第39話
昼休み。
チャイムが鳴り終わると同時に、教室は一気にざわめき始めた。椅子を引く音、弁当箱の蓋が開く音、あちこちで交わされる笑い声。窓から差し込む春の光が机の上に細長く伸び、開け放たれた窓からは、少し暖まった風と校庭の声が流れ込んでくる。
大波一陽は、いつものように教室の隅で弁当を広げようとしていた。
「ハル、そこ詰めろ」
「嫌だ。俺の昼飯を食うためのスペースが減る。精神的な余白が必要なんだ」
「昼飯に精神的余白を求めるな」
狭山照平が呆れた顔で向かいに座り、その隣に新倉咲も腰を下ろす。
「相変わらずくだらないことで揉めてるね」
「俺は揉めてない。照平が一方的に絡んでるだけだ」
「ハルが一方的に面倒くさいだけだろ」
「それは否定しない」
「否定しろよ」
咲が笑う。
ここ最近、教室内で一陽を見る目は少しずつ変わってきていた。
杏の件が完全に消えたわけではない。以前の噂も残っている。それでも、一陽自身はあまり気にしなくなっていた。
少なくとも、この二人が普段通りなら、それでいいと思える程度には。
「一陽」
教室の入口から声がした。
振り向くと、蓮田杏が小さな袋を手に立っている。
「これ」
「プリン。また?」
「うん。一陽も食べたいでしょ?」
「……まあ」
「じゃあいいじゃん」
杏は返事を待たず、当然のように一陽の隣へ座った。
「狭い」
「大丈夫」
「俺が大丈夫じゃない」
「一陽、小さいから大丈夫」
「俺、杏よりは大きいんだけど」
「そうだね」
杏がプリンを開けると、甘いカラメルと卵の匂いがふわりと広がった。
照平が一陽を見て、にやりと笑う。
「お前、完全に懐かれてんな」
「知らん」
「嬉しくないの?」
咲が尋ねる。
「……別に」
「顔が嬉しそうだけど」
「気のせい」
「一陽、分かりやすい」
「杏まで言うな」
その時、また声がした。
「大波君」
嫌な予感を覚えながら振り向くと、廊下に御影川綾乃が立っていた。
「何ですか」
「お昼、一緒に食べようと思って」
「なんでですか」
「生徒会長だから」
「理由になってません」
「じゃあ、友達だから」
「いつから?」
「今日」
「急ですね」
綾乃は楽しそうに笑いながら教室へ入ってきた。その後ろには鶴ヶ島和花と朝霞怜司もいる。
「失礼します」
和花が柔らかく頭を下げ、怜司も続いた。
教室の空気が変わる。
生徒会長、副会長、書記。三年生と二年生。そこに杏、照平、咲までいる。
近くの席からひそひそとした声が漏れ、誰かがこちらを振り返った。
「……何この人数」
一陽が呟く。
「ハル、人気者じゃん」
「嬉しくない」
「私は嬉しい」
杏が即答した。
「杏は何でも嬉しいだろ」
「一陽がいるから」
「……お前は恥ずかしいことを言うな」
照平がにやにやする。
「おい、ハル。顔赤くね?」
「暑いだけ」
「まだ四月だぞ」
咲が笑いを堪える。
綾乃は杏のプリンに目を向けた。
「それ、美味しそう」
「ダメ」
「一陽のだから駄目」
「なんで私には駄目なの?」
「一陽だから」
「理由になってないよ?」
「一陽は一陽だから」
「最強の理屈だね」
和花がくすくす笑う。
「杏ちゃん、一陽君のこと好きなんですね」
「うん」
「即答だな」
怜司が小さく呟いた。
一陽は額を押さえた。
「……俺、昼休みくらい静かに飯食いたいんだけど」
「無理だな。諦めろ、ハル」
照平が即答する。
「お前まで敵か」
「敵じゃない。現実を教えてるだけだ」
そこへ、海老名凪が顔を出した。
「大波先輩? なんでこんなに人いるんですか?」
「俺にも分からない」
凪が教室へ入ってくる。
「大波先輩、最近生徒会の人たちとも仲良いんですね」
「仲良くなった覚えはない」
「私たちはもう友達だよ」
綾乃が笑う。
「会長が勝手に決めてるだけです」
「でも否定しないじゃん」
「……」
言い返せなかった。
さらに、海老名美月までやってきた。
「凪が教室を覗いていたので、何をしているのかと思って」
美月は教室内を見渡す。
一陽、照平、咲、杏、綾乃、和花、怜司、そして凪。
「……大波君。随分と賑やかですね」
「俺が呼んだわけじゃないです」
「そうでしょうね」
美月は少し笑った。
「でも、楽しそうでよかったです」
一陽は少しだけ黙った。
以前なら、こんな状況になったら面倒だと思っていた。人が増えれば増えるほど、自分のことを見られる。誤解される可能性も増える。だから、人が少ない方が楽だった。
けれど。
「……まあ」
一陽は弁当を見た。
蓋を開けた弁当から、冷めたご飯と焼いたおかずの匂いが立ち上る。周囲の笑い声や机を叩く音、遠くで鳴るボールの音が重なり、静かとは程遠い昼休みの空気が広がっていた。
「たまには、こういうのも悪くないか…」
照平が笑う。
「珍しいな。ハルが素直だ」
「うるさい」
杏がプリンを一口食べる。
「一陽、今日、楽しい?」
一陽は少し考えた。
「……まぁな」
「そっか」
杏は満足そうに笑った。
その横で綾乃がにやにやしている。
「大波君、いい顔するようになったね」
「会長は黙ってください」
「照れてる」
「違います」
「二回否定した」
「三回目も言いますよ」
笑い声が起こる。
その中心で、一陽は弁当を食べながら小さく息を吐いた。
――静かな昼休みは、もう諦めよう。
そう思った。
不思議と。
嫌ではなかった。




