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透明な神経の向こう側  作者: poruru09
第1A部 パトグラフィ

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〈両極的対峙緊張〉

 事業的天才の単純な基本本能と言われる「権力への意志」に関してもまた一種特別な現象が見られる。すなわちかかる権力に対する欲求を持ってあらゆる努力をするにもかかわらず、歴史上の重大な役割にはまったくあずかり得ない人物もいれば、これに反し他動的に一歩一歩前に押しやられつつもなお事を決せねばならない段に立ち至ると尻込みする、世間嫌いで取り越し苦労の逡巡家が、国民的熱情によって強制的に揺り動かされ克服されて、思いもよらぬ国民的大事変の中心人物となるような場合もあるのである。たとえば、ドイツ復興時代のウールリッヒ・フォン・フッテンである。彼は精神的、政治的指導権の獲得を目指して努力したのであるが、それはかえってこれを拒否したマルティン・ルターの手に与えられてしまった。ルターのような人は、取り越し苦労をする人であるがゆえに図らずも指導者となり、国民的英雄となったのであって、心理的に特別な権力への意志を持っていたわけではない。ルターは当時、重い憂鬱症からようやく回復したばかりで、自己の心中にある得体の知れぬ力と闘うことにのみこれつとめていた。シラーと同じく、彼もまた幼時から、父親に対する頑固な反抗心を心中の刺として秘めていた。そして彼の場合、父に代わるものはローマ教皇であった。彼はこの教皇に対し、該博な学識をかたむけて法戦を挑みつつあるあいだに、図らずも時代の車輪に巻き込まれてしまったのである。占星術の信奉者であった武将ヴァレンシュタインのように、ルターもまた時の力によって心ならずも一歩一歩前に押しやられた。今日一歩前進するかと思えば明日は二歩後退し、血に狂った農民らによって首領と仰がれるかと思えば、狡猾な王侯たちには将棋の駒のようにもてあそばれる。ルターは内心の不安から気味悪く哄笑したり、声高く虚勢を張ったりもした。帆に当たる時代の暴風のすさまじさに、あらゆる古い錨綱にしがみつき、憎悪と荒れ狂う感激とによってひき裂かれるような思いもした。 ― 要するに世紀の英雄ルターにもっとも爆発的な飛躍力を与えたものは、「権力への意志」ではなくて「意志に反する権力」であったのである。


 アードラーはニーチェの思想内容に言及して「権力への意志の絶対的優位」について述べている。「この権力への意志は一つの主要な虚構物であって、劣等な身体器官を有する子どもの劣等感が表面に現れることが鋭ければ鋭いほど、この権力への意志はいよいよ激しく、ますます早期に、しかもしばしば急激に作り上げられてゆく」のである。彼はとくに神経症患者の心理から、このことに関する立派な説明と立証的観察とを導き出した。彼らの強者的な姿態は生命庇護のための模造物であり、弱者の呈する擬態であり、権力への欲求は劣等感の補償過剰であるとみなすことができる。かかる事実の例証は、あのどもりのデモステネスが一変して弁舌の人となったむかしから、高名な人々の伝記の中にしばしばみられるものである。しかしながら、天才的な例外的業績の問題までを、神経症のみに当てはまる単一な形式をもって説きつくそうなどと思ってはならぬ。なぜならば、遺伝素質に基礎を置く知的特殊才能を度外視しては天才問題は決して片付かないからである。名誉を渇望する神経質者の多くは自己の弱点を過度に補償する。しかしあらゆる努力を払った末に彼らが得るものは、神経症とか、むなしい芝居じみた姿とか、またはたかだか通常人の仕事ぐらいにしかすぎない。彼らの中のごくわずかのものだけが、この方法で多少とも社会的に価値の高い成果に達する。そしてすぐれて良好な遺伝素質をもつ全く稀有な特殊人のみが、その痙攣的な神経症的緊張によって天才的行為にまで達しえるのである。


 しかし、この補償過剰なるものも、すべて生活力の弱い人にかならず見られると限ったものではない。否、臨床的にしばしば見られる神経質者というものは、無気力で、陰気で、意気地がなくて、積極的に力ある地位を造り出そうとまじめに考えるでもなく、つねに同じ生活にしがみついている人たちである。補償過剰が起こるのは、むしろその個人の本源的素質の中に、一部的な生活力の薄弱と同時に強力的な成素、すなわち真に積極的な力の感情と積極的な作業能力という要因が併存するような場合である。このような場合には、このたがいに強い対比を示す素因は、同一人の人格の両極に地位を占めて、著しい対立とするどい対峙的緊張とを示すのである。そこである人格内に強力的部分的素質が豊富にある場合には、それは無力的な成素によって過度に刺激され、やがて最大の能力を発揮するに至る。この素因の強力性と無力性という両極性は、他の箇所でも述べたように、精神医学領域における好訴症患者や過感者らの妄想形成から、上は偉大な天才的事業までの、もっとも重要な動因となるものである。


 たとえば、ルターなども、一方には激しい不十全感、うつ状態、はなはなだしい不安、動揺不安定な決断力、さてはある種の伝承的な象徴に対するほとんど強迫的な固執等の兆候をもっていたが、それと全く同時に、農民のみがもつような逞しい生活力、たとえば強い迫力のある語調や、圧倒するような諧謔や、重大な人格的危機に臨んでの堅忍不抜さや、またその著作活動のテンポにうかがわれるような純肉体的な驚くべき作業能力をもあわせ持っていた。ビスマルクも同様で、植物神経系の極度に刺激されやすく疲れやすい脆弱さを持っていたにもかかわらず、生命維持に必要な身体諸器官は健康な力に満ちていた。非常な艱苦と不規則きわまる生活様式との中にあって彼が長寿をまっとうし得たのは、一にこの健康の賜物である。もちろん生活感情における強力的部分の源泉は、つねにかならずしも以上のような末梢的な肉体的な性質の中にあるわけではない。それは、強靭な意志、深慮ある知性、分裂病質的自閉性、軽躁性の体質因子などの中に宿り得る。要するに最高の精神的事績は、単純な力から生まれるものでもなければまた脆弱さをかくそうとする単純な神経症的な擬態から生まれるものでもない。それはむしろ精神内部における強力性と両極的対峙緊張から生まれるのである。そしてかかる両極性は、ビスマルクに見られたと同じように、父系遺伝質と母系遺伝質とのあいだの大きな相違、すなわち「胚種対峙性」に起因することが多い。


 素質的な意志の粘着性が、敏感な自己批判と不十全感の底流にさいなまれ、その影響をうけつつおもむろに発達して、ついには洗練された高度の業績にまでたどりつくことがあるが、このことをモルトケは彼自身について述べている。彼は29歳のとき、同胞のルートヴィヒに宛てて次のように書き送った。「私には教育がなく、ただ鞭撻のみをうけて育ったので、自分の品性をつくることができませんでした。このことを私は幾たび悲しく思ったことでしょう。自分自身の中にこの支えがないこと、他人の意見を絶えず顧慮すること、また理性が生来の傾向を越えて圧倒的に強いことさえもがしばしば私に後悔の念をいだかせます。……このようにしてもっとも不幸な性質ができ上がりました。すなわち性格の弱さです。……その上、この弱点に一つの内的原則が加わって、私は非常に敏感になり、すべて下品なものを卑しむようになり、また非常に傲慢にもなりました。これらがこのこわれやすい船をしばしば激しい潮の中へと駆り立てたのです。……私は世の中のほとんどすべての人たちを、その欠点ゆえに、その粗野や無頓着や率直のゆえに、しばしばうらやましく思わずにはいられませんでした。……」

 敏感性の基礎現象である自尊心と激しい不十全感とのあいだにある強力的・無力的両極性が、性格発展の本来の原動力となることを、このモルトケの言葉以上に巧みに書きあらわすことはできない。そしてこの内的な不確実と自己の評価への懐疑とは、つねにモルトケの心中の底流となって後年に至るまで絶えずつきまとっている。参謀本部の部長であった48歳のときに、彼は次のように書いている。「私には結局今まで以上の大きい活動に堪え得る能力がないことがわかりました。すべてこれらの関係から離れたいという考えは、何度となく、繰り返し心の中に熟してきます。」と。 ― そしてこれと全く同じ言葉が、後年までも繰り返される。彼は自分を「敏感な気むずかしい性格」だとしている。

 全体として晩成型の人物であったモルトケの身体的精神的人格の完成した姿は、クレッチュマーらが「精神感性の釣り合い」と名づけたもので、細長型分裂気質のじつに典型的な形態であった。少尉時代には、この長身痩躯のモルトケの外面的行動はなお均衡を欠き、この男が軍人となることは非常にむずかしいと思われたが、その後、この敏感性は、押し出しの立派な自制力のある簡潔な言動におおわれて目だたなくなった。晩年のモルトケは、外面的には「長身のまっすぐな姿」で動きが少なく、非常にまじめで、寡黙で、かたい彫刻のような顔つきをしていた。危機に瀕した戦争の瞬間においてすら、氷のような冷静さを保ったことは天下周知のことであり、この冷静さが周囲にも感応して、彼は反射的に人々を指導し統制することができたのである。

 モルトケの性格のこの方面は、もっぱら同一の気質圏内における重点の移動によって、まったく種類のちがった英雄的事業へと彼を導くこととなった。すなわち彼の業績は、彼の冷ややかな気質、艱難と危険に対する冷静さ、理想とする目的の追求の際に当面する現実的困難への強い執着と自閉的盲目性等にもとづいて打ち立てられたものである。遺伝素質の中で生来的に作られているこれら定型的な症候群を、われわれは特に冷淡な分裂病患者の中に見出すのだが、そのさいなお神経症的な補償過剰が関与することもある。


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