〈ディーゼルの場合、胚種対峙性〉
ルドルフ・ディーゼルは大きな飛躍をとげた19世紀末の発明家の時代の中でも、際立った個性の持ち主の一人である。彼の場合には、さらに著しい心的力動の病相変遷が容易に認められる。「ときどき彼は憂鬱になった。夜になると、彼は橋の上からセーヌ河を見つめ、自殺しようと考えた。」(これはすでに1880年代のことである。)療養所入りを繰り返した後(1898・1901年)、1913年、ついに彼は悲劇的な最期をとげた。内的に循環性の情緒の動揺が彼の中にどの程度隠されていたのか、息子が書いた伝記記述からはっきりと窺うことはできない。確実なのは、この場合、反応性要因が大きな役割を演じているということである。1895年7月3日、彼は妻に宛ててこう書いている。「私のモーターは常に大きな進歩をしつづけています。私は今やこれまでになされたすべての業績を凌駕してしまったので、このモーター制作という最初のかつもっとも重要な技術部門において、私はこの小さな地球上の第一人者であり、大西洋の此岸と彼岸における全技術者たちの指導者であると言うことができます。この言葉を聞いたら、あなたの胸はふくらまずにはいないでしょう・・・。」このような激しい高揚と同様に、深い失意におちいるが、それは彼の激情的な気質に起因する失敗に引きつづいて起こっている。
ディーゼル家の遺伝歴は注目に値する。何世紀も前からシュヴァーベン地方に住んでいるこの手工業一家は、もとはといえばチューリンゲンから移住して来たのだが、この家族は他の人種と何度も交配を繰り返している。彼の思弁的空想は、おそらくシュヴァーベン地方の遺伝質と関係があろう。つまりこの家系に特に際立って繰り返し認められるのは、思弁的な神秘主義的な研究衝動と数学的・自然科学的な研究衝動の独特の魅力ある結合である。これはケプラーやローベルト・マイアーの場合と同じである。
両親から受け継いだ遺伝的素質の対立が非常に際立っているので、ここで「胚種対峙性」について述べねばならない。母親は少女のころからはりつめたエネルギーの持ち主で、仕事がよくできた。進取の気性があり、思いきりがよく、一種のモラリスト風の堅さを持っていた。
父親は空想家で、最後には破滅した人間になった。発明の仕事に飛びつきはするが、気が変わりやすく、実行力がなく、永遠の企画倒れの人であった。仕事の計画や仕事上必要なことは、最後には心酔した熱狂者やオカルティズム風の空想や試みによって全くおおい隠されてしまう。彼は亡霊と付き合い、自分を霊媒だと言いふらす女性の影響を受けて、ますますカトリックに傾倒しはじめていった。息子は後に父親について次のような意見を述べている。「父は自分がなろうと望むような偉大な改革者や革新者には絶対なれないでしょう。・・・打ち明けて言うと、まったく平静な気持ちで考えるのですが、私の意見では、すべてはある精神病が原因であるように思います。それはとても悲しいことですが、そう思ってみずからを慰めるしか他に方法がありません。時々自分が何か似たものを受け継いでいるのではないかと思うことがあります。狂気に非常によく似た渦巻が頭の中に感じられるのです。」
遺伝素質から生じる衝迫的な力動は、ルドルフ・ディーゼルの中で少年時代の刻印によって強まっていった。父親は過渡期の犠牲者であった。もはや生粋の手職人でもなかったし、成功した工場経営者でもなかった。外国人としてパリの陰気な住まいに暮らし、なんとか急場をしのいでいたらしいが、1870年にはそこを追い出されてしまう。活発で敏感な子どもは幼くして巣から落ちてしまう。ルドルフ・ディーゼルは、感じやすい13歳の少年のとき、戦争のさ中、ロンドンからアウスブルグへたった一人で行かねばならず、また不安定な経済状態の中で、両親の意に反して工学によって苦境を切り抜けばならなかった。激しい内的な発明家的着想が浮かぶとともに、このみすぼらしさ、不安定さ、絶えざる経済的憂慮から抜け出し ー このみじめさのどん底から脱出し、名声、富、権力を得ようとする衝動が絶頂に達した。
このようにして、内面生活と生活苦に対する過酷な闘いの著しい対照から、名誉心と他方優しい傷つきやすさのある敏感な精神構造をもつ若者に、壮年に至るまでの間に特有な性格像が生じてくる。この発明家の息子は、父親の性格について、息子として知りえた個人的な知識に基づいて次のようにしるしている。「それはいつも同じことだった。父はいつも気位の高い自意識と、孤独と憂慮と失敗の感情の間で緊張を強いられていた。常に自分の性格の弱い面を隠し、極端なまでに自負心の旗をはためかせようとしていた。」(敏感性性格構造の強い力動をここで述べられているほど見事に描写することはできないだろう。)
それに加えて、過敏な人間の場合、成功には必ず稀ならず憂鬱が伴うものであるが、ディーゼルの場合にも、外部に対しては常にその憂鬱を隠しながら、その上、時にはそれに苦しんでいたのである。成功は人が到達しえなかったものを際立たせ、内気な性質の人にはそれによって風変わりな一種のやましさが引き起こされる。その頃すでにディーゼルは、常に秘められていた孤独な精神の谷間にしばしば落ち込んでいたらしい。
彼は世間の騒音と雑踏の中で、絶えざる自己克服につとめながら活動し、彼の高度に張りつめたエネルギーの流れは非常に繊細な電線を通って流れた。自分の仕事に対する信念だけが、大きな苦しみをしのびながらも彼を演壇に登らせ、そして全盛時代においては人々を熱狂させたのであった。それはあたかも内気さの中からやっとエネルギーを喚起しているかのようだった。華美や社交を彼は避けたが、結局は、同時に活発な社交活動をみずから呼び寄せていたのであった。彼は肩書や勲章を軽蔑してはいたものの、名誉欲は十分に持ち合わせていた。
彼は死ぬまで自分の中に存在する弱点を隠すすべを完璧に心得ていたので、彼の妻でさえもそれに気づかないほどであった。最期まで、彼のまわりには特異な生気がただよっていた。それは表現することが困難な精神的影響力で、おそらく一部は彼の成功のたまものかもしれない。そしてそれが彼の内部にひそんでいた死の芽を隠していたのである。
彼は「憑かれた人」のように、自分の思い通りに、頑固なまでに譲歩せず、張り切ったエネルギーと過度に緊張した神経で働いた。どんな失望や失敗にもめげず、常に最終目標、つまりある支配観念を心から離さなかった。 ― 彼はほとんど自制しない空想人であり、いつも自分の成功を先取りし、自分の作ったいくつかのモーターを市場に出したのだが、それは何年か時期尚早であった。この発明家は城のような家を建てるが、投機に失敗して、結局は再びすべてを失ってしまう。彼の眼前には、巨大な瓦礫の山と成功の得られない数多い終わりなき仕事があり、思い出の中には中傷や迫害、そして、まちがった目標設定と失望があった。彼はイギリスへ渡る途中だった。1913年9月30日の夜半、この誇り高くしかも繊細な人物は、一言も発せず、物音もたてずに、微動だにしない静まりかえった海の中に消えて行った。




