名を知るということ
その夜。
城下町の灯りが落ち着き、
通りの喧騒も静かになっていた。
外套を深く被ったまま、
銀髪の魔族の女性と年長の男は、宿の一室にいた。
粗末だが清潔な部屋。
窓の外からは人の気配がかすかに流れてくる。
女性は床に座り込み、静かに呼吸を整えていた。
「……まだ、流れてる」
男が壁にもたれて言う。
「施術の影響か」
「うん」
女性は目を閉じたまま頷く。
「さっきより、魔脈が軽い」
少し間を置く。
「無理に動かされてないのに、整ってる」
男は腕を組んだ。
「外部からの干渉ではない」
「身体の状態を変えているだけだ」
女性は目を開ける。
「それが一番すごい」
静かな空気。
やがて女性がぽつりと呟いた。
「……あの人」
「分かってやってる」
男が視線を向ける。
「どういう意味だ」
「どこが張ってるか」
「どこが流れてないか」
「ちゃんと見てる」
男は少し考える。
「経験か」
「経験もある……何より理解してる」
翌朝。
再び城下町の通り。
人々の声が戻っている。
「ユウトさん、昨日ありがとうございました!」
「体が軽いよ!」
その名前に、女性の耳が反応する。
「……ユウト」
男も小さく頷く。
「昨日の人間か」
女性は人の流れの先を見る。
調律所の前。
すでに何人かが並んでいる。
その中には、一般の町人に混じって――
鎧姿の兵士の姿もあった。
「城の中でも世話になってたけどさ」
「町でも受けられるのは助かるな」
「任務の合間に来れるのがいい」
女性と男は顔を見合わせる。
「……なるほど」
男が言う。
「元は城の中の技術か」
女性は頷く。
「それが町に広がってる」
「だからあの棒も広まった」
昼。
調律所の中。
ユウトはいつも通り、人の体を整えていた。
「ここ少し硬いですね」
「呼吸止めないでください」
穏やかな声。
無理のない動き。
女性は少し離れた位置からそれを見ている。
(やっぱり同じ)
(昨日と同じ動き)
(無理に動かさない)
(でも流れる)
男も静かに観察していた。
(魔力を使わず)
(ここまで精度が高い)
(再現できるのか……?)
そのとき、ユウトがふとこちらを見た。
一瞬だけ、目が合う。
女性はほんのわずかに動きを止めた。
だがユウトは特に気にする様子もなく、すぐに次の客へ向き直る。
女性は小さく息を吐いた。
「……気づいてない」
男が言う。
「気づかれていない方がいい」
女性は頷く。
だがその表情は、少しだけ楽しそうだった。
外へ出る。
日差しが少し強い。
女性は軽く体を伸ばした。
「ね」
「なんだ」
「この国」
少し間を置く。
「面白い」
男は静かに答える。
「否定はしない」
女性は空を見上げた。
「戦ってるのに」
「整えてる」
「変な国」
男は小さく笑った。
「矛盾しているようで」
「理にかなっているのかもしれんな」
女性はゆっくり歩き出す。
「もう少し調べよう」
「ユウトも」
「この場所も」
男は頷いた。
「いずれ接触も必要になる」
女性は軽く振り返る。
「その時が楽しみ」
人の流れの中へ二人は紛れていく。
まだ誰も知らない。
この小さな観察が、
やがて
人間と魔族を繋ぐ
大きなきっかけになることを。




