初めての一歩
その日の夕方。
城下町の喧騒が少しずつ落ち着き始める頃、
調律所の前の列も短くなっていた。
銀髪の魔族の女性は、少しだけ前に出る。
「……今なら」
年長の男が小さく頷く。
「短時間なら問題ない」
二人は列の最後尾に並んだ。
前にいる人間たちの会話が聞こえる。
「最初は緊張したけどさ」
「全然痛くないんだよな」
「むしろ気持ちいい」
女性はその言葉に耳を傾ける。
(痛くない……)
(気持ちいい……)
小さく笑う。
(面白い)
やがて順番が近づく。
扉の中が少し見える。
木の床。
落ち着いた空気。
そして――
人の動き。
無駄がない。
柔らかい。
「次の方どうぞ」
声がかかる。
女性が一歩踏み出す。
その瞬間、男が小さく言う。
「気配を抑えろ」
「分かってる」
二人は中へ入った。
室内。
外とは違う、静かな空気。
女性は一瞬、立ち止まる。
「……」
男も同じように感じていた。
(落ち着く)
(魔力が……荒れない)
ユウトが振り向く。
「いらっしゃいませ」
自然な声。
構えもない。
ただ、穏やかだ。
女性は少しだけ観察する。
(この人が……)
ユウトは軽く首をかしげた。
「初めてですか?」
女性は頷く。
「うん」
一瞬、言葉が止まりそうになるが、自然に続ける。
「体が……少し重くて」
ユウトはすぐに答える。
「分かりました」
「無理のない範囲で整えていきますね」
その言葉に、女性は少し驚いた。
(……無理をしない?)
男は後ろで静かに見ている。
女性は案内されて座る。
ユウトが言う。
「力を抜いてください」
「呼吸はそのままで」
女性はそのまま従う。
(……不思議)
ユウトはゆっくりと肩に触れる。
軽く、ほんの少しだけ動かす。
「ここ、少し張ってますね」
女性の目がわずかに開く。
(分かるの?)
ユウトは続ける。
「無理に押さないで
少しずつ緩めますね」
そのままゆっくりと動かしていく。
強くない。
だが確実に変わる。
女性の中で――
(……流れる)
魔力ではない。
でも確かに
魔脈が動いている。
彼女は思わず小さく息を吐いた。
「……すごい」
ユウトは軽く笑う。
「無理してたんですね」
女性は少しだけ戸惑う。
「……そう、かも」
男はその様子を見ていた。
(魔力は使っていない)
(だが確実に巡りを変えている)
(理屈が通っている)
施術が終わる。
女性はゆっくり立ち上がった。
「……軽い」
ユウトが言う。
「今日はそれで十分です」
「また重くなったら来てください」
女性は少しだけ笑った。
「うん」
そのまま外へ出る。
外の空気。
だが、さっきまでと違う。
「……どうだった」
男が聞く。
女性は少し考えてから言った。
「魔力じゃない」
「でも……」
少しだけ笑う。
「ちゃんと流れる」
男は静かに頷いた。
「確信した」
「これは技術だ」
女性は振り返る。
調律所の扉。
中にはまだ人がいる。
「……ね」
「なんだ」
「もう一回来たい」
男は小さく息を吐いた。
「調査だな」
女性はにやっと笑った。
「そう」
そして静かに言う。
「でも」
「ちょっと楽しみ」
夕暮れの町に、人の流れが戻っていく。
その中に紛れながら。
魔族は初めて――
人間の“癒し”を体験した。
そしてそれは、
彼らの世界を変える
最初の一歩になり始めていた。




