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透明な神経の向こう側  作者: poruru09
第1A部 パトグラフィ

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〈ビスマルクの場合〉

 ビスマルクは力に満ちた古代ゲルマン的勇者として、剛直勇敢の武人として、たくましい筋肉と鋼鉄の意思とをあわせもつドイツ国の建設者として、また神のほか何ものをも恐れぬ鉄血の人として、端的に言えば不壊の健康とドイツ的剛直さとの典型として、今なお一般人の意識のうちに生きつづけている。

 だが、ビスマルクその人の示した姿はこれらとはおよそ似つかぬものであった。イギリスの画家リッチモンドは彼に関して次のように言う。「ビスマルクは実に人好きのする、愛想のよい、神経質な、繊細な人物だ。私は彼にあなたはほんとうにあの鉄人ビスマルクその人なのですかとたずねたところ、彼は答えて、いや、私の厳格さは習いおぼえたものにすぎぬ。私は満身これ神経と言ってもいいほど神経質な人間なので、いきおい自制ということを唯一の生活信条とせざるを得なかったのですと語った」と。そしてこれが単なる空語でなかったことは、次に述べる事実からも確かめられよう。すなわち、彼ビスマルクは、病的と思われるほど過敏な祖父と、病弱で、神経質で、利己的で、感情の冷ややかな母とを持って生まれたのである。この母の性質は全く周知の一臨床型に相当するものであった。


 ビスマルクの両親の性格を、彼らの新婚時代を知っている岳父メンケンの同僚の一人の書簡(1817年6月20日)からうかがうと次のとおりである。「彼女の神経は非常に弱く、そのため、すでに6カ月も、ここでヴォールファールトから催眠術を受けています。そして彼女はこの催眠術が彼女の行う透視にも役立つと言い張っています。ところが彼女の夫は彼女があらゆる透視を試みたにもかかわらず、羊毛の市場価格が下がることさえ予想できなかったと言ってこぼしていました。」 ― この妻に配するにこの夫、これ以上異なった性格の取り合わせを見出すこともむずかしいであろう。このビスマルクの父は勇敢な土地貴族の出身で、大食家でまた飲酒家であり、文法に無関心で「私に」と「私を」の区別も気にしないほどの人であったが、ユーモアに富んでいて、子どもたちに対しては心からの情愛を示した。 ― ビスマルクの両親の場合と酷似した組み合わせは、マルクスの両親にも見出される。われわれはそれをマルクスの伝記によって知ることができる。 ― 遺伝素質の中にあるこの内的対立を克服して、時代の風格ある代表的人物にまで大成することを得たビスマルクの業績は、ほとんど信じがたいほどものである。


 ビスマルクはすでに青春発育期に自己および世間に対して絶えず不満を抱き、また精神的均衡と調和とを欠く特異な姿を示していた。学生時代から婚約時代にかけては狂暴放縦に流れ、酒宴や乗馬や決闘などに憂き身をやつしていたが、しかもこれらは奔放な青春の歓喜から生まれたものではなく、神と世界に対する陰鬱な不満と完全な離反とに根ざしたものであった。また彼の職業選択の際の紆余曲折も、特徴的であった。当時彼は領主になろうか、官吏になろうかといろいろと迷い、ほとんど決定しかねるほどであったが、かりそめの情事から突然無断の出奔をして以来、職業に関する迷いもこの衝動的な激情にかられた行動によって決定されてしまったのである。彼の心情は相隔てる両極端の間を小やみなくあちこちへと飛躍しつづけた。ある時は熱い心の奥底から湧き出る感傷性を示すかと思えば、たちまちにして偉大な世界人のような冷ややかな虚飾の姿をあらわし、完全な懐疑的無神論にかたむくかと思えば、次の瞬間には文字どおりの敬神家となる、というような具合であった。


 ビスマルクは、もっとも成熟した壮年期にも均斉のとれた平静な力の持ち主となることは決してできなかった。彼の神経過敏は、その常軌を逸した生活様式と共に同僚を畏怖させた。彼は夜と昼とを取りちがえ、夜通し熱に浮かされた者のように書き物を続けたり、正午すぎるころまで眠り続けたりした。鋼鉄のような古代ゲルマンの勇士に彼を擬する一般人の捉え方を比べてみると、ビスマルク夫人の夫に対する時おりの発言は非常にばかばかしく見える。ビスマルクは何かにつけて神経をたかぶらせ、リューマチや、感冒や、ひどい神経痛をわずらっては寝つく男であった。また世界史的に重要な場面、たとえばケーニッヒグレーツの会戦の後などには神経性の涕泣発作におそわれたし、激怒すると、何週間も床について胆汁を吐いたりした。

 

 ビスマルクは剛直な一個の武弁であったのか。たしかにビスマルクはすぐれて率直で剛邁(ごうまい)の士であった、彼は彼の王に対し、自分の主人を自ら選んだ自由人の誇りと高い忠誠心とをもって仕えた。その目的を達したのちには、彼は驚くほど中庸を得た信頼に値する人となり、老年期に至ってついにヨーロッパの大人物の一人となるまでに成長したのである。このようにして、両親の遺伝質は彼において複雑なしかも必然的な成果をあげた。父方から受けた土地貴族や軍人の家系の、素朴な、確固不抜の精力と、母方から継いだ天賦ゆたかな学者的家系の神経質な変質の兆候とは、およそ考え得るもっとも強い対比をなして彼の中に混交した。このような、内心の神経質な緊張と奇妙な性格的対立とがなかったならば、おそらく彼もまた何百年来の父祖たちと同様に、朴直ではたらき好きの土地貴族の一人として朽ち果てたことであろう。父系から遺伝した健全な素朴な力は、不格好な大刀と同じく、複雑な近代的処世の上では何の役にもたたぬものだったが、市民的な母から受け継いだ緻密な知性と過敏な感情とが、多くの奸計と葛藤の迷路の中で、父祖から受けた力を正しく使用することを教えたのである。しかしまた彼を闘争のただ中へと駆り立てたものも、その同じ神経質と内面的な不断の活動性とであった。

 上述したところからビスマルクの真の姿を総括するならば、彼は異常緊張症患者に見られる強い植物性の感受性を持った巨人で、もっとも愚直な土地貴族である一方、もっとも文化的な世界人であり、優雅と粗野と華美と深慮との不可解な混交、力強い快適さと不機嫌な過敏さとの交錯、洗練された文芸愛好家としたたかな農民的本能との共存を一身のうちにかねそなえていた。要するに彼は、その意志力が、過敏性と神経の緊張とによって鼓舞されていたともいうべき一個の天才であったのである。


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