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透明な神経の向こう側  作者: poruru09
第1A部 パトグラフィ

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●アイヒバウムの研究紹介

 天才問題の起源は古く、2300年前にはアリストテレスが考えていた。アイヒバウムもクレッチュマーと同じく精神医学的・心理学的な具体事例を分析しているが、それと同時に社会科学的な分析を行っているので、この分析手法がどのようなものか簡単に紹介する。

 まず天才と呼ばれている人は名声を伴っているので、名声がある人物のうち天才(例:ゲーテ)とそうでない人(例:探検家コロンブス)により分けていく。さらに業績の価値、健康か精神異常か、有名かまだ無名か、天賦の才の有無という判断基準を設けてより分けていく。これらのふるい分けとともにアイヒバウムは“天才和音”という素晴らしいアイデアを持ち込んで天才研究を行った。


〈天才和音(大衆側の感情和音)の構成要素〉

・「卓越している」という印象

天才とよばれるには威風堂々としていなければならず、われわれが不可能としていることを成し遂げられる必要がある。このような感情音を呼び起こすのは、すぐれた天賦や独特の才能素質のはたらきであることがふつうである。アレクサンダー大王、カエサル、ナポレオン、ミケランジェロ、ベートーヴェン、ゲーテ、ビスマルクを考えるとき、われわれは卓越、崇高、畏敬の念、巨大さの感情をつよく呼び起こされる。われわれの自我自身がこのとき追感によってともに高められるのである。


・崇拝者を捉えて離さない魅力

何か人の心をうばい去るもの、ひきずりこむもの、尽きぬ力の泉といったものが崇拝者の心をとらえなければならぬ。もえあがる感動、倫理的な高潔さ、心のふかみからの情熱、死にいたるまでの自己に対する誠実、人をうっとりさせる弁舌や作詩力ある一つの理念のために火刑にあってもたじろがない情熱といったものが必要である。シラーの情熱や歴史上における熱狂者のはげしさなどである。


・魔術的な支配力

人の心をとらえてはなさぬもの、魔術的な支配力、人に媚びよろこばすもの、心をさそいだす力である。利用価値もまた実際によい味のしたものでなければならぬのであって、発明ならばそれから出る便利さ有用性が欠けてはならないし、芸術では審美的なはたらきかけがい要る。また理想的な人間像 ― 自分の理想像が、作品のなかや(ファウスト)、作者である天才そのひと(ゲーテ)の人柄にはめこまれていなければならない。崇拝者は作品をあじわいながら同時に自我の高まりに心地よく身をまかせることができるのである。こうした魅惑はラファエロの絵やモーツァルトの音楽から、世界文学における数多くの抒情詩人たちからわれわれに流れ入ってくる。


・特別なもの、異様なものという印象

一番大切なのは、なにか特別なもの、異様なものという印象である。奇跡を見ようとするなら、精神がまず驚嘆しなければならない。最高の芸術創造はそれだけでもう奇跡に値する。今までまったくなかった新奇なものを生みだす事業、人物と行為における秘密にとざされたもの、理解しがたいもの、謎に包まれたもの、その人の運命のふしぎさなどみなこれに属する。例をあげれば、シェークスピアのハムレット、ストリンドベリの戯曲、イプセンのペール・ギュント、ゴッホの絵などがかもしだす感情音がそれにあたる。


・不気味、残酷、恐怖を生みだすものという印象

ところでこうした肯定的な正の感情音に対して、他方で負の感情音がすえられる必要がある。なにか不気味で残酷なもの、しらぬまに恐怖を生みだすものが崇拝者の背すじに戦慄をもよおさせ、「自分が否定滅亡させられるかもしれぬ」という不安の嵐がはるか彼方からふきよせてきて、存在はぐらつき、奈落の口が足もとにひらく。こうして否定の可能性が裏打ちするために、いろいろの肯定的感情音がなおのこと肯定の色をふかくする。価値をおびやかすものがあれば、その価値は一段と高くなり、強力な混合感情が発生し、肯定的なものが否定的なものを強化したり、その逆の場合が生まれたりする。不気味さはあるいは作品の中にあらわれ、あるいは作者の性格のなかに潜み、あるいはまたその人物の宿命のなかにやどっている。花冠を頭にいただいた殉教者の姿、こういう形の天才を崇拝者はしらずしらずのうちに描いて愛するようになる。


・万人から偉人とみとめられた名声

何十年か時がたつうちに、さらに第6の音が加わってくる。偉人という名声によって天才和音の全体は不可侵な神聖和音へと変貌をとげる。こうした全感情音が融合するときに最強の混合感受が生ずるわけであるが、一つの音も欠けていないときは崇拝者たちにとって神聖の体験そのものとなり、主観的な天才和音がなりひびくのである。

 

 こうして今度は、崇拝者たちが他人に自分たちと同じように偉人として認めるよう強いる、いわば布教活動を行うことによって、天才の名が広がっていく。そして社会にその名が定着していくこととなる。


 例としてナポレオンをあげてみよう。卓越性という音は、彼の軍事的政治的な成功や、実際的な手腕からうける印象のなかに含まれており、人の心をうばい去る第二の音としては、あくことをしらぬ権力欲、ためらいをもたぬ意志の強さがそれにあたる。人の心に媚び人を魅了する魔力としては、フランスの誇りとまでなった彼の成功があり、特別なもの驚嘆に値するものにあたるのは、平少尉から信じられないほどの権力を手に入れて皇帝の座にまでのぼったロマン的な出世話がある。つぎに不気味なものとしては、生前すでに欧州の鬼神と人々に思われたあの爆発性と不可測性、底のない支配欲などがあり、彼の敵すべてに神秘的な恐怖の念をうえつけたものだった。死後これらの印象音のうち二つがところをかえた。一つは当時のフランスにおける名声である。今の人々はこうした栄誉なぞなにもかまいはしない、けれども彼ら崇拝者たちはナポレオンの画像をよびおこし魔力をふきこんで、形をかえ英雄化して理想の人格像としたのであった。もう一つの点はセント・ヘレナに流罪されたことからくるが、ひとりきりで幽囚の身となったことが人々に不気味な味をもたせ、彼の最後には戦慄と悲劇が感じられる。

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