第9話
翌日の昼休み。
俺が教室を出ようとすると、昨日の女子が廊下で待っていた。
「大波くん」
「何?」
「文化祭のことで、ちょっと……」
嫌な予感がした。
「三芳さんが呼ばれてる」
「どこに?」
「視聴覚室」
俺は視聴覚室へ向かった。
前には、文化祭実行委員が集まっていた。
その中央に、三芳さんが立っている。
いつもの眠そうな顔ではなく、俯いていた。
向かいには、実行委員長らしい男子がいる。
「三芳さん、確認するけど、資料室の鍵を最後に持っていたのは?」
「私」
「展示資料を最後に確認したのも?」
「……私」
「じゃあ、なくなった資料について説明できる?」
三芳さんは黙った。
委員長が詰め寄る。
「八枚もなくなってる。担当だった以上、責任は取ってもらう」
俺は口を挟んだ。
「その聞き方だと、最初から三芳さんを犯人扱いしてないか?」
全員が振り向く。
「大波……」
委員長が顔をしかめた。
「関係ないなら、入ってこないでくれる?」
「関係ある。俺も資料室に関わってる」
昨日、先生に資料運びを頼まれている。嘘ではない。
「だったら聞いてくれ」
委員長は資料を机に叩きつけた。
「昨日、第二資料室の鍵がなくなった。同時に、展示資料も八枚消えた。最後に鍵を持っていたのは三芳さんだ」
「それは聞いた」
「なら、責任は三芳さんにある」
俺は資料に目を落とした。
「それだけ?」
「何?」
「共同管理じゃなかったのか?」
隣の女子が口を挟む。
「でも、昨日は三芳さんが担当だったから」
「担当なら、一人で管理させていいのか?」
誰も答えない。
俺は準備記録を取り出した。
「鍵を受け取ったのは六時二十分。三芳さんが資料室に入ったのは六時四十分。その間、別の誰かが鍵に触れてる」
「それは……」
「展示資料を最後に確認したのも、三芳さんじゃない」
委員長が眉をひそめた。
「でも、整理してたのは三芳さんだ」
「整理したことと、資料がなくなったことは別だろ」
「管理責任が――」
「じゃあ聞くけど、三芳さん一人に任せたのは誰だ?」
沈黙が落ちた。
「担当を決めたのは?」
「実行委員会」
「なら、問題が起きた途端に三芳さん一人の責任にするのはおかしい」
「でも、鍵をなくしたのは三芳さんだよ」
その言葉に、三芳さんが小さく反応した。
俺は彼女を見てから言った。
「鍵をなくした責任は、三芳さんにある」
三芳さんが顔を上げる。
「……え?」
「本人が責任を取ればいい。でも、資料がなくなった責任まで押しつけるのは別だ」
俺は委員長を見た。
「そこを一緒にするな」
委員長が机を叩く。
「じゃあ誰が悪いんだよ?」
「知らない。だから調べるんだろ」
「そんな簡単に――」
「簡単じゃないから調べるんだ。最初から犯人を決めたら、調べる意味がない」
誰かが呟いた。
「……大波って、なんでそんな偉そうなの?」
俺は振り返った。
「そう見えるなら悪い。でも、間違ってることは間違ってる」
委員長は睨んだまま、黙り込んだ。
その日は、それで終わった。
――終わったと思っていた。
◆
翌朝。
教室に入ると、妙な空気を感じた。
俺が席に向かうと、話していた何人かが急に黙る。
照平が俺を見る。
「ハル」
「何」
「昨日、何言った?」
「文化祭のこと」
「やっぱりか」
「何が?」
照平はスマホを見せた。
クラスのグループチャットには、昨日の話が流れていた。
『大波が実行委員に喧嘩売ったらしい』
『三芳を庇って、委員全員を悪者扱いしたって』
『先生にも逆らったって聞いた』
「……」
「尾ひれつきすぎだろ」
照平が呆れる。
俺はスマホを返した。
「別に」
「別にじゃねえよ」
「事実じゃないなら、そのうち消える」
「そういう問題じゃない」
そこへ咲が来た。
「ハル」
「おはよう」
「昨日の件、本当にあんな言い方したの?」
「大体」
咲は困った顔をした。
「もう学年中に広まってるよ」
「早いな」
「感心してる場合じゃない。ハルが悪者になってる」
「俺が嫌われるだけで済むなら、それでいい」
咲が黙る。
「……よくないよ」
本当は、嫌われたいわけじゃない。
向けられる視線が怖くないわけでもない。
ただ、三芳さんが俯いたまま、自分だけが悪いと思い込んでいた姿が頭から離れなかった。
あの視線を、もう一度彼女に向けさせるくらいなら。
俺が受ければいい。
俺なら、嫌われても壊れない。
少なくとも、そう思い込める。
「ハル」
咲の声が強くなった。
「それ、本当にそう思ってる?」
「思ってる」
嘘だった。
でも、言わない。
俺が本音を話せば、咲はきっと止める。三芳さんを守るためだと言えば、そんなやり方は間違っていると怒るだろう。
それでも、誰かが傷つかずに済むなら、俺が悪者のままでいい。
そう考えてしまう自分を、もう止められなかった。
◆
昼休み。
廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「大波」
振り返ると、文化祭実行委員の男子が立っていた。その後ろにも何人かいる。
「昨日のこと、まだ納得してない」
「そう」
「お前、何様なんだよ」
「別に」
「俺たちは文化祭をちゃんとやろうとしてるんだぞ」
「知ってる」
「なのに、あんな言い方して……」
「事実を言っただけ」
「だからムカつくんだよ」
廊下には他のクラスの生徒もいて、こちらを見ている。
ここで言い返せば、また話が広がる。
それでも俺は言った。
「三芳さん一人に責任を押しつけるのをやめろ」
「まだ言うのかよ!」
「何度でも言う」
「お前、本当に感じ悪いな」
「そうかもな」
それ以上は言わなかった。
男子たちは舌打ちして去っていく。
背中に視線を感じる。
悪意のある視線。興味本位の視線。ただ面白がっている視線。
その全部が、俺に向いている。
……別にいい。
三芳さんに向いていた視線が、俺に移っただけだ。
俺が嫌われることで、彼女が少しでも顔を上げられるなら。
俺が抱えれば、彼女が自分を責めずに済むなら。
この程度の痛みは、引き受ければいい。
そう思った。
◆
放課後。
第二資料室には、三芳さんが一人でいた。
「大波くん」
「何」
「聞いた。私のせいで、悪者になってるって」
「別に」
「別にじゃないよ」
三芳さんが俺を見る。
「なんで?」
「何が?」
「なんで私のために、そこまでやるの?」
俺は答えなかった。
本当のことを言えば、彼女が傷つくのを見たくなかった。
それだけなのに、俺は自分が傷つくことを選んでいた。
誰かを守るには、自分が犠牲になればいい。
そうすれば、相手は責任を感じずに済む。
そう思っていた。
けれど、それは優しさというより、逃げだった。
自分が嫌われることで、彼女の痛みから目を逸らしているだけなのかもしれない。
三芳さんは、少しだけ笑った。
「私、大波くんの名前、ちゃんと知らなかった」
「今さら?」
「うん」
「……俺も三芳さんの名前、知らない」
「じゃあ、自己紹介する」
彼女は少し姿勢を正した。
「三芳美琴。二年三組」
「大波一陽。二年二組」
「知ってる」
「なら、自己紹介いらないだろ」
「私がしたかったから」
美琴は少し笑った。
「それでね」
「何?」
「私、昔からこういうの苦手なの」
「何が?」
「誰かに責任を押しつけられても、反論すること」
「……」
「私が我慢すればいいって思っちゃう」
俺は黙って聞いた。
「でも、大波くんが代わりに怒られてるのを見ると……それは違うって思った」
「何が?」
「私が我慢すればいいと思ってたのと、大波くんが私の代わりに嫌われればいいって思ってるの、同じだよ」
俺は何も言えなかった。
図星だった。
俺は彼女を守っているつもりで、彼女から選ぶ権利まで奪おうとしていた。
「だから」
美琴は顔を上げた。
「もう一人で抱えない」
その言葉に、俺は少しだけ笑った。
「……それなら、俺も考える」
「何を?」
「俺も一人で抱えるのをやめる」
「本当?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「努力する」
美琴は笑った。
その笑顔を見て、俺は思った。
――この事件は、まだ終わっていない。
むしろ。
ここからが本当の問題だった。




