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俺は善人なんかじゃない  作者: エクレアだった物
第五章 噂の不良後輩は、妹に甘々お姉ちゃん

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第50話


「……だから、病院に行くって言ってるだろ」


「うるせえ! いいから黙って歩け、一陽パイセン!」


「いや、歩くのは俺なんだけど……」


「口答えすんな!」


翌日の朝。


一陽は、病院での診察を終えて帰宅する途中だった。


幸い、重大な怪我はなかった。身体のあちこちを痛めており、しばらくは無理をしないようにと言われたが、入院するほどではない。


問題は、隣を歩く玲奈だった。


昨日からずっと、この調子なのである。


「……玲奈。そんなに怒らなくてもいいだろ」


「怒ってねえよ」


「怒ってる人はだいたいそう言うんだよな」


「じゃあ、怒ってる。文句あんのか?」


「ありません」


一陽が素直に答えると、玲奈は不満そうに頬を膨らませた。


いつものように乱暴な言葉を使っているが、歩く速度は一陽に合わせている。段差があれば先に気づいて声をかけ、横断歩道ではさりげなく車道側に立った。


その様子を見て、一陽は小さく笑った。


「……何笑ってんだよ」


「いや。玲奈って、面倒見がいいんだなと思って」


「はあ? 普通だろ、こんなの」


「そうかな」


「そうだよ!」


即答だった。


しかし、その声には少しだけ照れが混じっていた。


一陽はそれ以上からかわず、素直に彼女の隣を歩いた。


昨日、倉庫で自分が倒れていたとき。


玲奈は、今まで見たことがないほど取り乱していた。


あの怒りは、仲間を傷つけられたからなのか。それとも、単純に自分を心配してくれたからなのか。


一陽には分からなかった。


ただ、あんな顔をさせてしまったことは、申し訳ないと思っている。


「……玲奈」


「何だよ」


「昨日は、ごめんな」


玲奈の足が止まった。


「……は?」


「心配かけたからさ」


「……何でパイセンが謝んだよ」


「いや、だって」


「謝るのは、あいつらだろ!」


玲奈の声が大きくなる。


通行人がちらりとこちらを見た。


玲奈は慌てて声を抑えたが、怒りは収まっていないようだった。


「……あたしが、もっと早く気づいてればよかったんだ。パイセンを一人にしなきゃ、あんなことには……」


「それは違うよ」


一陽は静かに言った。


「玲奈が悪いわけじゃない。あれは、あの人たちが自分で選んだことだ」


「でも……」


「それに、玲奈が来てくれたから、話が終わったんだ。助かったよ。ありがとう」


玲奈は口を閉じた。


素直に感謝されると、どう返せばいいのか分からない。


まして、相手は自分をかばって傷ついた人間だ。


「……別に。礼を言われるようなことしてねえし」


「そう?」


「そうだよ」


「じゃあ、そういうことにしておくか」


一陽は笑った。


玲奈はその顔を見て、胸の奥がまた少しだけ痛くなった。


昨日から、何度も同じことを考えている。


この人が笑っていると安心する。


苦しそうにしていると、落ち着かなくなる。


その理由を考えようとすると、なぜか顔が熱くなってしまう。


――何なんだよ、これ。


玲奈は考えるのをやめた。


今は、一陽がちゃんと家に帰って休むこと。それだけを考えればいい。


     *


「ただいまー」


「お邪魔します」


玲奈の家に到着すると、玄関から小さな足音が聞こえてきた。


「おねえちゃーん!」


飛び出してきた小春は、玲奈の腰に抱きついた。


「おっと。ただいま、小春」


「おかえりー!」


小春は顔を上げ、玲奈の後ろにいる一陽を見つけると、ぱっと笑顔になった。


「ハルちゃん!」


「おう、小春ちゃん。ただいま」


「ハルちゃん、どうしたの? お顔、いたい?」


小春は一陽の顔をじっと見つめた。


頬の傷に気づいたらしい。


「ちょっと転んじゃってな」


「ころんだの? いたかった?」


「まあ、ちょっとな」


「よしよししてあげる!」


小春は背伸びをして、一陽の腕をそっと撫でた。


「もう、いたいの飛んでけー!」


「ははっ。ありがとう。もう大丈夫だ」


「ほんと?」


「ほんとだよ」


「じゃあ、いっしょにあそぼ!」


「こら、小春!」


玲奈が慌てて妹を止めた。


「一陽パイセンは怪我してんだよ。今日は遊べないの」


「えーっ!」


小春は見るからにしょんぼりした。


その顔を見て、一陽が困ったように笑う。


「いや、少しくらいなら……」


「駄目!」


玲奈が即座に遮った。


「パイセンは休む! 絶対!」


「……はい」


「おねえちゃん、こわーい」


「誰のせいだと思ってんだ!」


小春の無邪気な言葉に、玲奈が思わず突っ込む。


そのやり取りを見て、一陽は笑いをこらえきれなかった。


家の中は温かかった。


昨日の出来事が嘘のように、いつもの生活がそこにある。


けれど、その日常を守るために玲奈がどれだけ頑張っているのか、一陽は少しずつ理解し始めていた。


     *


「大波君、今日は本当にありがとうね」


台所から出てきた玲奈の母親が、一陽に頭を下げた。


仕事へ出かける前に、一陽の様子を見に来たらしい。


「いえ、こちらこそ急にお邪魔してすみません」


「そんなの気にしなくていいのよ。玲奈から聞いたわ。怪我をしたのに、あの子のことまで気にかけてくれたんでしょう?」


「……いや、俺は別に」


「ふふ。あの子、昔から強がりだから。心配してるときほど、口が悪くなるのよ」


「母さん!」


玲奈が顔を赤くして抗議した。


「余計なこと言うなよ!」


「あら、本当のことでしょう?」


「そういう問題じゃねえ!」


母親は楽しそうに笑った。


「大波君。今日はゆっくりしていってね。玲奈、お願いできる?」


「……分かったよ」


「小春のことも、あんまり無理しないでね。あなたも自分の時間を大事にするのよ」


その言葉に、玲奈は少しだけ表情を曇らせた。


母親はそれに気づいているのか、優しく頭を撫でる。


「いつもありがとうね」


「……別に。家族なんだから普通だろ」


「そうね。でも、ありがとうは何度言ったっていいのよ」


母親が出かけたあと、玲奈はしばらく玄関を見つめていた。


「……玲奈?」


一陽が声をかける。


「ん。何でもねえ」


そう答えた玲奈は、すぐにいつもの表情に戻った。


「とりあえず、座ってろ。昼飯作るから」


「え、いいのか?」


「怪我人に台所立たせるわけねえだろ。何食いたい?」


「何でもいいよ」


「それが一番困るんだよ!」


玲奈は呆れたように言いながら、台所へ向かった。


その背中を見て、一陽は思う。


玲奈はきっと、ずっとこうしてきたのだろう。


家族のために動くことを当たり前だと思い、自分の疲れや気持ちを後回しにして。


だからこそ、自分は彼女に無理をしてほしくない。


けれど、それをどう伝えればいいのかは、まだ分からなかった。


     *


昼食は、玲奈が作った卵入りのおじやだった。


「……うまい」


一陽が素直に感想を口にすると、玲奈は少しだけ得意げになった。


「だろ。あたし、料理は得意なんだよ」


「すごいな。俺なんか、卵焼きも焦がすぞ」


「それは料理が下手すぎるだろ」


「反論できない」


小春も隣でおじやを食べながら、満足そうに頷いた。


「おねえちゃんのごはん、おいしいよ!」


「はいはい。ありがとな」


玲奈は妹の頭を撫でた。


その表情は、学校で見せる鋭い顔とはまるで違っていた。


柔らかくて、優しくて、少しだけ誇らしげだった。


一陽はそれを見て、自然と笑みを浮かべた。


「……何だよ、また」


玲奈がこちらを睨む。


「いや。いいお姉ちゃんだなって」


「……っ!」


玲奈の手が止まった。


「な、何だよ急に!」


「いや、思ったことを言っただけだけど」


「そういうの、いちいち言わなくていいんだよ!」


「そっか。じゃあ、心の中にしまっておく」


「……最初からそうしろ!」


玲奈は顔を背けた。


耳まで赤くなっている。


小春は不思議そうに姉を見上げた。


「おねえちゃん、おかお赤いよ?」


「赤くねえ!」


「でも赤いよ?」


「小春!」


「きゃー!」


小春が笑いながら逃げ出し、玲奈が追いかける。


その光景に、一陽はまた笑った。


昨日まで、玲奈は自分にとって少し変わった後輩だった。


噂が多くて、口は悪いけれど、根は優しい。


今も、その認識は変わらない。


ただ、彼女の大切なものを、少しだけ知ることができた気がした。


そして玲奈の方は、一陽の笑顔を見るたびに、昨日の倉庫で感じた恐怖を思い出していた。


もし、あのまま目を覚まさなかったら。


もし、もう二度と、あの声を聞けなかったら。


そこまで考えて、玲奈は慌てて首を振った。


――何考えてんだ、あたし。


ただの先輩だ。


大事な、頼れる先輩。


それだけだ。


「……一陽パイセン」


「ん?」


「……明日も、ちゃんと休めよ」


「分かった。心配してくれてありがとう」


「だから、礼なんかいらねえって!」


玲奈は顔を背けた。


その横で、小春が無邪気に笑う。


「ハルちゃん、またあそびにきてね!」


「もちろん。また来るよ」


「やったー!」


小春が両手を上げて喜ぶ。


玲奈はその様子を見ながら、小さく息を吐いた。


明日も、明後日も。


この人が、いつも通りに笑っていてくれたらいい。


そんな願いが、自分の中に生まれていることに。


玲奈は、まだ気づいていなかった。

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