●エルデシュが見たもの
ポール・エルデシュは、ハンガリー・ブダペスト出身のユダヤ系ハンガリー人の20世紀の数学者である。論文数の多さは史上第二位、共著論文の多さは第一位、天才はふつう孤高タイプが多いがエルデシュは誰かといっしょに数学の研究をすることを好んだ。生涯を通じて、数学・コーヒー・子どもを愛した。1913年にオーストリア=ハンガリーのブダペストで生まれた。3歳にして暗算で三桁のかけ算ができた。4歳で負の数の概念を発見し、さらに母親といっしょに店にいたときに突然泣きだして、「いつか僕は死ぬんだ」という大発見をした。ふつう子どもというものは自分たちが死ぬなどとは思いもしない。それ以来、エルデシュは若くありたいとつねに願うようになった。
両親は高校教師で概ねエルデシュの小学生時代までは平和だったが、内戦が起こり父親とはしばらく離別、母親と二人で生きてゆくことになった。子どものときから奇妙な側面があり、自分の靴ひもがうまく結べなかったり、スケートを滑っている姿はまるでサルのようだったという。母親はエルデシュを本人の特性に合った方向へ正しく誘導した。
数学者になって20代前半から、放浪癖がはじまってさまざまな研究機関や他の数学者の家のあいだをたった一つのスーツケースを持って4大陸を飛びまわった。朝方4時に「きみの頭は営業中かね?」と他人の家の戸口に現れ、1日19時間数学のことを考え続け、「博物館に行ってもついていくのは彼の体だけだった」というくらい数学以外のことに興味を覚えることはほとんどなかった。お金や物に対する執着もほとんどなく、大学の職ではじめてもらった給料を生活に必要な分だけを抜き取って、残りはホームレスにあげてしまった。“数学界の歩くキリスト”と言ってもいいような人物だった。
また、エルデシュ語という独特な言葉を使っていた。子どもと女性は「ボス」で男性は「奴隷」、『子どもがボスで男性が奴隷なら、男の子はどうなるんだい?』という質問に対しては、『子どものうちはボスだが、女性の尻を追い回すようになったら奴隷になる』とのことだ。アルコールは「毒」、音楽は「雑音」、数学の講義をすることは「説教」、学生に口頭で試験をすることは「拷問する」、アメリカは「サム」でソ連(現ロシア)は「ジョー」と呼び、数学をやめた人は「死んだ」、死んだ人のことは「(この世を)去った」、生まれてきたことを「漂着する」と表現していた。また、子どものこと自体は「ε(イプシロン、無限に小さな数)」とも呼んで愛していた。
無神論者ではあったが、すべての美しい定理や証明が書かれている『天書(The Book)』の存在は信じていた。常に天書を見られるわけではないので、エルデシュは神に相当するSF(Supreme Fascist:最高のファシスト)が、天書を独占しているとして怒っていた。
エルデシュが真空点に到達したかどうかは定かではない。しかし、自分自身の使命ははっきりと自覚していた。それは「数学を前進させる」ことだった。軽躁状態に入っていないと、新しい証明や定理を生みだすことはほとんど不可能である。コーヒーの力を借りながら頻繁に軽躁状態に入っていたのなら、その時分に「大いなるもの」の存在を感じていた可能性が高い。20代から放浪癖がはじまったということは、軽躁状態をなるべく長く維持するためには、巡礼的な生活をしたほうがよいことを経験的につかんでいたことを示唆している。(日本人の場合は、松尾芭蕉のことを想像してみるとよい。)そうこうしているうちに「大いなるもの」の存在から「天書≒真空点」の実在性へとその直観が移行していったことが考えられる。




