病質の例外的人間である。彼は善良な俗人たちを、しばしば短気に、過敏に、無分別に、またははなはだしく高慢な態度で取り扱うばかりか、彼を敬愛し、鼓舞し、彼に親切をつくそうとする人々の生活と忍耐をまでも打ちこわすのである。
ここに出てくる天才性の環境変化不適応の性質に似ているものとして、例えば、心不全を患うと体重の増減に身体が敏感に反応して、立ちくらみや息苦しさを覚えたりして、健康な人と同じようには行動できない、つまり体重の急な増減に対して身心が順応できないということが挙げられる。
幼時においては、一方は天才となり一方は社会的失敗者となる二つの異常素質が、未だ共通の軌道を走っていることがしばしばだ。この事実をもっともよく知るのも天才自身である。学生時代のビスマルクは言った。「私はとんでもないルンペンとなるか、さもなくばプロイセンの第一人者となるであろう」と。
次に個別的なものから一般的なものへとさらに視野をひろげてみよう。精神的ならびに身体的な健康の本質は、その人が均衡状態にあり、かつ自ら健康を感じているところにある。したがって、精神的に健全な人は、静かな心情を保ち、理性的に自ら順応することを知っている。彼らはどのように堪えがたい情勢に立ち至っても、戦争をせず、革命を行わず、詩を作ることをしない。
しかるに精神の均衡の不十分な人間は、外的衝撃によってたやすく均衡を破られがちであり、また精神的不満がつのればつのるほど、自分の置かれている状況を堪えがたいものに思う。そして精神の健全な人ならばまだ十分に堪え得るような場合にも、革命的な行為へと走ってしまうのである。
そこで歴史の革命的転回点において、政治的支配者の位置に立ち、その神経質な心情を群衆の心に伝播して、疲れ果て、ともすれば安穏を望もうとする民衆を、絶えず新たな狂瀾怒濤の中へと追いこんだ一部の政治的な急進分子を考察してみよう。その中には、狂信者や、激情家や、熱狂者や、予言者というような型の者もあったが、また一方、デカダン文士、落伍者、時代遅れの人間や倦怠した人間、新たな刺激を求めるやから、山師、詐欺師、口舌の徒や気取り屋、人殺し、倒錯者というような種類のものもいた。
精神病質者と精神病者とは、民族発展の途上で、時に、たとえば細菌のそれと酷似する非常に重要な役割を演じてきた。時代精神が平均し社会的機構が健全なあいだは、これらの異常者たちは、健全な大衆の間を、失神した者のように力なくうごめいているにすぎない。しかし一度どこかに傷口があらわれて、しかも空気が鬱積し、何ものかが腐朽するならば、これらの細菌はたちまち毒性を得てその作用を発揮し、至るところに侵食し、健全な民衆すべてを発火と発酵とのうちにおとし入れねばやまない。
しかし彼らはただ時代精神が白熱した時のみ、戦争や革命や精神的大衆運動をひきおこすことができるのである。
つまり「天才は純生物学的に見て、人類中の稀有にしてかつ極端なる変種である」と言いたいのである。かかる極端な変種は、通常種に比して、生物学上著しく不安定な構造と崩壊傾向とを示すことが多く、また遺伝的にも種の継続育成に非常な困難を感じるものである。人類の発育巨大症や侏儒症における生活力の低下や、極度に育成された純血種の馬の過敏性と脆弱性等がその良い例である。ゆえに人類の天才的変種において、精神生活の著しい不安定性と過敏性、あるいは精神病や神経症や精神病質に対する著しい抵抗薄弱が見いだされたといっても怪しむには当たらない。それは事実われわれの生物学的統計と一致することだからである。
天才の男系の子孫が速やかに死滅することは、もっともふしぎな生物学的事実の一つである。われわれは多くの天才において、結婚せず子どものないこと、性欲の減退、性欲の倒錯等を見、あるいは強い性的衝動はあっても生殖意志が少ないという事実を認める。
Kという人物の場合は、頭の中の濁りや詰まりがなくなって脳の神経の一本一本がクリスタルのように透き通っているのを感じているとき、アイデアがどんどん出てきたり、詩を作れたり、数学に長時間集中して取り組めていた。この状態のときは性欲がなくなっていて女性の裸の写真を見るだけで気持ちわるく感じていた。しかし、数学に取り組むことに疲れ果ててしまうと性欲が戻ってきて、夜の街へ繰り出していくのであった。
しかし天才には単なる才能のほかになおダイモニオンが加わらねばならぬ。そしてこのダイモニオンこそ、まさしく精神病質的要素と内的に密接な関連をもつもののように思われる。このデモーニッシュなものが、外見上説明しがたいものや、精神的特殊能力や、非凡な思想と情熱等、天才の本質と見なされるべきもののすべてを包括しているのである。
彼らの本能と思考過程にはある種の奔放さが見られる。それゆえにこの奔放性によって驚異的な新しい思考結合の形成に達するのである。天才の精神的構造のかような奔放性と不安定性、事物の関係に対するこの過敏性、人格内部におけるこの奇妙な対比性、これらが天才の偉大な心的飛躍力と、情熱と、小止みない精神の躍動性とを生むのであるが、天才の本質にあるデモーニッシュな要素こそ、天才的人格の構造の中にあらわれた精神病質的兆候と同じものなのである。
ゲーテは天才と病的脆弱性との関連を、ただに事実としてのみならず、内的にまさしく必須のものとして明らかに認め、それを彼独特の巧みさをもって次のように表現した。「これらの人々が非凡な仕事をやるのは、非常に繊細な体質があってのことだ。かれらはそのおかげで稀有の感受性にも恵まれるし、また天の声を聞くことができた。ところでそうした体質は、世間や自然との葛藤によって、たやすくさまたげられ、傷つけられ・・・絶えざるわずらいに悩まされがちなものなのだ。」(エッカーマン、1829年12月20日)
さてこの精神病理的なものが、才能に富んだ人格内でダイモニオンとして作用しえるためには、いかなる程度に達して、いかなる地位を占めねばならぬであろうか。まず重篤な精神病から見ていくと、この場合には、あらゆる価値のある精神能力、ひいてはあらゆる天才的能力が、全然問題にならぬほど強く阻害される。しかしそれゆえにすべての真性精神病は天才妨害的なものであるが、例外的にも天才促進的なものではありえないと言いきることはできない。健康人はややもすれば精神病者に対してあらわな憫笑的尊大さを示したがる。天才問題の解明をつねに妨害するものはこれである。しかし、疾病の初期、たとえば急性の精神分裂病などの初期の病相を、深い理解をもって観察することのできる人は、たちまちにして来りたちまちにして去る、あらゆる概念を超越した威力と、充実感と、宇宙的緊張の体験とを、数ならぬ病者の中に発見して瞠目するにちがいない。かかる体験は、全くの凡人を、ごく稀に、また一時的ながら、はるかに彼以上のものにまで高まることがある。
この種の、軽度で、崩壊にまで立ちいたらない精神病者の法悦は、健康人の整然たる思考過程よりも、むしろある種の天才的な霊感的体験、こと宗教方面におけるそれに、心理学的にはるかに著しく類似している。しかしかかる心理学認識は、健康人の思考には到底容れられないであろう。なぜならば、人間が神性を人間の姿の拡大されたものとしか想像しえないのと同じく、俗人は天才を俗人の記念碑的形象としか想像することができないからである。― しかし事実、ある種の、とりわけ分裂性の精神病(現在の呼び名は「統合失調症」。イメージしやすいので原著のまま使用する。)の発病等に際しては、ちょうど噴火山が地底の岩石を表面に噴出するのと同様な現象、すなわち今までは全く日常の思考様式によって覆い隠されていた特殊な才能が、忽然として出現するという場合も、時に見ることができるのである。
このように、精神分裂病的中間状態の際の体験は、特にその法悦的な感情の力と特異な思考内容とによって、宗教、絵画、詩歌の方面に大きな成果をあげることがあるが、他の一つの精神病、すなわち躁うつ病にもそれと同じ場合がある。とりわけ躁うつ病の軽度の中間状態と、かような生産的創造とは関係がある。この際とくに問題となるのは、燃え立たせるような気分と観念産出の容易さと豊かさとを伴う軽度の軽躁状態である。メービウスが発見した精神生活におけるめずらしい周期性は次のようなものである。すなわちその憂鬱期には、いかんともしがたい精神的干ばつと不機嫌と芸術上の不生産的状態が見られたのに反し、定期的に来襲する軽躁病を思わせる発揚的気分は、ゲーテのほとんどすべての天才的事績の基礎となった。
●躁状態のときに見える景色:宮沢賢治の例
(参考・出典:「天才 創造のパトグラフィー」福島 章著)
躁状態のときは、生命力の高揚の時期でもあるが、活動性の亢進が見られるばかりではない。軽躁期と見られる宮沢賢治の初期童話には、不思議な感覚がみちている。人間の子どもが、こぎつねや山猫やどんぐりや滝と、ごくあたりまえに話を交わしたり、森や山や人間たちがたがいに語りかけあったりするのは、賢治童話では、ごくあたりまえのこととなっている。このアニミズム的世界を童話に独特の技法ということはできない。むしろ、自然そのものが、彼に生き生きと迫ってくるのである。
たとえば朝、風景は、
おもてに出てみると、まわりの山は、みんなたった今できたばかりのようにうるうると盛りあがって、まっ青な空のしたに並んでいました。
(「どんぐりと山猫」)
というように山々と緑が春の息吹きのように新鮮な生まれたばかりの生命として宮沢賢治の目には映っていた。われわれがふだん見ている自然の風景から、半透明の薄膜を一枚はがしたところに、ほんとうの自然がある。賢治の見た自然の、色鮮やかに、生き生きと、光り輝いている姿を追体験したことのない人は、一生を貧しく色あせた ― ちょうど離人症の人々のような ― 感覚を体験しただけで終わることになりそうである。
わたしたちは氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいに透きとおった風をたべ、桃色の美しい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、畑や森の中で、ひどいぼろぼろの着物が、いちばんすばらしいベルベッドやラシャや、宝石いりの着物に、変わっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいな食べものや着物を好きです。
(童話集『注文の多い料理店』序)
宮沢賢治の初期の童話や自由詩のなかには、自然や人間がいかに変幻自在な姿をあらわし、多様で豊かな相貌をもつかを教えてくれるものが多い。詩人は、「わたくしは森や野原の恋人」となり、自然と一体になって溶けあってそこに調和したかと思うと、逆に幻惑され、翻弄され、恐怖のなかに投げ込まれたりもする。時に、自然は、石も草も星も月も、すべて生あるもの、心あるものとして、われわれにその「ほんとうの姿」を開示してくれる。これが有情体験である。
賢治の初期の詩には、幻覚とも考えられる異様な感覚や、共感覚・大視・小視・変形視など、精神病理学の教科書に例としてあげたいほどのさまざまな異常知覚があらわれる。たとえば、
りんごの樹がむやみにふえた
おまけにのびた
おれなどは石炭紀の鱗木のしたの
ただいっぴきの蟻でしかない
(「真空溶媒」)
というのは、周囲が大きく見える大視で、相対的に自分の姿は小さくなる。スイフトの小説『ガリバー旅行記』の巨人国の描写や、キャロルの『不思議の国のアリス』でもおなじみの光景であろう。しかし、知覚の鮮明化があまりにも強烈すぎると、人間の自我はとてもこれについてゆけず、当惑するばかりある。
もう冗談ではなくなった
絵描きどものすさまじい幽霊が
すばやくそこらをはせぬけるし
雲はみんなリチウムの赤い焔をあげる
それからけはしい光のゆきき
草はみな褐藻類にかはられた
こここそわびしい雪の焼け野原
風のヂグザグや黄いろの渦
空がせわしくひるがえる
(同前)
この状態になると、詩人の主体性はもはや十分に働かず、彼は茫然と、目の前に起こる ― あるいは自分のなかに起こる ― すさまじいイメージのるつぼを見守るばかりである。「幻想だぞ 幻想だぞ/しっかりしろ」とみずからを励まし、同時に「かまわないさ、それ(幻想)こそ尊いのだ」とみずから答えたりする。
実をいうとこれらの体験は、1960年代にさかんに研究され、一部のサブ・カルチャーに流行した知覚の変容と似ていないわけではない。LSD25、プシロシビン、メスカリン、大麻などの薬物により、一時的に感覚が鋭敏になったり、非日常的な鮮烈・多彩な体験をすることがあることは、よく知られている。彼らはこれらの幻覚剤(精神病をつくる薬)を、精神体験を拡大する薬と称し、時には自分たちの芸術創造に独創性を与えるために利用した。これが一時期流行したサイケデリック・アートであり、それが商業的に風化したものが、サイケ調のポップ・アートやファッションである。しかし、これらは長続きせず、高い価値も生み出さなかった。
宮沢賢治の体験は、もちろん薬物中毒によるものではない。躁状態のために、自我と外界との距離が崩れ、知覚の変容が起こったのであろう。
しかし、多くの躁病者や薬物中毒者とちがって、この天才は自分の心のなかや、目の前の世界に起こる不思議な現象を、驚くべき誠実さで、正確に、ことばとして、記録にとどめようとした。彼が自分の作品を「詩」ではなく「心象スケッチ」と呼んだのは、この作業が文学的価値は別として、「ある心理学的な仕事」の準備であると洩らしていたように、意味のある試みと考えていたからであろう。しかも詩人のボキャブラリーと描写の能力をもってしても、現象すべてをそのまま言語化することはとてもできないと感じていた。
ふつう躁状態が起きているあいだは、見えている景色に酔いしれその奥深さに幻惑されていて、いわば盲目的な大恋愛中のような心理状態になっているので、スケッチすることなどとてもできない。宮沢賢治の場合は、そのたぐいまれな自制力、率直さがあったればこそ心象スケッチができたのである。ここがふつうの躁病者や薬物中毒者とは大きくちがう点である。
また後に梅毒性脳疾患に罹ったニーチェやフーゴー・ヴォルフのような天才の場合にも、その精神崩壊に先立って、長期間、一種独特な、白熱的な、また非常に天才的な生産力の見られる時期があった。ゆえに後年の先駆と見なされる脳の有害刺激も、程度の軽いうちは、才能の高い人に対し、同じく一時的に天才促進的に作用しえるのではないかという疑問もおこるのである。
梅毒性脳疾患やてんかん、偏頭痛などに関連するものとして次のような興味深い事例がある。どちらもオリバー・サックスの「妻を帽子とまちがえた男」からの引用による。
〈キューピッド病〉
九十歳になる快活なナターシャ・Kがわれわれの病院にやってきたのは、わりに最近のことだった。八十八歳の誕生日をすぎてまもなく、ある「変化」に気づいたというのである。どんな変化なのかと聞いてみた。
「すばらしいんです」彼女は大きな声で言った。「こうなって本当に喜んでいるんです。前よりずっと元気で生き生きした気分なんですから。もう一度若返ったみたいにね。若い男性が気になって、そう、うきうきした気分になってきたんですよ」
「それでいけませんか?」
「最初はよかったんです。とっても気分がよくて、おかしいとは思いませんでした」
「それで?」
「友だちが心配しはじめたんです。明るくなって生まれ変わったみたいだって。友だちは言いました。最初はね。でもそのうちにみんなは、これは普通じゃないと思いはじめたんです。昔は恥ずかしがり屋だったのに今はおてんば娘みたいだって。いい年して、げらげら笑って、冗談を言うなんて、どうかしたんじゃないかって言うんです」
「いったいどんな感じだったんですか」
「びっくりしましたよ。感激してしまって、何が起きているのか自分では考えてもみませんでした。でも少したってからおかしいと思いはじめたんです。ナターシャよ、おまえは八十九歳なのだ。もう一年もこんな状態がつづいているではないか。控えめな性質だったのに、このはしゃぎようはどうしたというのだ。もう死にそうなおばあさんなのに、こんなに突然、うきうきした気分になるとはただごとではないぞ、と。幸せすぎるって思ったとたん、はっと気づいたんです。病気じゃないかって。気分がよすぎるってのは、病気にちがいないって」
「病気? では精神的に? 心の病気ということですか」
「いいえ、心の病気じゃなくてからだが悪いんです。からだのなか、頭のなかで何かが起こったんです。それで気分が浮かれてしまうんです。そのうちに思い当たったんですよ。いまいましい! キューピッド病です」
「キューピッド病?」なんのことかわからずに、私は聞きかえした。そんな言葉は聞いたことがなかったからである。
「そう、キューピッド病。梅毒のことです。もう七十年ちかく前ですが、サロニカの売春宿にいたことがあって、そのとき梅毒にかかったんです。おなじ病気の娘たちがおおぜいいて、キューピッド病って呼んでたんですよ。私は主人に救われたんです。彼は私をそこから連れだし、病気も治してくれました。もちろん、ペニシリンもない時代でした。こんなに時がたっていても再発することがあるんでしょうか」
もし初期感染が完治せずに、症状が抑制されていただけなら、初期感染後、ひじょうに長い潜伏期をへて、神経梅毒が発症することがあるかもしれない。私が以前診た患者の一人は、エールリッヒ自身によるサルバルサン治療をうけたが、五十年以上たってから、神経梅毒のひとつである脊髄癆を発症した。
しかし、七十年もの潜伏期など聞いたことがなかったし、患者本人が、ひどく冷静にはっきりと、脳梅毒ではないかなどと言うのは聞いたこともなかった。
「驚きましたねえ」すこし考えてから私は答えた。「それは思いつきませんでした。でも、あなたのおっしゃるとおりかもしれません」
彼女は正しかった。髄液反応は陽性で、彼女は神経梅毒にかかっていた。彼女の老いた大脳皮質を刺激していたのは、まさしくスピロヘータだったのである。問題は治療法だった。だがここで、ひとつのジレンマが生じた。K夫人が、いかにも彼女らしい頭の冴えを見せてこう言ったのである。「病気を治療してほしいのかどうか、自分でもわからないんです。病気だってことはわかるんですが、おかげで気分がいいんですからねえ。うれしいことでした。いまでもうれしく思っています。病気のおかげで、二十年来感じたことがないほど元気で、うきうきしているんですよ。楽しいんです。でも、良いことがいつかは度をこしてひどいことになるってこともわかるんです。あれこれ考えたり、いろんな思いにかられたことでした。お話ししたくありませんが、へんな、ばかげたことを考えたもんです。最初はすこし酔っぱらったような気分でしたけど、これが、度をこすとねえ」彼女は、気がふれたかのように、体をひくつかせながらしゃべりまくった。「キューピッド病にかかっているらしい、そう思ったから来たんです。これ以上悪くはなりたくないんです。ひどいことになりますからね。でも治りたくもないんです。これも同じようにいやなんですよ。だって、こんなにうきうきした気持ちを経験するまでは、ほんとうに生きてたなんて言えませんもの。いまのままの状態がつづくようにしていただけませんか」
われわれはしばらく考えたが、彼女のためを思うならどうすべきかは明らかだった。彼女にはペニシリンを投与することにした。ペニシリンは、スピロヘータを殺すことはできるが、いったん生じた脳の変化や脱抑制をもとにもどしはしないのである。
こうして、K夫人の希望は両方ともかなえられた。自己抑制が失われるおそれも、これ以上大脳皮質の損傷がすすむ心配もなく、思考と衝動はのびのびと解放され、おだやかな「脱抑制」状態を楽しんでいる。このようにもう一度元気に若返った彼女は、百歳まで生きたいと思っている。
「おかしいことね、これがキューピッドのおかげだなんて」と彼女は言っている。
〈ヒルデガルドの幻視〉
いつの時代にも宗教的文献のなかには、幻視についての記述が数多くみられる。そこでは、ことばでは表現できないほど崇高な感情が、燦然とかがやく光とひとつになって経験されているのである(ウイリアム・ジェイムズは、これを「他覚視」として論じている)。ほとんどの場合、そのような経験がヒステリー性の恍惚状態なのか、精神病的恍惚状態なのか、中毒によるものか、あるいはてんかんや偏頭痛によるものか確かめることは不可能である。しかし唯一の例外は、ビンゲンの修道女ヒルデガルド(1098年―1180年)の場合である。幼い頃から生涯を終えるまでに、数えきれないほどの幻視を経験した。彼女は二冊の写本、『汝知るべし』と『神聖なる労働の書』に、幻視についてのみごとな叙述と絵を残し、それらは今日まで伝えられている。
注意深く考察すると、これらの叙述と絵には、明らかにある特質があらわれている。それらは、まちがいなく偏頭痛性のもので、前にも述べたさまざまな視覚的異常感覚を示している。ヒルデガルドの幻視について長い評論(1958年)を書いたシンガーは、最も特徴的な現象として以下のことをあげている。
すべての絵にきわだって特徴的なことは、どこかに光が描かれている ― 光点はひとつでなく複数のこともある ーということだ。それらはたいてい、ちらちら光って波のような動きを見せ、しばしば、星だったりぎらぎら輝く目だったりする(図B)。多くの場合、他より大きいひとつの光が、ぎざぎざの同心円の集まりで表現されている。(図A)。はっきりとした砦のかたちが、彩色された中心からひろがって描かれることがある(図C・D)。幻視を経験した多くの者が述べているように、これらの光は、しばしば沸きかえるような激しい動きを感じさせるものだった。
ヒルデガルドは次のように書いている。
私が幻視を見たのは、眠っているときでも夢のなかでもありません。もちろん、狂気の状態で見たのでもありません。肉体の目や耳で感じたのではないのです。秘密の場所に閉じこもって見たのでもありません。ひらけた場所で、油断なく気を配っているときに、心の目と内なる耳とではっきりと感じとるのです。それは神のご意思なのです。
そのような幻視のひとつ、たくさんの星が海のなかに落ちて消えていく絵(図B)は、彼女にとっては「天使の落下」を意味する。
私はこの上なくみごとで美しい大きな星を見ました。そのあとを追うように、おびただしい星が南のほうへ落ちていきました……突然それらはすべて滅ぼされ、黒い石炭に変えられてしまいました……そして、深淵に投げこまれ、見えなくなってしまいました。
これが、ヒルデガルドの寓意的解釈である。これをただ医学的に解釈するとすればこうなるだろう。彼女は、視界を横切る眼内閃光を、無数に経験し、その軌跡が虚性暗点に入ったのだ、と。『神への熱愛』(図C)と『輝ける神坐』(図D)には、砦のかたちがでてくる。燦然と輝きまたたく色あざやかな点から、砦がひろがってのびている。これら二つの幻視が複合されたものが「天上の街のヴィジョン」の図である。彼女はこの城砦を、神の都の建造物と見ている。
極度の恍惚的熱中状態が、このような異常感覚にともなって経験される。とくに、最初の閃光の結果として第二暗点があらわれるという特殊な場合におきる。
私にはその光がどこから出ているのかわかりません。しかし、それは太陽より輝かしいものなのです。光がどれくらい高いところにあり、長さや奥行きがどれくらいなのか確かめることはできません。私はそれを「生命の光の雲」と名づけました。水面に太陽や月や星の光が反射するように、人間の書いたもの、言い伝え、徳や行いなどすべてその光のなかで輝いているのです……
ときおり私は、この光のなかに「生命の光そのもの」と名づけたもうひとつの光を見ます。それを見ると、悲しみや苦痛をすべて忘れ、私は、もう一度、老女ではなく純心な乙女になるのです。
彼女の恍惚状態には、深い神への畏敬と哲学的な意味がふくまれていたのである。そのような恍惚の境地で見る幻視は、ヒルデガルドが聖なる生活をおくり、霊の人として生きるのに役立った。しかし、これは特異な例である。大多数の人にとっては不快で無意味な生理的な現象も、選ばれた人にとっては、至上の法悦的霊感の源となるのである。おなじような経験をした歴史上の人物としては、ドストエフスキーがいる。彼は、ときどき、てんかんによる法悦的な異常感覚を経験した。彼にとって、それはきわめて重要な経験だったのである。
ほんの五、六秒のみじかい時間だが、永遠の調和の存在を感じるときがある。恐ろしいことに、それは驚くべき明晰さで姿をあらわし、魂に法悦をもたらす。もしこの状態が五秒以上つづくなら、魂はそれに耐えられず消滅してしまうだろう。この五秒間に、私は人間としての全存在を生きる。そのためなら、私は命をも賭けるだろうし、賭けても惜しいとは思わないだろう。
哲学的形而上的思弁にふけることは、ことに男性の場合、正常な青春期の兆候とみなすことができる。しかしこれは病的な方面においては、青春期の精神病である精神分裂病の心理学と密接な、しかも一定の関係を有している。青春期はこの哲学的形而上的思弁の傾向によって、少年期のその場かぎりの素朴な体験から明確に区別されるとともに、成人した男子の現実的な精神態度とも厳格に区別される。かくて青春期の理想主義はたいていの場合消失するものであるが、中年期に至ってもなお精神的興味の重点が思弁的なものに向かっているような場合は、これを生物学的に青春期発達の制止、すなわち若年型と解釈せねばならない。このユヴェニリスムスと性的素質との関係は特に哲学者の結婚観にあらわれている。「結婚した哲学者は喜劇の部類に入る」というニーチェの言葉のとおり、結婚した哲学者の数は統計的にも、普通人に比してはるかに少ない。またたとえ結婚したとしても、その結婚は非常に不幸に終わることが多い(ソクラテス、ベーコン、コント、ヴォルフ、D・F・シュトラウスら)。哲学者の結婚時期がまたその発育制止を物語る上において特徴的なものである。ヨーロッパでは、40歳以後の結婚は平均して9パーセントにすぎないが、哲学者ではかかる遅い結婚が40パーセントにも達しているのである。しかし哲学者の古典的なタイプの一は何といってもカント、ショーペンハウアー流のひどく女ぎらいの風変りな老独身者であろう。カントの従僕ランペは、自分が結婚したことをどうしても主人に報告することができなかった。彼が再婚したとき、カントは自分の従僕がすでに永年のあいだ結婚していたことを初めて知って、驚きかつ怒ったということである。
理想主義的熱情へ傾きやすいこともまたある程度まで青春期の特性である。これはふつう青春期以前にあらわれぬ傾向であり、また多くは年齢の進むとともに現実的な平静と置き換えられるものである。それにもかかわらずたまたまこの理想主義的熱情すなわち「青春の炎」が永続する場合がある。これは社会的には価値の高い性質ではあろうけれども、生物学的には、青春期発達の部分的発育制止と言わねばならぬ。
(あくまで生物学的には、という点に留意。社会情勢が変わって、経済的停滞や政治不信などが続いていると、社会構造の大胆な変革を望む声が大きくなってきて、病質的な理想主義的熱情が有用性を帯びてくる。病理と社会とはつねに相対的な関係にある。)
最後に、天才の中には、基本的な欲動生活の発達が貧弱でかつ平凡な人々が多い。どちらかと言えば理論家的学者の中に多く、そのさいしばしば見られるのは、食物その他の生活上の肉体的快楽に対するはなはだしい無欲である。また性的欲動の方面でも、性愛に全く無関心な人や、欲動の欠損から独り身で終わる人が少なくない。
人間の欲動構造の体質的変種形成は、一部分一次的なものにせよ、ちょうど動植物界の変種や突然変異の場合と同じく、その価値の高さと直接の関係はない。一種族の中の遺伝的結合から、価値の高いもの、凡庸なもの、害のあるもの等、さまざまな変種が作り出されると同じように、人間の欲動変種の場合もまた、精神的発展の最高の可能性の源泉(形而上的憧憬、献身、義務観念、禁欲、理想主義等)が、有害無益な変種の欲動根源(倒錯症、神経症、精神病等)ときわめて近接していることが時折りある。しかしそれに価値を見出すかどうかは、その時代の社会の状況によって変化する。
補遺 : 健常人だけを人間と捉える見方は、人間というものをあまりに狭義に扱いすぎであり、今後の人間の進化の方向性、人間の発達の可能性を阻害する。ロシアの博物館クンストカメラにあるように奇形もまた人間なのである。どのような身体的変異、どのような精神的変異をもっていようとも、社会にとって有害、無害、有益をもたらすそれらの事例をすべてひっくるめて人間なのである。この視点に立ってこそ、はじめて人間の新たな可能性を探索することができる。




