第46話
「ハル。お前、最近一年の菖蒲とよく話してるらしいな」
「……お前、学校中に監視カメラでも設置してんの?」
翌日の昼休み。
狭山照平の余計な一言に、大波一陽は弁当を食べる手を止めた。
「いやいや。普通に噂になってんだよ。あの菖蒲玲奈と二年の問題児が接触してるって」
「その言い方だと、俺まで不良みたいじゃないか」
「自覚なかったのか?」
「お前、俺に対してだけ妙に辛辣だよな」
「親友だからな」
「親友って便利な言葉だな……」
隣で話を聞いていた新倉咲が、くすくす笑った。
「でも、菖蒲さんって本当に怖い子なの? ハルはどう思ってる?」
「どうって言われてもな。口は悪いけど、普通に話せる相手だよ」
「普通に話せる、ねえ」
照平が意味ありげに笑う。
「お前、女子に対しては妙に警戒心が強いくせに、あいつとは自然に話してるんだな」
「別に。あいつが普通に話しかけてくるから、こっちも普通に返してるだけだ」
「その普通ができない人間もいるんだよ」
咲の言葉に、一陽は返事をしなかった。
玲奈が周囲から距離を置かれているのは、何となく分かっていた。
見た目や噂だけで怖がられ、本人が何かする前から避けられている。
自分も似たような経験があるからこそ、余計な先入観を持たずに接することができるのかもしれない。
もっとも、本人にそんなことを言えば、間違いなく「気持ち悪いこと言ってんじゃねえ」と返されるだろう。
それはそれで、容易に想像できた。
*
放課後。
一陽が教室を出ると、廊下の窓際に見覚えのある金髪があった。
玲奈は壁に背中を預け、腕を組んでいる。
「……よ。一陽パイセン」
「おう、菖蒲。誰か待ってんの?」
「別に。ちょっと用事があっただけ」
「そうか」
「……いや、だから、そうかで終わらせんなよ」
「えっ、何? 会話を続けた方がよかった?」
「そういう意味じゃねえ!」
玲奈は苛立ったように髪をかき上げた。
どうやら、何か言いたいことがあるらしい。
一陽は急かさずに待った。
玲奈はしばらく視線を泳がせてから、ぼそりと呟いた。
「……なあ、パイセン。今日、時間ある?」
「まあ、特に予定はないけど」
「だったら、ちょっと付き合ってくんねえ?」
「どこに?」
「……うち」
「うち?」
「小春がどうしても会いたいって言ってんだよ。母さんも、一回ちゃんと礼を言いたいって」
言い終えた玲奈は、急に落ち着かなくなった様子で視線をそらした。
「別に、無理に来いって言ってるわけじゃねえからな。嫌なら断っていいし」
「いや、行くよ」
「……は?」
「お礼を言いたいって言ってくれてるんだろ? なら、断る理由もないし」
「……そっか」
玲奈の肩から、わずかに力が抜けた。
「じゃ、行くぞ。変な期待すんなよ」
「何の期待だよ」
「知らねえ!」
顔を赤くした玲奈が歩き出す。
一陽は首を傾げながら、その後を追った。
*
「ハルちゃーん!」
玄関の扉が開くなり、小さな女の子が飛び出してきた。
「おっと」
一陽はしゃがみ込み、勢いよく抱きついてきた小春を受け止めた。
「来てくれたの!?」
「ああ。玲奈に誘われてな」
「やったあ!」
小春は満面の笑みを浮かべた。
その後ろから、玲奈が慌てて顔を出す。
「こら、小春! いきなり飛びつくなって! パイセンが転んだらどうすんだよ!」
「ハルちゃん、つよいもん!」
「強いとかそういう問題じゃねえだろ!」
「はは……元気だなあ」
「……パイセンも甘やかすなよ」
玲奈は呆れた顔をしていたが、その声には怒っている様子がなかった。
家の中から、女性の声が聞こえた。
「玲奈ー? お客さん来たの?」
「うん、母さん。前に、小春を送ってくれた先輩」
現れたのは、若々しい雰囲気の女性だった。
明るい髪を後ろでまとめ、動きやすそうな服を着ている。見た目には少し迫力があるものの、笑うと親しみやすい。
「初めまして。玲奈と小春の母です。昨日は本当にありがとうございました」
「いえ、俺は家まで送っただけですから」
「それでもよ。あの子が無事に帰ってきてくれて、本当に安心したの」
母親は小春の頭を撫でた。
「この子、好奇心が強くてね。目を離すとすぐにどこかへ行っちゃうの」
「ちょうちょがいたんだもん!」
「はいはい。次からはちゃんとお姉ちゃんのそばにいるのよ」
「はーい!」
元気よく返事をする小春を見て、玲奈が小さく息を吐いた。
「……返事だけはいいんだよな、こいつ」
「玲奈だって、小さい頃は同じだったわよ?」
「ちょっ、母さん! 余計なこと言うなって!」
「ふふ。そうだったかしら?」
「絶対わざとだろ……!」
一陽は思わず笑った。
学校では近寄りがたい雰囲気をまとっている玲奈が、家では母親にからかわれて本気で慌てている。
その姿が妙に新鮮だった。
「……何笑ってんだよ、パイセン」
「いや。菖蒲にもそういう顔があるんだなと思って」
「どんな顔だよ!」
「普通の女の子の顔」
玲奈は一瞬、言葉に詰まった。
「……うっせ。ほら、いつまでも玄関にいねえで入れよ!」
乱暴に言い放ち、先に廊下へ戻ってしまう。
その耳が少し赤くなっていることには、一陽も母親も気づいていた。
*
居間に通された一陽は、テーブルの上に並んだ料理を見て目を丸くした。
煮物に味噌汁、焼き魚に野菜炒め。
どれも家庭的で、丁寧に作られている。
「すごいですね。これ、全部玲奈さんが作ったんですか?」
「そうよ。玲奈は家事が得意なの。私が仕事で遅くなる日も多いから、ずいぶん助けてもらってるわ」
「別に、普通だろ」
玲奈はそっけなく答えた。
「普通って量じゃないと思うけど……」
「食べるぞ。冷めるから」
話を切り上げるように、玲奈は箸を手に取った。
一陽も手を合わせる。
「いただきます」
まずは煮物を一口。
「……うまい」
思わず声が漏れた。
「本当?」
小春が身を乗り出す。
「うん。味がちゃんと染みてるし、すごくおいしい」
「それ、お姉ちゃんが作ったんだよ!」
「うん。菖蒲、料理うまいんだな」
「……そりゃ、毎日やってりゃな」
玲奈はぶっきらぼうに答えたが、箸を動かす手が少しだけ速くなった。
母親はそんな娘を、優しい目で見つめていた。
「玲奈は昔から面倒見がいいの。小春のことも、本当によく見てくれてる」
「母さん、もういいって」
「でも、たまには言わせてよ。いつもありがとうね」
玲奈は黙った。
やがて、小さな声で答える。
「……別に。家族なんだから、当たり前だろ」
その言葉に、一陽は箸を止めた。
家族だから当たり前。
きっと玲奈にとって、それは本心なのだろう。
けれど、当たり前だと思えるほど、毎日続けることは簡単ではない。
学校での噂しか知らない人間は、彼女がどれだけ家族を大切にしているか、きっと知らない。
「菖蒲」
「……何だよ」
「毎日、頑張ってるんだな」
「……っ」
玲奈の箸が止まった。
「な、何だよ急に。別に褒められるようなことじゃねえし」
「そうか? 俺はすごいと思うけど」
「……パイセン、ほんっと変なことばっか言うな」
玲奈は顔をそむけた。
その横で、小春がにこにこと笑っている。
「お姉ちゃん、うれしいんだよ!」
「小春!」
「えへへ!」
「あとで覚えてろよ……!」
「やー!」
居間に笑い声が広がった。
その光景を眺めながら、一陽は思った。
ここにいる玲奈は、学校で噂されている少女とは別人のようだった。
いや、きっと、こちらも彼女の本当の姿なのだ。
強くて、口が悪くて、少し不器用。
それでも、家族を守るために自分のできることを続けている。
誰かに褒められるためでも、認められるためでもなく。
ただ、大切な人たちが笑っていられるように。
「……菖蒲」
「今度は何だよ」
「そういえば、ここにいるのはみんな菖蒲なんだな」
「……ああ。母さんも小春も、名字は菖蒲だよ」
「じゃあ、呼び方を変えた方がいいかもな。名字で呼ぶと誰だか分かりにくいし、玲奈のことは名前で呼んでもいいか?」
玲奈は目を見開いた。
「……名前で?」
「うん。小春ちゃんは小春ちゃんって呼んでるし、お母さんも玲奈さんのお母さんって呼ぶことになるだろ? 玲奈だけ菖蒲だと、ちょっと紛らわしいから」
「……別に、好きにすれば」
ぶっきらぼうに答えた玲奈だったが、耳はみるみる赤くなっていく。
「じゃあ、玲奈」
「……っ」
名前を呼ばれた瞬間、玲奈の肩が跳ねた。
「な、何だよ、急に!」
「いや、呼んでみただけだけど」
「呼んでみただけって……!」
「嫌だったか?」
「……嫌じゃねえけど。いきなりは、ちょっと……」
玲奈は視線をそらし、指先で箸を弄んだ。
「じゃあ、これからは玲奈って呼ぶよ」
「……勝手にしろ」
そう言いながらも、玲奈の口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
小春が嬉しそうに手を叩く。
「お姉ちゃん、名前で呼んでもらえてよかったね!」
「小春!」
「えへへ!」
「あとで覚えてろよ……!」
「やー!」
居間に、また笑い声が広がった。
「……玲奈」
「だから、何だよ」
「また、飯食いに来てもいいか?」
玲奈は目を見開いた。
「……はあ!?」
「いや、料理がおいしかったから」
「そ、そういう意味かよ!」
「ほかにどういう意味があるんだ?」
「知らねえよ、バカ!」
玲奈は勢いよく立ち上がった。
「……勝手にしろ! 母さんがいいって言うなら、別に……!」
そう言い残して台所へ逃げていく。
母親は娘の背中を見送り、それから一陽に意味ありげな笑みを向けた。
「ふふ。玲奈、あなたのことを気に入ったみたいね」
「えっ? いや、そんなことは……」
「そうかしら?」
「母さん! 聞こえてんぞ!」
台所から怒鳴り声が飛んできた。
小春は一陽の袖を引っ張る。
「ハルちゃん、また来てね!」
一陽は笑って、その頭を撫でた。
「ああ。また来るよ」
その約束を聞いて、小春は満足そうに笑った。
そして台所では、玲奈が誰にも見られないように頬を押さえていた。
「……なんなんだよ、あの先輩」
口ではそう言いながらも、その胸の奥は、不思議なくらい温かかった。




