●クレッチュマーの研究紹介、ダイモニオン
ここからクレッチュマーの研究成果をメインとして紹介する。クレッチュマーは、まず手始めに天才(実際はほとんどの人間)の精神の内側には、古代ギリシア人が唱えていた“ダイモニオン( daimonion)、[派生語:デーモン(demon )]“が存在するとしている。ダイモニオンを簡潔に説明するのはむずかしいが、ここではひとまず
”魂の奥底から沸き起こる精霊の呼びかけ”
と解釈しておく。これに紐づけられることの一つが、フランスの天才少年詩人アルチュール・ランボーの詩編「飢餓の祭り」だ。
飢餓の祭り
ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー作/中原中也訳
俺の飢餓よ、アンヌ、アンヌ、
驢馬に乗つて失せろ。
俺に食慾があるとしてもだ
土や礫に対してくらゐだ。
Dinn! dinn! dinn! dinn! 空気を食はう、
岩を、炭を、鉄を食はう。
飢餓よ、あつちけ。草をやれ、
音の牧場に!
昼顔の、愉快な毒でも
吸ふがいい。
乞食が砕いた礫でも啖へ、
教会堂の古びた石でも、
洪水の子の磧の石でも、
寒い谷間の麺麭でも啖へ!
飢餓とはかい、黒い空気のどんづまり、
空鳴り渡る鐘の音。
――俺の袖引く胃の腑こそ、
それこそ不幸といふものさ。
土から葉つぱが現れた。
熟れた果肉にありつかう。
畑に俺が摘むものは
野蒿苣に菫だ。
俺の飢餓よ、アンヌ、アンヌ、
驢馬に乗つて失せろ。
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
この詩編は読解する人々の心に強烈に訴えかけるものがあり、ありていに言えば、心の琴線にふれる。それは読み手である人々の心の奥にダイモニオンがあるからである。さらに別の角度から表現をすると、試合が近くてキツイ減量をしているボクサーに見られる神経が肌から露出しているような感覚過敏とこれに伴う衝動(例:ちょっとからかっただけで急に暴力的に襲いかかってくる)もダイモニオンによるものと捉えることができる。このような感覚過敏性あるいは繊細さと現代人間社会のあいだに横たわる緊張感や不安感の増大が、人を何らかの精神神経障害にかかりやすくさせるとともに、社会全体としてはこれらによって後戻りできなくなる力と前進性を得ることとなる。一言でいえば人間の集合は、ダイモニオンに背中を押されて前に進むしかなくなるということである。
留意: 社会において目に見える部分の治安が良い場合でも、人々の精神的よりどころとするもの(例:宗教)への信仰心やそれに代わる対象の存在の希薄さが募ると大衆心理の不安は増大していく。




