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俺は善人なんかじゃない  作者: エクレアだった物
日常編4

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第53話


「一陽パイセーン!」


昼休み。


中庭へ続く渡り廊下に、聞き慣れた声が響いた。


ベンチに座り、狭山照平と弁当を広げていた大波一陽は、箸を止めて振り返る。


金色の髪を揺らしながら、菖蒲玲奈がこちらへ歩いてきていた。


「お、玲奈。どうした?」


「どうしたって、昼飯だよ。……あ、照平先輩もいたんすね」


「おう。菖蒲、今日も元気そうだな」


「まあ、ぼちぼち」


玲奈は照平に軽く手を上げると、一陽の隣に腰を下ろした。


その動きに迷いはない。


以前なら、周囲の視線を気にして人と距離を取っていた玲奈だが、最近は少しずつ変わってきている。


少なくとも、一陽たちの前では、必要以上に自分を大きく見せようとはしなくなった。


「……で、今日は何食ってんだ?」


「焼き魚と卵焼き。あと、昨日の残りの煮物」


「うわ、ちゃんとしてんな。俺なんて購買のパンだぞ」


照平が自分の袋を持ち上げる。


「朝、寝坊した」


「それを堂々と言うなよ」


「寝坊は誰にでもある。つまり俺は人間らしい生活を送っているということだ」


「朝飯を買いそびれた言い訳に、壮大な人間論を持ち込むな」


一陽が呆れると、玲奈は吹き出した。


「ははっ! 何だよそれ、照平先輩!」


「おい菖蒲。笑うなら俺の味方をしろ」


「いや、今のは無理だろ」


「裏切り者が二人に増えた……」


照平がわざとらしく肩を落とす。


その様子を見て、一陽と玲奈は顔を見合わせ、また笑った。


少し離れたところから、その光景を眺めていた新倉咲が、飲み物を片手にやってくる。


「何してるの? ずいぶん楽しそうだけど」


「咲。照平先輩が朝寝坊を人間性の話にすり替えようとしてた」


「なるほど。いつも通りだね」


「咲まで!」


咲は玲奈の隣に座り、にこりと笑った。


「玲奈ちゃん、お昼一緒に食べるの久しぶりだね」


「そうっすね。咲先輩も、いつもここで食べてるんすか?」


「うん。来られる日はね。一陽と照平がだいたいここにいるから」


「何だよ、俺たちが場所取りの目印みたいじゃないか」


「実際そうでしょ?」


「否定しづらいな……」


一陽は弁当を見下ろした。


いつも照平と二人で食べているところに、咲が加わることは珍しくない。そこへ他の友人が顔を出す日もある。


クラスが違っても、昼休みに中庭へ集まれば不自然ではないし、誰かが途中で抜けても気を遣わずに済む。


そんな気楽さが、一陽たちの昼休みにはあった。


「そういや玲奈、最近どうだ? 学校には慣れたか?」


照平が尋ねる。


「まあ、ぼちぼち。最初は変な噂ばっかりで面倒だったけど、今は前より普通に話しかけてくる奴もいるし」


「よかったじゃん」


咲が嬉しそうに頷いた。


「玲奈ちゃん、話すと面白いもんね。最初はちょっと怖い人なのかなって思ってたけど」


「……それ、本人の前で言うか?」


「ごめんごめん。でも、今はちゃんと分かってるよ」


「……なら、いいけど」


玲奈は少しだけ照れくさそうに、頬を掻いた。


一陽はその横顔を見て、ほっとしたように笑う。


「少しずつでいいんじゃないか。無理して誰とでも仲良くする必要はないし」


「分かってるって。……つーか、パイセンはあたしの保護者かよ」


「いや、保護者にしては頼りないと思うぞ」


「自覚あるんだ」


咲が即座に突っ込む。


「おい、そこは否定してくれ」


「じゃあ、頼りになる?」


「……場合による」


「ほらね」


三人の視線が一陽に集まる。


「俺、今日ずっと攻撃されてない?」


「日頃の行いじゃない?」


咲の言葉に、照平が大きく頷いた。


「そうだぞ、ハル。お前は普段から人の面倒に首を突っ込みすぎなんだ」


「昼飯中に説教するなよ。せめて食後にしてくれ」


「食後ならいいのか?」


「いや、できれば一生しないでほしい」


玲奈は、また笑った。


こうして誰かとくだらない話をしている時間は、思っていたより居心地がいい。


かつての仲間たちと過ごしていた時間にも、楽しいことはあった。けれど、あの頃はいつも、強くいなければならないと思っていた。


誰かに弱みを見せず、舐められないようにして、周りからどう見られるかを気にしていた。


今は、少しくらい格好悪いところを見せてもいい。


一陽たちは、玲奈が何かを言い間違えても、慌てて取り繕っても、必要以上にからかったりはしない。からかうことはあっても、相手を傷つけるためではないと分かる。


それが、玲奈には新鮮だった。


「……何だよ、玲奈。急に静かになって」


一陽に顔を覗き込まれ、玲奈ははっとした。


「な、何でもねえよ!」


「そうか?」


「そうだって。ほら、パイセン、卵焼き一個くれよ」


「えっ、急に?」


「いいだろ、減るもんじゃねえし」


「いや、減るよ。一個しかないんだから」


「ケチくせえなあ」


「自分で作った弁当なんだから、好きに食べさせてくれ」


そう言いながらも、一陽は箸で卵焼きを一つ取った。


「はい」


「……お、サンキュ」


玲奈は受け取ると、ぱくりと口に入れた。


「うまっ。これ、パイセンが作ったの?」


「そうだけど」


「へえ。意外と家庭的なんだな」


「意外って何だよ」


「いや、もっとこう……適当にコンビニ飯で済ませてるイメージだった」


「俺を何だと思ってるんだ」


「問題解決屋」


照平が即答した。


「その肩書き、便利に使いすぎだろ!」


笑い声が中庭に広がる。


やがて昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り、四人はそれぞれ弁当や袋を片づけ始めた。


「じゃ、あたし戻るわ」


玲奈が立ち上がる。


「おう。またな、菖蒲」


「またね、玲奈ちゃん」


「……ああ。照平先輩も、咲先輩も。また」


二人に返事をしてから、玲奈は一陽を振り返った。


「一陽パイセン、放課後は?」


「今日は特に予定ないけど」


「そっか。……いや、別に用があるわけじゃねえけどさ」


言いかけて、玲奈は口を閉じた。


一緒に帰ろう。


そんな言葉が頭に浮かんだのに、なぜかすぐには言えなかった。


「……また、あとでな!」


結局、それだけ言って歩き出す。


「おう、またな」


一陽はいつも通り手を振った。


玲奈の姿が渡り廊下の向こうへ消えると、咲が隣から顔を覗き込んだ。


「玲奈ちゃん、ずいぶん一陽に懐いてるね」


「そうか?」


「そうだろ。菖蒲、お前にだけ妙に遠慮がないもんな」


照平も頷く。


「いや、俺以外にも少しずつ慣れてきてるんだと思うぞ」


一陽は、玲奈が去っていった方向を見ながら答えた。


「前より、楽しそうに笑うようになったし」


その言葉に、咲はふっと表情を和らげた。


「……そうだね」


照平はそんな二人を見比べ、何か言いたそうに口を開きかけた。


しかし、一陽に睨まれる前に、わざとらしく立ち上がる。


「よし、午後も頑張るか。俺は眠いから寝るけど」


「授業を受けろ」


「善処します」


「絶対しない奴の返事だ、それ」


咲が笑い、三人は校舎へ戻っていった。


     *


午後の授業が終わった頃。


玲奈は教室で帰り支度をしながら、昼休みのことを思い出していた。


照平も咲も、以前から話したことのある相手だ。最初は少し距離を測っていたが、今は前ほど気を張らずに話せる。


一陽の友人だから、という理由だけではない。


二人とも、玲奈の過去を面白半分に聞き出そうとはしなかった。必要以上に気を遣うこともなく、普通に接してくれる。


それが、ありがたかった。


「……いい奴らだよな」


小さく呟いて、玲奈は鞄を肩にかけた。


そして、ふと気づく。


今日、自分は昼休みの間、ずっと笑っていた。


誰かに強いと思われる必要も、怖がられる必要もなかった。


ただ、くだらない話をして、笑って、ご飯を食べただけだ。


それなのに、心が少し軽くなった気がした。


「……明日も、あそこで食うかな」


誰に聞かせるでもなく呟く。


一陽がいるから、というのもある。


照平や咲と、もう少し話してみたいという気持ちもある。


それだけだ。


――たぶん。


玲奈は自分の考えを追い払うように頭を振り、教室を出た。


夕暮れの校舎には、部活動へ向かう生徒たちの声が響いている。


いつもの学校。


いつもの帰り道。


その中に、少しずつ自分の居場所ができていく。


玲奈は、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……明日も、よろしくな。パイセン」


誰もいない廊下で呟いた声は、夕方のざわめきに紛れて消えた。

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