●太古からの血の記憶
大事なことなので記しておく。記憶には、脳内への書き込み・保存・再生(読み込みおよびプリントアウト)の三つの機能があり、最初の二つについては海馬が大きく関与していることがわかっている。海馬は脳における「記憶の司令塔、記憶の貯蔵庫」とも言われている。短期記憶は海馬に蓄えられる。繰り返し同じ内容のことを上書き(一般的に”学習”と呼ばれているもの)していくことで、長期記憶に遷移し、海馬以外のところ(主に大脳皮質)に記憶が貯蔵されていく。ここからが本題だ。
Kの体験では、うつ状態のときは記憶の再生がうまく働かず、躁状態のときは記憶の再生が活発になるということだ。
これは、女性の場合でもよく起こることだが、結婚している男女を例として、妻がうつ状態のときは料理の手順がうまく思い出せなくなるのに対して、旦那と口論になったときは興奮によって見かけ上躁状態になることがあるので、いろんな記憶がどんどん再生されて、いま問題にしている口論のテーマと全然ちがう話を持ち出してきて、「あのときあなたはこうだった!…」というようなことを言われて、へき易した男性は多いだろう。
またかなりの割合で女性はスケジュールの計画を立てて、長期間計画どおりに行動するということが苦手である。
これは気分の変調が男性に比べて激しいからであり、今日は気分がよくてこのまま思いどおりに明日も行動できそうと思っても、翌日の朝になれば気分が重く体を動かすことがままならないことがあるためである。
この意味ではこのような女性は生まれながらにして、ごく軽い躁うつ病または気分変調症であるとも言える。そして、これは女性、子ども、歴史上の天才に共通していることでもある。しかし、今挙げたこと以外に女性の特徴としては物事を論理的に整理して、その論理の演繹として近い将来のことを予測するのが不得手だったり、いろいろなことに気を囚われすぎていたりする。もちろん男性には苦手な活動である複数のタスクを同時並行で処理できる能力があるという優位性も存在する。
これに対して、男性の特徴としては自閉的傾向があり、1つの物事に、つまり一点に生命エネルギーを集中させることができるということがよく見受けられる。
天才に共通している基礎能力としては、上に挙げた少なくとも3つのこと、躁うつ状態が発動している、論理的に思考できる、エネルギーを1点に集中し続けることができる、という状況が見受けられる。簡単に言ってしまえば天才の特徴の一つは、女性と男性の両方の能力を持っている人、精神的な意味での両性具有性をもつ者である。両性具有者は神話の世界でも度々登場してくることでも知られている。
この記憶の再生に関連したこととして、20世紀の天才数学者ポール・エルデシュは、1970年にロサンゼルスで「数学における私の初めの25億年」について「説教」(エルデシュ流の言い回し。数学の講義のことを指す)した際に、「私が子供のとき、地球は20億歳だと言われていた。今ではそれが45億歳だと科学者たちは言う。それならば私は25億歳になる」と語った。学生たちに恐竜はどうだったかと問われると、しばらく考えたのちひらめいて、「そうだねぇ、覚えてない。年寄りはごく若い時期のことしか覚えていないが、恐竜は昨日、たった1億年前に生まれたから」と答えたという。この逸話はエルデシュが太古からの血の記憶をもっていたことを暗示している。
エルデシュもそうだがKも太古から連綿とつづいている血の記憶がよみがえることがあると言っていた。この血の記憶は詩人リルケが『ドゥイノの悲歌』(第三の悲歌)で詳細に書いていることから、特定の人間だけが保有するものではないことがわかる。第三の悲歌は“生と性の血の記憶”についての内容となっているが、それをかいつまんで書いていくと、
人の心の奥底にかくれすむ「血の河神」は若者の心をかきむしる。やさしい少女のなぐさめも役には立たない。悦楽の王であり若者を内側から喰い破る暴君でもある「血の河神」。これは血の記憶のなかに太古から受け継がれているものである。母親は幼子を守る。「不気味なもの」「怪しい部屋から敵意」をうばい、母親の胸は「庇護」を与える。多くのことをやさしく母親は成し遂げてくれて、幼子の前に立ちはだかる「運命の暗影」を戸棚のうしろへ、カーテンの襞にくるんで隠してくれる。
しかしその眠りの中に、幼子の成長とともに「心のつる草」が「怖ろしいものら」と関わりあう。幼子はやがて「新参者」として巻き込まれていく。「奇異なさまざまの生の図柄」「呼吸もふさがるほどの繁茂」「野獣のような疾駆の形態」が現れる。彼はそれに身をゆだねる ― そして、愛したのだそれらを ― 自分自身の内部の荒野を、鬱林を、岩塊を。かれは歩いていくその峡谷を、より古い血のなかへと。するとその底には「あの怖ろしい怪獣」がいるのだ、祖先たちの血に飽きて横たわっているあいつが。怪獣は彼に微笑みを送る。ずっと前から知っていたように。いや怪獣のほうでは確かに知っていた、だからこそ甘やかな微笑みを送ってくる。そして彼は愛した、この怪獣を、この記憶を。われわれが愛するときわれわれの肢体には「記憶もとどかぬ太古からの樹液」がみなぎりのぼるのだ、これが人々の感情を激しくほとばしりさせるのである。
太古からの血の記憶を具体的に筋みち立てて説明することはできない。Kでさえ、血の記憶はあらゆる方向からのイメージの連鎖としてしか見えなくて、言語化できないと語っていた。Kが言うには、太古からの血の記憶が伝えるもの、それは流れ出るおびただしい血、いろんな種類、絶滅していった多くの生き物の阿鼻叫喚、そして、つかの間の悦び、ほかには雑多な感情、それくらいしか伝えられないと語っていた。
最後にKの書き置きを加えておこう。
言葉にならない無音の波の絶叫を、創造性に転換して前に進んでいくしかないんだ。現状の社会に適合するように、いろいろ試したけれども、どうあがいても違和感が消えなくて全部失敗した。結局選択できたものは、単純にそれが最後に残された道だったから。こんな簡単な答えを出すのに膨大な歳月を費やしてしまった。




