第40話 冷たいココアに期待しちゃう
クリスマスのイルミネーションや音楽で街は夜でも明るい冬だ。
暖かい昼間には近所を歩いたり、前に行って親子連れと話した大きな公園にも行ってみた。寒くても年配の人、親子、若い人、少なくない日もある。
もう六ヶ月なのか、まだなのかわからない。それほどには大きく見えない私のお腹。だけど、階段上がったり下りたり、何かする時には知らないうちに手がお腹にいってる。それが、母性なのだろうか。私にもそれがあったんだな。
帰宅して部屋の近くの建物まで来て、ふと見上げると年配の女性が私の部屋にいた。何かのメーターを図ってるか勧誘かな・・・じゃない。どこかで見た顔。見たくない人だ。
気持ちがざわめく。
ドキドキしながら電柱に隠れて、上から私が見えないようにした。狭い道に入って。北沢さんか真理子さんに連絡したいって。近い場所だし北沢さんの方がってメールした。彼は事務所で仕事をしていたようで、行くと玄関を開けて待っててくれた。走れないから、もどかしくて余計に汗をかいた。変だね、冬に汗だなんて。
「見間違いかもしれませんけど」
座ってて、と、りんごジュースをコップに注ぎ彼は私の部屋を見に行ってくれた。
のどはそんなに渇いてないけれどごくごくっと飲んで深呼吸した。
どうしてわかっちゃたんだろう。やだな、怖い、何をしに来たんだろう?
私って、いつも少し幸せをつかむと問題がおこる。逃げても幸せになっても不幸になる、そんな運命なのだろうか。今、無言でうちに電話してみて確かめる? ううん、母の声さえ聞きたくない。
「夏美ちゃん、やっぱりお母さんだ」
「どうして居場所を。何をしにきたの?」
「でまかせを言いながら聞き出したけどね。前にここに居たけど、いなくなってどこにいったのかわからないって。
お母さんは結婚をするみたいだ。どうしてこの場所がわかったかっていうと、ほら、住民票移動したから。転出先が記録に残るんだよね」
「結婚は勝手にしてくれて構わないけれど。
私への用ってなんだろう、わざわざ来るなんて。まさか、連れ戻しにきたのかな・・・」
そこまでは彼もわからなかったようだった。
「すごく会いたいんだったら、もう一度くらい来るかもしれないけど。
この紙を預かってきた。あの部屋の管理人って伝えたから、もしも夏美ちゃんがきたら渡してって」
母の筆跡で、彼女の携帯と新しい住所地が書かれてあった。
あの人が良いことで来るはずなんかない、足がガタガタ震えてきた。
「夏美ちゃん、大丈夫だと思う。僕が見てもいいって言われたから後で電話してみようか?」
「うん・・・。私、いつもこうでしょ。すぐ悪いことがおこるの」
「まだハッキリとわかってないし、僕がついてるから」
彼は温かいココアをいれてテーブルに置くが、なんだか、気持ちが落ち着かない。嫌になってしまった。北沢さんは顔を下に向けっぱなしの私の両手をにぎって、
「心配なんだ。怖いんだね。
だけど何かあったら守るから」
「やだ、寒くないのに」
恐怖の方が強くて体まで小刻みに震えた。
彼は椅子ごと隣りにきて、肩を抱いて同じように安心する言葉をかけてくれる。
「上手くいくかな」
「いくよ、手伝うよ」
「この子を産むことも出来るんだろうか。この調子で、育ててやれるのかな」
「メールで呼んでくれて、お母さんがきた理由がわかったよね。
一つずつ不安を取り除いていこう。クリアにしていけるよ」
「でも、今は、あの部屋に戻りたくないというか、また来るかもしれないでしょ」
彼は真理子さんに連絡してみていいかと聞き、私が頷くと真理子さんから電話がかかってきた。
彼女の部屋でもいいし吉野さんの所にいるのはどうかと言われた。どうしたいかがわからない、ただあの部屋にはいたくないだけと言うと彼女と北沢さんが話した。
「夏美ちゃん、とりあえず彼女くるって。
吉野さんの所が近くも遠くもないし、緊張しないならどうかって言ってたよ。
一戸建てだし遠慮はいらないって」
吉野さん。迷惑かけたくないけど、知らない場所でサッパリした気持ちがわかる人と会うのもいいのかもしれない。
彼女が車での間、冷めたココアを一口飲んだ。
「ありがとう。それから・・・いつも、ごめんなさい」
「全然謝ることなんかないって。悪いことしてないんだから」
うん・・・私は悪いことなんかしていない。
「みち君の所から服や玩具もらってきた時ね、彼のお母さんが『若いけど頑張りすぎないで』って言ってくれた。もっと柔らかい気持ちでいたいな」
「その女性の経験もある言葉なんだろうね」
やっと落ち着いてきた気がする。作ってくれた人が温かいからなのかな。
「仕事してたんですよね。ごめんなさい、邪魔してしまって」
「全然気にしないで。むしろ嬉しいんだ」
「どうして嬉しいの?」
「頼ってくれるから。それから気づいてた?
前は『私』って言ってたけど今は『僕』だ。知らないうちになってたんだけど」
私は彼が最初に「僕」って言った時のことを覚えてる。「俺」だと違和感持ったかもしれないけれど、親しくなってきたんだなってくすぐったい気持ちもしてたっけ。
もしかして、彼も・・・意識してるのかしら。
真理子さんが来た。私の部屋の前を見たけれど今は誰もいなかったよう。吉野さんの所に連絡すると「来て来て」と言ったらしい。
私の衣類や必要なものを北沢さんと二人でとりに行ってくれた。私は行きたくなかったから、タンスも適当に開けちゃって下さいと頼んだ。
近い所だからタクシーで行くことにした。家はこじんまりとしてるけれど綺麗に手入れされてる。そういえば、真理子さんも前にここに居たんだった。
吉野さんと北沢さんが挨拶して、もう真理子さんと二人で帰るようだ。どうやら吉野さんが、私が落ち着いた時に四人で話せばいいからと提案したらしい。
「真理子さん、どうもありがとうございました。
このためだけに来てくれたんですよね・・・」
「ちょうど休憩して散歩でもしようって思ってた所だから。
まだね、ゆっくりしてて時間はたくさんあるの」
「夏美ちゃんが明日帰るのか十日後に帰るのかはわからないよ。もうずっといるかもね。
北沢さんから夏美ちゃんをとっちゃうかも。
連絡は適当にとっていきましょうよ」
***
北沢さんは何か言いたそうだったけれどニコッとしていただけだった。彼と電車にのって食事を一緒にすることにした。
「幸せになれると思うと不幸がくる・・・そんな運命だと、体を震わせていたんです」
「夏美さんのお母さんの言ってることは本当なんでしょうか。結婚するって」
「話した感じでは、聞いていたより落ち着いていてマナーも悪くなくて。娘に会いたがってたって印象だけど」
「悪い話で来たんじゃなくて善意っていうんですか、夏美さんとの関係を変えたいと思ってるのかしら」
「私もそう思うんだ。急に来てびっくりしたけど、来たってのは無関心の反対。母娘の仲を改めたいとか」
結婚するから一緒に住むとか、費用が足りないから貸してほしいということもあるけれど。北沢さんの印象ではそんなこともないのか。一応は警戒しないといけないし、良い話だったとしても今は夏美さんの気持ち優先だわ。
「真理子さんは何が食べたいですか?」
「私はパスタも好き、和食もカレーも。大体、好きですよ。北沢さんは何を食べたい気分ですか?」
「パスタもいいな。美味しい店を知ってるんですよ」
夏美さんから聞いたように彼は食べたり作ったりするのが好きなようだ。
「私、この間、父に会ったんです。何を話していいか困ってたのに。イライラをぶつけてしまって」
「へえ、真理子さんでも困ることあるんだ」
「私は誰とでもそうなんですけど、実は話すのは苦手。会ってなかった人だと緊張もして」
「人の話を聴くのはすごい。資格のためじゃなくて、経験や天性のものだな」
「仕事としてなら、まだまだです。
私、父と話してて気づいたんです。母が逝ってから、その哀しさが残ってるみたいです。夫は『寿命だ、仕方ない』って、確かに人の命なんてわからないんですけど。
父は葬儀に来なくて、母の死についても話したことない、分かち合うみたいな? 全然なかったから」
「そうでしたか。大切な人をなくした喪失感っていうのかな、なかなか気持ちの整理がつきませんよね。
これからもお父さんに会うんですか?」
「私の今までの屈辱や淋しさ、どんな感情も全て受けとめるって、時々会おうと。
パパとか、お父さんって呼ぶことが出来ないけど。あの方のこと知っていきたくもあります」
北沢さんは今日、夏美さんが自分のことを頼ったことで、ほんの少し別の感情があるんだってほのめかしたようだった。厚意でなくて好意を。結婚するしない別として、二人で気楽に住んでみたいらしい。それは言えないでいるみたい。
支配されない、支配しない。義務でなくて簡単な約束事を決めて。我慢することなく何かあったら伝え合う・・・この方って、そんなことが出来る人なのね。やっぱり、どこか父と似たところがあるみたいだわ。
私は誰かのことを好きになるってこと、今後あるんだろうか。つき合いまで発展するのだろうか。
母のように身を焦がすような気持ちや愛、尊敬しあうような男女関係って。
「吉野さんの所で夏美ちゃんリラックスできるといいですね。できるわ、きっと」
「私が顔出してもいいのかな?」
「行ってください。彼女たち喜びますよ」
***
北沢さんから私のことをとってしまう、だなんて。吉野さんは私の気持ちに気づいちゃってるみたい。
「お腹が大きいと椅子の方が楽でしょ?
たたみでゴロンってのもいいけどね」
「そうですね。まだお腹に赤ちゃんがいるって実感があるような、ないような気がしてます」
吉野さんは自分の部屋の引き出し以外のほかの部屋の何でも自由に開けたり使っていいと言ってくれた。料理もそうらしい。好きなもの作ってわけてもいいし、私が大変なら彼女が用意してくれるって。
真理子さんから電話を受けてから昼食を用意してくれていたみたい。おにぎりとポテトサラダ。
「お茶は、ほうじ茶も玄米茶もあるけど、何がいい?」
「玄米茶って飲んだことがなかったかも。それが飲みたいです」
「香ばしくて、美味しいよ。
お昼は軽めにして夜は外食しましょ。一人では行かないから楽しみ」
優しくされるとホッとする。
家を出てから嫌なこともあったけれど、その後に会う人たちは温かい。逃げ出すのってこれで三回目だけど、いつになったらそれはなくなるんだろう。繰り返しじゃないの・・・。
「お母さんが来て嫌だったわね」
「どうして来たのか。結婚するなら勝手に行ってしまってほしいのに」
「あっ、ごめんね。今、こういう話がしたくないならしなくていいよ。何を話しても話さなくてもいいんだもの」
「ちょっとだけ話したいです。
いいことがあると悪いことの繰り返しで疲れます。母は親子だから縁が切れないでしょ?
私、憎んでるんです。
もう、逃げるって繰り返しで、うんざり・・・」
「夏美ちゃん、きついよね。混乱しちゃうよね。
憎しみか、前にも話を聞いたけどひどい人だったものね。なかなか憎悪の感情は消えないよね」
親なのに憎むなんて、とか私の気持ちを否定することはない。渡さんは言ってたな、自分を産んだ親のことをそんな風に思うなんて、って。
「吉野さんは自分は幸せだって思ってるの? いい人生送ってるって思いますか?」




