第48話
「……あ、そうだ。紹介するの忘れてた」
玲奈と合流した一陽は、隣を歩いていた照平と咲を振り返った。
「玲奈、こいつらは俺の友達。狭山照平と新倉咲」
「おう! 狭山照平。ハルとは中学からの付き合いだ。よろしくな!」
照平はいつもの人懐っこい笑顔で手を上げた。
「新倉咲です。ハルとは昔からの幼馴染。よろしくね、菖蒲さん」
咲も穏やかに微笑む。
対する玲奈は、少しだけ警戒した様子で二人を見比べた。
「……菖蒲玲奈。一年。……よろしく…っす」
「お、噂の金髪後輩と初対面だ!」
「照平」
「はいはい、余計なことは言いません」
一陽に睨まれ、照平は両手を上げた。
玲奈は眉をひそめる。
「ああ、いや。気にしなくていいよ。照平は誰にでもこんな感じだから」
「おい、俺の紹介が雑じゃねえか?」
「事実だろ」
「そこは否定しろよ!」
咲がくすくす笑った。
「ごめんね、菖蒲さん。こいつら、いつもこんな感じだから」
「……いや、別に。つーか、一陽パイセンって友達いたんだな」
「お前、俺を何だと思ってるんだよ」
「いや、だって……」
玲奈は一瞬言い淀み、気まずそうに目を逸らした。
「……学校での噂、聞いたことあるし」
「なるほど。俺も有名人ってわけか」
「自慢できる有名人じゃねえだろ」
「それはそう」
照平が即座に突っ込んだ。
「なあ、ハル。さっきから気になってたんだけどよ」
「何だよ」
照平は玲奈をちらりと見てから、一陽に顔を寄せた。
「お前、菖蒲さんのこと、普通に『玲奈』って呼んでるよな?」
「……ああ」
「何で? いつの間にそんなに親しくなったんだ?」
咲も不思議そうに首を傾げる。
「私も気になってた。菖蒲さんって呼ぶんじゃなくて、下の名前で呼んでるよね」
「別に、親しくなったからってわけじゃない」
一陽は少し考えてから、玲奈にも聞こえるように説明した。
「菖蒲家って、家族全員が苗字だと『菖蒲』になるだろ? 玲奈の家では小春ちゃんやお母さんも菖蒲だから、話してると誰のことか紛らわしくなるんだよ。それで、区別するために玲奈って呼ぶようになった」
「へえ、そういう理由か」
照平は納得したように頷いた。
「じゃあ、別に特別な意味はねえんだな?」
「何でそこを確認するんだよ」
「いや、だってお前が女の子を下の名前で呼ぶなんて珍しいからさ」
「そうなの?」
咲が一陽を見る。
「……そうなのか?」
一陽は自分でもよく分からず、玲奈に視線を向けた。
玲奈は少しだけ頬を赤くして、そっぽを向く。
「……別に。あたしは、呼びやすいならそれでいいけど」
「ほら、本人もそう言ってる」
「でも、ハルが女の子を下の名前で呼ぶの、俺は初めて見たぞ」
「照平、余計なことは言わないの」
咲がたしなめる。
「だって気になるだろ?」
「気にしなくていい」
一陽はため息をついた。
「それに、玲奈が嫌なら菖蒲さんに戻すけど」
「……いや」
玲奈は小さく首を振った。
「そのままでいい。家でもその方が分かりやすいし」
「だってさ」
一陽が照平を見ると、照平はにやりと笑った。
「はいはい。そういうことにしとくわ」
「どういうことだよ」
「何でもねえって」
「絶対何かあるだろ」
「ハルのこと、変な噂で判断しないでやってくれよ。こいつ、口は悪いし面倒くさいところもあるけど、悪い奴じゃないからさ」
「おい。フォローしてるようで、途中から普通に悪口だぞ」
「でも、そういうところも含めてハルだからね」
咲も笑いながら頷いた。
玲奈は二人の顔を見つめた。
噂を聞いているはずなのに、二人は一陽を避けるどころか、遠慮なくからかっている。
そこには、長い付き合いがあるからこその気安さがあった。
「……そっか」
玲奈の口元が、ほんの少し緩む。
「パイセン、ちゃんと友達いるんだな」
「だから、いるって言ってるだろ」
「いや、なんか安心したわ」
「何でだよ」
「……何となく」
玲奈はそれ以上答えなかった。
けれど、一陽は彼女の言葉が少し気になった。
自分が友達に恵まれていることを、なぜ安心するのだろう。
その疑問を口にする前に、照平が手を叩いた。
「よし! せっかくだし、みんなで帰ろうぜ。菖蒲も帰る方向はこっちだろ?」
「……まあな」
「じゃ、決まり!」
「お前が勝手に決めるなよ」
「いいじゃん。人数が多い方が楽しいだろ?」
照平は悪びれずに笑った。
玲奈は少し困った顔をしたものの、断ろうとはしなかった。
四人は並んで歩き始めた。
*
「そういえば、菖蒲さんってバイトとかしてるの?」
しばらく歩いたところで、咲が尋ねた。
「いや、してねえよ。家のことがあるし」
「家のこと?」
「母さんが仕事で忙しいから、小春の面倒とか家事とか。まあ、いつものことだし」
玲奈は何でもないように答えた。
しかし、咲は少し考えるような顔をした。
「そっか。大変だね」
「別に。家族のことだし、普通だろ」
「普通って言えるのは、すごいと思うよ。でも、菖蒲さん自身の時間も大切にしてね」
玲奈は意外そうに咲を見た。
「……あんた、変わってんな」
「え?」
「いや、もっと『偉いね』とか『しっかりしてるね』とか言われると思ってたから」
「もちろん、偉いと思うよ。でも、頑張ってる人にもっと頑張れって言うのも違うでしょ?」
咲はあっさりと言った。
「それに、家族を大切にすることと、自分のやりたいことを諦めることは別だと思うし」
玲奈は何も言わなかった。
その言葉が、思いのほか胸に残ったからだ。
照平も珍しく真面目な顔をしていた。
「俺もそう思うぜ。ハルなんか、他人のために自分のこと後回しにしすぎるからな」
「何で俺の話になるんだよ」
「いや、参考例として」
「人を反面教師みたいに扱うな」
「実際、そういうところあるでしょ?」
咲にまで言われ、一陽は黙った。
「……二対一は卑怯だろ」
「図星じゃん」
照平が笑う。
玲奈はそのやり取りを見て、思わず小さく吹き出した。
「……ははっ」
「お、菖蒲が笑った!」
「うるせえ! 笑っちゃ悪いのかよ!」
「いや、いいことだと思うぞ!」
「だから、うるせえって!」
玲奈は照れ隠しのように顔を背けた。
一陽はそんな彼女を見て、少し安心した。
さっきまでの張り詰めた様子が、わずかに和らいでいる。
ただ、その表情の奥にあるものまでは、まだ分からなかった。
*
やがて、交差点に差しかかった。
「俺ら、こっちだから」
照平が道の反対側を指差した。
「じゃあね、菖蒲さん。また学校で」
咲も手を振る。
「……ああ。今日はどうも」
玲奈はぎこちなく頭を下げた。
照平は一陽の肩に腕を回し、耳元で囁く。
「ハル。ちゃんと送ってやれよ」
「……お前な」
「何だよ。心配してんだろ?」
「余計なお世話だ」
「はいはい。じゃあな!」
照平は笑いながら走り出し、咲も呆れたようにその後を追っていった。
「照平、走らないの!」
「咲が遅いんだって!」
「ハル、また明日ね!」
二人の声が遠ざかっていく。
一陽は苦笑しながら手を振り返した。
「……騒がしい奴らだろ?」
「……うん。でも、いい奴らだな」
玲奈は二人の背中を見つめていた。
「パイセンのこと、ちゃんと分かってる感じがした」
「まあ、付き合いが長いからな」
「……羨ましい」
小さな声だった。
一陽は聞き逃さなかった。
「玲奈?」
「……あ、いや。何でもねえ」
玲奈は視線を落とし、しばらく黙って歩いた。
一陽も急かさなかった。
彼女が話したくなるまで待とうと思った。
けれど、今度は玲奈の方から足を止めた。
「……一陽パイセン」
「ん?」
「ちょっと、話がある」
その声は、いつもよりずっと真剣だった。
一陽は彼女に向き直る。
「分かった。聞くよ」
玲奈は唇を噛んだ。
何度も言葉を探すように口を開きかけては、閉じる。
やがて、覚悟を決めたように顔を上げた。
「……あたし、昔さ。ちょっと荒れてた時期があったんだよ」
「うん」
「そのとき、一緒にいた連中がいてさ。……いや、連中っていうか、仲間だった」
過去形にした瞬間、玲奈の表情が歪んだ。
「そいつらとは、中学の頃からずっと一緒だった。喧嘩もしたし、馬鹿なこともした。ムカつくこともいっぱいあったけど……何だかんだ、居心地はよかったんだ」
「……そっか」
「でも、高校に入ってからは、もうやめようって思ったんだよ。小春もいるし、母さんにも心配かけたくない。これからのことも考えたかった」
玲奈は拳を握った。
「だから、何も言わずに離れた」
「何も言わずに?」
「ああ。……言ったら、引き止められると思ったから」
一陽は黙って聞いていた。
「今日、そのときの仲間に会ったんだ。親友だった奴。そいつ、まだあたしが戻ってくると思ってたらしい」
玲奈の声が震える。
「……あたし、どうすればよかったんだろうな」
その問いに、一陽はすぐには答えなかった。
安易に「戻ればいい」と言うのも、「もう関わるな」と言うのも違う。
玲奈が何を大切にしていて、何を恐れているのか。それを知らずに答えを出すことはできない。
「……玲奈は、そいつらともう一度一緒にいたいの?」
「分かんねえ」
玲奈は即答した。
「会いたくないわけじゃない。でも、戻りたいわけでもない。……今の生活を壊したくないんだよ」
「小春ちゃんや、お母さんとの生活を?」
「……そうだよ」
玲奈は顔を伏せた。
「昔のあたしを知ってる奴らと一緒にいたら、また同じことになる気がする。小春にまで迷惑かけるかもしれない。母さんだって、やっと落ち着いたのに……」
そこまで話して、玲奈は苦しそうに息を吐いた。
「……でも、あいつらを捨てたみたいになってんのも、嫌なんだよ」
その言葉を聞いて、一陽はようやく理解した。
玲奈は過去を捨てたいわけではない。
過去に戻ることが怖いのだ。
大切だった人たちと、今の自分の生活。そのどちらも簡単には切り捨てられない。
「……そっか」
一陽は静かに頷いた。
「じゃあ、まずは話してみたらいいんじゃないか」
「……は?」
「戻るかどうかを決める前に、今の玲奈がどうしたいのか、ちゃんと伝えればいい。相手の話も聞いてさ」
「……そんな簡単に言うなよ」
「簡単だとは思ってないよ」
一陽は彼女の目を見た。
「ただ、何も言わずに離れたままだと、玲奈もそいつも、ずっと相手の気持ちを想像するしかないだろ?」
玲奈は唇を引き結んだ。
「……もし、分かってもらえなかったら?」
「そのときは、そのときに考えよう」
「……適当だな」
「まだ何も知らない俺が、勝手に結論を出す方が無責任だろ」
玲奈は一瞬目を丸くし、それから小さく笑った。
「……パイセンらしいわ」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めてねえよ」
「知ってる」
いつものやり取りに戻った。
けれど、玲奈の表情にはまだ不安が残っていた。
「……明日、そいつに会う約束をしてる」
「うん」
「たぶん、また戻ってこいって言われると思う。……あたし、ちゃんと断れるかな」
一陽は少しだけ考えた。
そして、玲奈の不安を否定することなく答えた。
「断ることだけが、正解じゃないと思うよ。玲奈が何を伝えたいのか。それをちゃんと考えてから行けばいい」
「……そっか」
玲奈はゆっくりと息を吐いた。
「……ありがとな、一陽パイセン」
「どういたしまして」
「……あのさ」
「ん?」
「明日、もし……もし、うまくいかなかったらさ」
玲奈は言葉を切り、迷うように視線を揺らした。
「……また、話を聞いてくれる?」
一陽は迷わず頷いた。
「もちろん」
その返事を聞いた玲奈は、ようやく少しだけ笑った。
「……そっか。じゃあ、頑張ってみる」
夕暮れの道を、二人は再び歩き始めた。
玲奈が抱えている問題は、まだ何一つ解決していない。
それでも、誰にも言えなかった気持ちを口にできたことは、彼女にとって小さな一歩だった。
そして一陽は、まだ知らない。
玲奈の過去を知る人々が、彼女を簡単に手放すつもりなどないことを。
明日、彼女が向かう場所で待っているのは、懐かしい仲間との再会だけではない。
彼女が自分の過去と向き合うための、避けては通れない時間だった。




