第54話
「……何で、こんなに女ばっかりなんだよ」
昼休み。
校舎の中庭にあるベンチの近くで、菖蒲玲奈は思わず足を止めた。
視線の先には、見慣れた一学年上の先輩の姿がある。
大波一陽。
その周りには、狭山照平と新倉咲。さらに海老名美月と海老名凪、蓮田杏、三芳美琴。そして、なぜか生徒会長の御影川綾乃までいた。
一陽を中心に、ずいぶんと賑やかな昼食会ができあがっている。
「いや、何で生徒会長までいるんだよ……」
玲奈は小さく呟いた。
別に、一陽が誰と昼飯を食べようと自由だ。
そんなことは分かっている。
分かっているのだが。
「大波先輩、それ一口もらっていいですか?」
「いいよ。卵焼きだけど」
「やった。ありがとうございます!」
凪が一陽の弁当から卵焼きを一つもらい、嬉しそうに口へ運んだ。
その隣では、杏が自分の弁当箱を開けながら一陽に話しかけている。
「一陽、今日の購買のプリン、限定味なんだって」
「へえ。何味?」
「キャラメル。あとで買いに行く」
「昼飯のあとに食べるのか?」
「当然」
杏は真顔で答えた。
「甘いものは別腹だから」
「それ、誰に教わったんだ……」
「お母さん」
「なるほど。説得力があるな」
一陽が笑う。
さらに、美月が困ったように微笑みながら、凪の弁当箱を覗き込んだ。
「凪、おかずだけじゃなくて、野菜もちゃんと食べなさいね」
「食べてますよ、お姉ちゃん!」
「さっきからおかずしか減ってないでしょう?」
「これは食べる順番の問題です!」
「順番で野菜が消えるわけじゃないでしょう……」
「ふふっ」
そのやりとりを聞いて、咲が笑った。
「凪ちゃん、相変わらずだね」
「咲先輩まで!」
凪が頬を膨らませる。
そんな光景を見て、玲奈はなぜか落ち着かない気持ちになった。
一陽は普段から、誰とでも自然に話す。
それは知っている。
自分が初めて会ったときも、妙な噂を気にせず話しかけてきた。
けれど、こうして改めて眺めてみると、彼の周りには本当に人が多い。
しかも、その大半が女子だ。
「……別に、気にすることじゃねえし」
誰に聞かせるでもなく呟き、玲奈は一歩踏み出した。
その瞬間、一陽がこちらに気づいた。
「あ、玲奈」
名前を呼ばれ、玲奈の肩がわずかに跳ねる。
「おう、一陽パイセン。昼飯?」
「そう。玲奈もこれから?」
「まあな」
「よかったら一緒に食べるか?」
一陽はごく自然に隣のスペースを空けた。
その何気ない仕草に、玲奈は少しだけほっとした。
……いや、別にほっとしたわけじゃない。
ただ、せっかく来たのに立ち尽くすのも変だからだ。
そう自分に言い聞かせながら、玲奈は一陽たちの輪に加わった。
「じゃあ、紹介するよ。みんな知ってる人もいると思うけど、菖蒲玲奈。一年の後輩だ」
一陽がそう言うと、玲奈は軽く頭を下げた。
「……菖蒲玲奈です。よろしくお願いします」
慣れない相手に向ける、少し硬い敬語だった。
「玲奈ちゃん、こんにちは!」
咲が笑顔で手を振る。
「こんにちは、咲先輩」
「もう何度も会ってるのに、改めて紹介されるとちょっと新鮮だね」
「まあ……そうだな」
「玲奈ちゃん、今日はお弁当?」
「はい。自分で作ってきました」
「えっ、自分で?」
咲が目を丸くした。
玲奈は自分の弁当箱を持ち上げる。
「家だと、あたしが作ることも多いんで。母さん、仕事で忙しいし」
「へえ、偉いなあ」
「別に、普通だよ」
そう答えながら、玲奈は一陽の弁当箱に目を向けた。
蓋の横には、見覚えのある字があった。
『I LOVE お兄ちゃん』
白米の上に、海苔で堂々と飾られている。
玲奈は数秒、固まった。
「……一陽パイセン」
「ん?」
「それ、何なんだ?」
一陽は自分の弁当を見下ろした。
「ああ。妹の悪戯」
「悪戯で済むか、それ……」
「姉の仕業のときもある。ちなみに今日は妹」
「何で判別できるんだ?」
「姉は『弟』って書くから」
「そっちもあるんだ!?」
玲奈の声が思わず大きくなった。
照平が購買のパンをかじりながら、肩を震わせる。
「いやー、愛されてんなあ、一陽」
「愛情表現の方向性がおかしいんだよ」
「でも、家族仲いいんだよね」
咲が当然のように言った。
「お姉さんも妹ちゃんも昔からあんな感じだし」
「咲先輩は知ってるのか?」
玲奈が尋ねると、咲は頷いた。
「うん。私とハル、幼馴染だからね。家族のことも知ってるよ。昔、ハルのお姉さんにお菓子をもらったこともあるし」
「へえ……」
玲奈は一陽を見た。
学校では、誰かの問題に首を突っ込んだり、妙な誤解を招いたりしている。
なのに、家では姉や妹にこんな悪戯をされているらしい。
何だか、知らない一面を見た気がした。
「菖蒲さんも料理をするんですね」
美月が穏やかに話しかけてきた。
「はい。家族の分も作ることがあるんで」
「それは大変ですね。私も家でお弁当を作ることがありますけど、毎日となると献立に悩むんですよ」
「海老名先輩も作るんすか?」
「はい。凪の分も作ることがあります。もちろん、凪が練習して自分で作る日もありますけど」
「お姉ちゃん、そこは言わなくていいです!」
「だって、昨日の卵焼きは少し焦げていたでしょう?」
「練習中なんです!」
凪が抗議すると、綾乃が楽しそうに笑った。
「いいじゃないか。焦げた卵焼きも、経験の証だよ」
「御影川先輩は料理できるんですか?」
玲奈が尋ねると、綾乃は自分の弁当箱を軽く持ち上げた。
「もちろん。今日のこれは私が作ったんだ」
中には彩りよく詰められたおかずが並んでいた。
「えっ、これ全部ですか?」
「うん。栄養のバランスも考えてあるよ」
「すご……」
玲奈は思わず本音を漏らした。
勉強も運動もできて、生徒会長まで務めている。
そのうえ料理も完璧らしい。
「御影川先輩って、何か苦手なことあるんすか?」
「あるよ」
綾乃は即答した。
「休みの日に、何もしないで過ごすこと」
「……それ、苦手っていうか性格の問題じゃないですか?」
「そうとも言うね」
綾乃はまったく気にした様子もなく笑った。
その隣で、怜司がいたらきっと訂正を入れるのだろうな、と一陽は思ったが、今日は生徒会の仕事ではない。あえて口には出さなかった。
玲奈は笑いながら、ふと一陽の方を見た。
一陽は美琴から差し出された小さなおかずを受け取っていた。
「一陽君、これ食べる?」
「いいのか?」
「うん。作りすぎちゃったから」
「ありがとう。美味しそうだな」
美琴は自分で作った弁当のおかずを少し分けたらしい。
「三芳さんって、毎日自分で作ってるんだっけ?」
「うん。料理は好きだから」
「すごいな。俺なんて、作れなくはないけど、食べられればいいって感じだし」
「ハルは昔からそうだよね」
咲が苦笑する。
「味付けも、本人が食べられれば問題ないって言うし」
「腹が満たされれば十分だろ」
「それで何度、微妙な料理を食べさせられたと思ってるの?」
「微妙って言うな。食べられるだろ」
「食べられるのと美味しいのは別だよ」
「正論はやめてくれ」
みんなが笑う。
玲奈もつられて笑った。
けれど、胸の中には、さっきから消えない妙な引っかかりがあった。
美月も、凪も、杏も、美琴も、咲も。
綾乃までいる。
一陽は誰に対しても自然で、相手を特別扱いしているようには見えない。
それなのに、みんなが一陽の近くにいることを、玲奈は少しだけ気にしてしまう。
――何だよ、これ。
自分でも理由が分からない。
別に、一陽は自分のものじゃない。
そもそも、付き合っているわけでもない。
ただの先輩だ。
「……玲奈、どうした?」
一陽が顔を覗き込んできた。
「えっ!? 何が?」
「いや、さっきから黙ってるから。気分でも悪いのか?」
「いや、別に! 絶好調だぜ!」
「お、おう」
「……あ」
一陽がきょとんとした。
周囲から、くすくすと笑い声が漏れる。
「菖蒲さん、面白いですね」
美月が微笑む。
「ち、違うんすよ! ちょっと考え事してただけで!」
「何を考えてたの?」
杏が首を傾げた。
「……秘密」
玲奈は弁当箱を開けた。
これ以上、余計なことを考えるのはやめよう。
そう思って、自分で作ったおかずを口に運ぶ。
「……うま」
思わず漏れた声に、一陽が笑った。
「自分で作ったんだろ?」
「自分で作っても、うまいもんはうまいだろ!」
「それもそうだな」
一陽は素直に頷いた。
そんなやりとりをしていると、綾乃がふいに玲奈へ話しかけた。
「菖蒲さんは、大波君とよく一緒にいるのかい?」
「えっ?」
「最近、二人で話しているところを見かけることがあるから」
玲奈は一瞬、箸を止めた。
「……まあ、たまにだな」
「そう。大波君は、ああ見えて気を遣いすぎるところがあるから。困ったことがあったら、遠慮せずに周りを頼ってね」
綾乃の声は、いつもの軽やかさの中に、少しだけ真剣さを含んでいた。
玲奈はその言葉の意味を考えた。
一陽が誰かのために無理をすることを、この人も知っているのだろう。
「……はい。ありがとうございます、御影川先輩」
玲奈は素直に頭を下げた。
「ふふ。いい返事だね」
綾乃は満足そうに笑った。
昼休みの終わりが近づき、みんなが少しずつ弁当を片付け始める。
凪は最後まで野菜を食べるよう美月に促され、杏は購買のプリンを買いに行く算段を立て、美琴は弁当箱の蓋を閉じた。
照平は空になったパンの袋をまとめている。
咲は一陽の弁当箱を見て、また笑った。
「それ、帰ったらお姉さんと妹ちゃんにお礼言っておきなよ」
「何のお礼だよ。俺の尊厳を奪ったことへの感謝か?」
「愛されてることへの感謝」
「難しい課題だな……」
玲奈は、そんな一陽を見て笑った。
さっきまで胸にあった引っかかりは、完全に消えたわけではない。
それでも、一陽の周りにいる人たちが、彼のことを大切に思っているのは分かった。
みんな違う距離から、一陽と関わっている。
幼馴染として。
友人として。
同級生として。
そして、自分もまた一学年下の後輩として。
――それでいいじゃねえか。
玲奈は心の中でそう言い聞かせた。
一陽が誰と仲良くしようと、それを止める理由はない。
ただ、自分もこの輪の中に、自然にいられたらいい。
「玲奈、午後の授業も頑張れよ」
一陽が弁当箱を片付けながら言った。
「おう。一陽パイセンもな」
「俺はいつも頑張ってるぞ」
「本当かよ〜」
いつもの軽口に、二人は笑った。
その様子を見ていた咲が、ほんの少しだけ意味ありげに目を細めたが、何も言わなかった。
玲奈は気づかないふりをして、空になった弁当箱を鞄にしまう。
昼休みは、もうすぐ終わる。
午後になれば、またいつもの学校生活が始まる。
それでも今日の昼休みは、玲奈にとって少しだけ特別だった。
一陽の知らなかった顔を、いくつも見つけたから。
そして、自分もまた、その輪の中に一歩だけ近づけた気がしたから。
――まあ、悪くねえな。
玲奈は一陽の背中を追いながら、小さく笑った。
ただし。
一陽の周りに女子が多いという事実だけは、どうにも気になってしまうのだった.




