第45話
「なあ、ハル。昨日の放課後、何してたんだ?」
翌日の昼休み。
弁当を食べていると、向かいに座る狭山照平が妙にニヤニヤしながら聞いてきた。
「普通に帰ったけど」
「へえ。普通にねえ」
「……何だよ、その顔」
「いやあ? 最近、噂の金髪一年生と一緒にいるところを見たって話を聞いてな」
「情報が回るの早すぎない?」
「お前が関わると、何でも話題になるんだよ」
隣でパンを食べていた新倉咲も、興味深そうに顔を上げた。
「ハル、金髪の一年生って、あの菖蒲玲奈さん?」
「名前まで知ってるのか」
「有名だもん。怖いって噂の子でしょ?」
「怖いというか、見た目で損してる感じだったけどな」
昨日、妹の小春を迎えに来た玲奈の顔を思い出す。
鋭い目つきに、少し乱れた制服。初対面の人間なら、確かに近寄りがたいと感じるだろう。
けれど、妹を抱きしめたときの表情は、噂から想像するような人物のものではなかった。
「ハル、もしかして不良少女を更生させる新しい活動でも始めた?」
「何だよ、その迷惑なボランティア」
「だって、ハルって問題のある人間を放っておけないじゃん」
「放っておけないのと、わざわざ問題に首を突っ込むのは別だろ」
「その二つを別々に考えられる人は、杏ちゃんの件でクラス全員を敵に回したりしないと思うけど」
「……咲さん、そこを掘り返すのはやめていただけませんかね」
「はいはい」
咲は楽しそうに笑った。
照平も肩を揺らしている。
まったく、こいつらは人の失敗をいつまでも覚えている。
いや、失敗というより、いつものことなのだろう。困っている人間に手を伸ばして、余計なものまで背負い込む。
自覚があるぶん、反論できないのが腹立たしかった。
「まあ、昨日は迷子の子を家まで送っただけだよ」
「迷子?」
「幼稚園くらいの女の子。玲奈の妹だった」
「……妹?」
咲の表情が変わった。
「えっ、あの菖蒲さんに妹がいるの?」
「いるだろ。あの年齢なら」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
咲は何かを想像したらしく、口元を押さえた。
「家では優しいお姉ちゃん、みたいな?」
「そういう感じだったな」
「うわ、絶対かわいいじゃん」
「本人の前で言うなよ。睨まれるぞ」
「ハルは睨まれても平気そうだけど」
「俺だって怖いものは怖い」
「嘘つけ」
照平の即答に、俺は弁当の卵焼きを口へ放り込んだ。
玲奈のことを話していると、昨日の小春の笑顔まで思い出してしまう。
『ハルちゃん、また来てね!』
あんなふうに真っ直ぐ頼まれると、どうにも弱い。
自分にも妹がいるせいか、小さい子供のお願いは昔の妹を思い出して断りにくいのだ。
もちろん、何でも聞くわけではない。危ないことや無茶なことは止める。
ただ、あの目で見上げられると、断るために必要な精神力が普段の三倍くらいになる。
「……まあ、また会うこともあるだろ」
そう呟いた俺に、照平がニヤリと笑った。
「へえ。『また会うこともある』ねえ?」
「うるせえな」
「別に何も言ってないぞ?」
「顔が言ってるんだよ」
*
放課後。
昇降口で靴を履き替えていると、聞き覚えのある声がした。
「……あ」
振り向く。
廊下の向こうに、金色の髪が見えた。
菖蒲玲奈だ。
一年生の女子数人が少し離れたところから彼女を見ていたが、玲奈は気づいているのかいないのか、壁に寄りかかってスマートフォンを眺めている。
俺と目が合うと、彼女は一瞬だけ気まずそうな顔をした。
それから、こちらへ歩いてくる。
「……よ。一陽パイセン」
「おう。どうした?」
「どうしたって……別に。たまたま通りかかっただけだし」
「ここ、昇降口だけど」
「見りゃ分かるわ」
「そうだな」
会話が終わった。
玲奈は何か言いたそうに口を開きかけ、結局、視線をそらした。
昨日も思ったが、この子は見た目ほど会話が得意ではないらしい。
周りに人がいると、なおさらなのだろう。
「小春ちゃんは元気か?」
その名前を出した途端、玲奈の表情が少しだけ柔らかくなった。
「ああ。元気すぎて困るくらい。昨日も寝る前まで、ハルちゃんの話ばっかしてた」
「俺の話?」
「『ハルちゃん、また来るかな』って。何回聞かれたか分かんねえよ」
「はは……気に入られたもんだな」
「笑い事じゃねえって。あいつ、気に入った相手には遠慮しねえから」
言い方はぶっきらぼうなのに、口元はほんの少し緩んでいる。
妹の話をする玲奈は、昨日と同じだった。
「でも、ありがとな。昨日は助かった。あたしが買い物に行ってる間に、あいつ、店の前で蝶を追いかけてどっか行っちまってさ。見つけたときは本気で焦った」
「無事だったんだから、もういいだろ」
「よくねえよ。あいつに何かあったら……」
玲奈はそこまで言って、唇を結んだ。
その表情を見て、俺は余計な慰めを口にするのをやめた。
大事な人がいなくなるかもしれない。
その可能性を考えるだけで、胸が冷たくなることは俺にも分かる。
「……次からは、もっと気をつける」
「うん。それがいい」
「パイセン、意外と説教くせえな」
「先輩だからな」
「一学年しか違わねえだろ」
「その一学年の差が大事なんだよ」
「何だそりゃ」
玲奈は呆れたように息を吐いた。
けれど、今度は少しだけ笑っていた。
そのとき、玲奈のスマートフォンが震えた家にあるタブレットからのメールだ。
画面を見た彼女は、すぐに表情を変える。
『お姉ちゃん、今日ハルちゃん来る?』
画面を覗いたわけではないが、玲奈の顔だけで相手が誰なのか分かった。
「……あいつ、ほんとに」
玲奈は困ったように頭をかいた。
「小春ちゃんから?」
「そう。昨日、また会いたいって言ってたからさ。母さんにも、ハルちゃんのこと話したらしい」
「お母さんにまで?」
「『優しいお兄ちゃんだった』って。……ったく、どこで覚えたんだか」
玲奈はスマートフォンを操作し、短く返信した。
その横顔を見ていると、ふと気になったことがあった。
「玲奈って、家のことも結構やってるのか?」
「……まあ、普通に」
返事は短かった。
「母さん、仕事で忙しいし。あたしがやれることはやっときたいだけ」
「そっか」
「何だよ。意外か?」
「いや。昨日、小春ちゃんに接してるところを見たら、何となく分かる」
「……ふうん」
玲奈は目を細めた。
「パイセンってさ、変なとこ見てるよな」
「そうか?」
「普通、見た目で判断するだろ。あたしみたいなの、怖いとか、関わりたくねえとか」
「まあ、そういう人もいるだろうな」
「パイセンだって、変な噂だらけじゃん」
「否定はしない」
「なのに、あたしのことは何も聞かねえの?」
「聞いてほしいのか?」
「……別に」
玲奈はそっぽを向いた。
「話したくなったら聞くよ。話したくないなら、聞かない。それだけ」
少しの沈黙が落ちた。
玲奈は俺を見た。
鋭い目つきはそのままなのに、その奥にある警戒心がほんの少し薄れたような気がした。
「……変な先輩」
「よく言われる」
「褒めてねえから」
「知ってる」
また、玲奈は小さく笑った。
その笑顔を見て、俺は思う。
噂なんて、案外、本人を知るための役には立たないものだ。
少なくとも、目の前にいる後輩は、噂だけで決めつけるにはもったいない人間だった。
「じゃ、あたし帰るわ。小春が待ってるし」
「おう。またな」
「……ああ。またな、一陽パイセン」
玲奈は手を軽く上げて、校門へ向かっていった。
その背中を見送っていると、スマートフォンが震えた。
照平からのメッセージだった。
『お前、今、金髪の一年と話してただろ』
続けて、もう一通。
『青春してんじゃねえか、ハル』
「……あいつ、どこから見てやがった」
俺は深いため息をついた。
その頃。
家へ帰った玲奈は、玄関を開けるなり、小さな足音に迎えられていた。
「お姉ちゃん! ハルちゃんは!?」
「帰ってきて早々それかよ!」
「ハルちゃん、また来るって言った?」
「言ってねえ!」
「えーっ!」
小春は頬を膨らませた。
玲奈はその頭を撫で、少し考えてから言った。
「……まあ、また会うことくらいはあるんじゃねえの」
「ほんと!?」
「期待しすぎんなよ」
「やったあ!」
跳ねるように喜ぶ妹を見て、玲奈は苦笑した。
それから、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟く。
「……あたしも、もう一回くらい話してみてえし」
自分がなぜそう思ったのか。
その理由を、玲奈はまだ考えないことにした。




