第1B部 Kという人物に関すること
生い立ち、混迷の時代、暗い海の底でもがく/出発、風が来たりて/人工物からは見えてこないが、その他から見えてくるもの、星空と雪が恋しくて/抽象思考の罠/太古からの血の記憶
●生い立ち、混迷の時代、暗い海の底でもがく
個人情報が特定されない範囲内で、Kがどういう人物だったかを記していく。真空点が存在することはKから教えてもらった。Kは男性で20代までは特筆すべきことは何もない。ふつうの少年・青年時代を送ったようである。アスペルガー症候群であるということを除いては。Kの幼年時代から少年時代にかけて強く残った思い出は、主に木造家屋の屋内でマッチを擦って飛ばす遊び、秋の収穫が終わったさびしい広い田んぼでの一人野球、家の屋根駆け上がりチャレンジ、雨が降ったあとの電線に感電して地面に落ちながらも人の接近を許そうとしなかった鷹の威厳と体が動かなくても空の支配者であろうとするその鳥の強烈な瞳、やさしく精神力の強い母親といったところだ。
30代前半までは不器用なりによく働く人間であり、ストレス発散も彼なりの方法で実践し、心身の状態はおおむね良好だった。やりたいことはあったが、日々の仕事に忙殺されてなんのために生きているかはわからなかった。あるとき仕事中に急に左肩が上がらなくなり東洋医学の診療所に行った。触診後、目の見えない経験豊富なお年寄りの鍼灸師に「あんた、ひどい背中してるねえ。まるで数十年重労働してきたような人の背中だよ」と言われた。抜群の手腕をもつ人のおかげで肩は治った。また公私ともにトラブル続きになったときは、病院で軽いうつ病と診断された。本人は自覚していなかったようだが、元来感覚過敏、つまり神経質で繊細であるとともに、アスペルガーゆえの特性により通常の人よりも現況の世の中に適応していなかったことが身心不調の原因になっていたと思われる。
自分自身の体が思うように動かず、ひざをハンマーで叩き壊したい気分になったりもした。暗い海の底でもがいているような精神状態がしばらく続いていたが、ある時期に変転するきっかけが来た。メール友だちの一人とやりとりしているうちに得たヒントをもとに、詩を書きだすようになった。もともとは詩をつくるつもりはなくて、思ったこと、思いついたことを携帯にメモして、それを自分の携帯宛に送受信して内容を見返して添削したらまた送受信を行うということを繰り返ししているうちに詩の形になった。この作業をはじめだしてからKの精神状態は変わっていった。躁状態が発動した。この延長線上でKは、真空点の実在性を体験した。




