第38話 第四章完
生徒会室に戻ると、机の上には大量の紙が広げられていた。
一年生、二年生、三年生。それぞれの企画名と時間、場所、必要な設備、さらに誰が見に行きたいと思っているのかまで書き込まれている。
「……こうして見ると、すごい量だね」
綾乃が腕を組みながら呟いた。
「そりゃそうでしょう。全校生徒分の予定を一枚に押し込もうとしてるんですから」
「それ、大波君が言い出したんだけど?」
「言い出したのはそうですけど、本人に文句を言わないでください」
「無茶苦茶だね」
「会長も大概ですよ」
横で和花が小さく笑った。
「でも、本当に面白いですね。今まで学年ごとに分けていたものが、一枚になると……学校全体が一つの予定表みたいです」
「予定表というより、地図ですね」
怜司が紙を見ながら言った。
「時間だけじゃない。どこに人が集まって、どこへ移動するのかまで考える必要がある」
「そう」
一陽は頷いた。
「だから、次は『どこが空いてるか』じゃなくて、『どこに人が流れるか』を見る」
怜司はペンを置いた。
「……だが、そうなると別の問題が出でないか?」
「出るな」
「即答か」
怜司は苦笑した。
そして、その予想はすぐに当たった。
企画を並べてみると、人気のある企画とそうでない企画、広報が上手いクラスや友人が多く自然に人が集まるクラス、準備は整っているのに存在を知られていない企画の差が見えてきた。
「……これは、結構まずいな…」
怜司が呟く。
「何が?」
「二年四組の実演企画。三年生からの希望が多い。一年一組もかなり多い。でも、二年二組の映像企画は……」
「ほとんど名前が出てない」
和花が続ける。
「準備してるのに、見てもらえる可能性が低いんですね」
「そういうこと」
一陽は腕を組んだ。
単純に考えれば、人気のある企画に人が集まりすぎないよう制限し、人気のない企画へ誘導すれば公平になる。
けれど。
「……それじゃ駄目だな」
綾乃が首を傾げる。
「どうして?」
「人気があるところから人を引き剥がして、人気のないところへ無理やり流したら、人気のある企画が不満を持つ。それに、無理に見せても『見せられた』って思われるだけだ」
怜司が考え込む。
「では、人気のある企画を制限するのではなく……人気のある企画を利用する?」
「正解」
一陽は二年二組の企画に目を向け、紙に線を引いた。
「例えば、二年四組の実演を見に来た人が、そのまま二年二組の映像企画も見られるようにする」
「場所を近づける?」
「それだけじゃない。二年四組を見た人だけが、その映像企画の『裏側』を見られるようにする」
「裏側?」
「実演で使った道具とか、準備風景とか、失敗した映像とか。そういうのを映像企画に入れてもらう」
怜司の目が少し開く。
「つまり……」
「人気企画を目的地にして、別の企画を途中に置くんじゃない」
一陽はペン先で二つの企画を繋いだ。
「人気企画そのものの価値を、別の企画に繋げる」
綾乃が笑った。
「なるほどね」
「何ですか」
「人を動かすんじゃなくて、人が動きたくなる理由を作るんだね」
「その方が揉めないでしょう」
「大波君らしい」
「俺らしいって何ですか」
「論理的なところ」
一陽は一瞬だけ黙った。
これまでなら、正しいことを言って、間違っている人を指摘していた。嫌われても、問題が終わればそれでいいと思っていた。
でも今回は違う。
誰かを悪者にしなくても、犠牲にしなくてもいい。仕組みを少し変えればいい。
しかも、その仕組みを考えたのは一陽一人ではなかった。綾乃が全体を見渡し、和花が企画同士の繋がりを拾い、怜司が抜け落ちた問題を指摘してくれた。自分なら見落としていた線が、三人の言葉によって地図の上に浮かび上がっている。
誰かに頼れば、自分の負担が増えると思っていた。説明しなければならない。意見を合わせなければならない。自分の思い通りにならないかもしれない。
だから、最初から一人で抱えた方が早い。傷つくのも、責任を取るのも、自分だけで済む。
けれど今、隣にいる三人の意見は重荷ではなかった。一人で握りしめていた問題が、手のひらからほどけていく。
「……まあ」
一陽は視線を紙に戻した。
「今回は、それで済むなら楽ですから」
「本当に?」
和花が柔らかく尋ねた。
「何がです?」
「大波君、楽そうには見えませんよ?」
「気のせいです」
「そうですか?」
「はい」
「……ふふ」
和花はそれ以上追及せず、紙の端にメモを書き始めた。
「じゃあ、人気のある企画と、見てもらいたい企画を組み合わせてみましょう」
「お願いします」
その言葉が、思ったより自然に口から出た。
以前の一陽なら、「俺がやります」と言っていたはずだった。誰かに任せるより、自分でやった方が早い。そう決めつけて、相手が手を伸ばす前に仕事を奪っていた。
けれど今は、和花が書き込むペンの音を聞きながら、任せることに不安を覚えなかった。
そこから作業は一気に進んだ。
人気の高い二年四組の実演、人が集まりそうな一年一組のステージ、三年生が見たがっている企画、逆に集客に不安のある企画。一つずつを繋いでいく。
すると、最初はバラバラだった予定が、少しずつ一本の流れになっていった。
「ここからここへ移動する途中に、これを入れる」
「この企画は終了直後に別の場所へ人が流れるから、逆方向に置いた方がいい」
「ここは空白時間を作った方がいい。全員が一斉に動くと廊下が詰まる」
「じゃあ、その時間に展示を見るようにする?」
「そう。展示なら開始時間を固定しなくていい」
気がつけば、怜司も自然に意見を出していた。
「この三つは相性がいい。ただ、こっちは少し離れているな」
「なら、途中に案内を置く」
「だが案内係の人数が足りなくなるぞ?」
「……なら案内係を置かない」
「何?」
「案内板でいい。迷う場所だけ案内すればいい。全部説明しようとするから人が必要になる」
怜司は一瞬考え、小さく笑った。
「大波、意外と手を抜くのが上手いな」
「効率化と言ってくれ」
「なるほど参考になる」
「褒められてる気がしない」
「評価はしている」
綾乃が吹き出した。
「仲良くなったね、二人とも」
「なってませんよ」
「なってないですが」
「息ぴったりじゃん」
「会長、仕事してください」
「はいはい」
そのやり取りを見ながら、和花も楽しそうに笑っていた。
一陽も、気づかないうちに口元を緩めていた。
以前なら、雑談をしている暇があるなら作業を進めろと思っていたかもしれない。けれど今は、このやり取りも作業の一部なのだと思えた。
誰かが意見を出し、誰かが否定し、別の誰かが形を変える。
そうして一人では辿り着けなかった答えに、全員で近づいていく。
その過程を、悪くないと思っている自分に気づき、一陽は少しだけ戸惑った。
数時間後。
机の上には、一枚の大きな校内マップが完成していた。
そこには時間だけではなく、人の流れまで描かれている。
赤い線。青い線。黄色い線。
それぞれが違う企画へ繋がっている。
「……これなら」
怜司が呟いた。
「全体としては成立します」
「問題は、みんなが納得するかどうかだね」
綾乃が言う。
「そこは説明するしかないでしょう」
一陽は立ち上がった。
「誰かに我慢させるための変更じゃない。今まで準備したものをできるだけ残すための変更だって」
「大波君が説明するの?」
「俺が?」
「うん」
「嫌です」
即答だった。
綾乃が笑う。
「なんで?」
「俺が前に出ると、『また厄介事か』って言われますよ」
「……それは」
怜司が困った顔をした。
「可能性はありますね」
「ほら」
いつものように、自分が前に立って、反発も責任も一人で引き受ければいい。
そう考えかけた。
けれど、この地図は自分一人のものではない。なら、説明する責任まで一人で抱える必要はないのではないか。
「でも」
怜司は続けた。
「今回は、俺も説明します」
一陽が振り向く。
「……朝霞が?」
「ああ」
「どうゆうつもりだ?」
「俺を前にだそうだなんて」
「別に特別なことはない」
怜司は真面目な顔で言った。
「俺が見た限り、今回の案は生徒会だけが考えたものじゃあない」
「……」
「お前も含めたここにいる全員で作ったものだ」
綾乃が頷く。
「そういうこと」
和花も笑った。
「みんなで考えましたからね」
一陽は三人を見た。
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
問題が起きれば、自分が全部背負えばいいと思っていた。嫌われるのも、誤解されるのも、自分だけなら構わない。
けれど今回は違う。
自分だけで抱え込まなくても、問題は多くの人の手で形を変え、解決へ近づいていく。
誰かに任せることは、責任を放り出すことではない。自分が背負っていたものを、仲間と分け合うことなのだ。
その事実を認めるのは、思っていたより怖くなかった。
「……じゃあ」
一陽は椅子に座り直した。
「一緒に説明しましょうか」
綾乃が満足そうに笑った。
「うん。それがいい」
「ただし」
一陽は指を一本立てた。
「俺が説明するのは仕組みだけです」
「はいはい」
「感情的なフォローは会長に任せます」
「えー」
「副会長は場を和ませてください」
「頑張ります」
「朝霞は質問への回答」
「分かった」
「……なんで俺だけこんなに細かく役割分担されてるんですか?」
「大波君が一番向いてるから」
綾乃は即答した。
「……」
「嫌?」
一陽は三人の顔を見た。
誰も押しつけようとしているわけではない。ただ、それぞれが自分にできることを引き受けようとしている。
なら、自分も同じようにすればいい。
「……別に」
その返事に、三人が笑った。
翌日。
生徒会は各学年の代表を集め、完成した案を説明した。
当然、反発もあった。
「なんでうちがこの順番なんですか?」
「こっちの企画を先に見たいんだけど」
「三年生だけ得してない?」
「一年の企画、ちゃんと見てもらえる?」
質問は次々に飛んできた。
それでも今回は、一陽が一人で受け止めることはなかった。
「その質問は俺から説明します」
怜司が答える。
「そこは私たちの企画と繋げています」
一年生代表が説明する。
「ここは変更しても準備に影響ありません」
三年生代表が続ける。
そして一陽は、必要なところだけ説明した。
「ここは、こういう理由でこの配置になってます」
誰かを論破することも、間違いを指摘することもない。
ただ、全体がどう繋がっているのかを示していく。
最初は不満そうだった生徒たちも、次第に黙って地図を見るようになった。
「……あれ?」
一人の生徒が呟いた。
「これなら、うちの企画を見たあとに三年のやつも見られるじゃん」
「本当だ」
「こっちから行けば一年のも見られる」
「じゃあ、時間変えなくてもいいの?」
「一部だけだね」
空気が変わっていく。
全員が満足するわけではない。それでも、誰か一人だけが損をする形ではなくなっていった。
会議が終わったあと、一陽が大きく息を吐いた。
「……疲れたな」
「お疲れ」
「大波」
「なんだ」
「最初に会ったとき、正直かなり警戒していた」
「よくあることだ」
一陽は笑った。
「でも、今は少し考えが変わった」
「さいでさすか」
「ああ」
怜司は一陽を見る。
「大波は、別に人を言い負かしたいわけない」
「俺は論破王か何かなの?」
「ただ、どうすれば全員が動きやすくなるかを考えている」
「そりゃ深読みし過ぎだ」
「そうかもな」
怜司は眼鏡を直した。
「でも、俺はそう感じた」
その言葉に、一陽は何も返さなかった。
少し離れたところで、綾乃が二人を見ながら笑っていた。
「やっぱり、生徒会に入れて正解だったなあ」
「まだ入ったとは言ってません」
「え?」
「今回限りです」
「えー」
「えー、じゃありません」
綾乃は楽しそうに笑う。
「じゃあ、今回の仕事が終わったら考えてよ」
「考えるだけなら」
「やった」
「加入するとは言ってませんからね」
「分かってるって」
一陽は机の上に残った校内マップを見る。
そこには、誰か一人を犠牲にするための線は一本もなかった。
誰かを悪者にして、問題を終わらせる必要もない。
それが少しだけ、新鮮だった。
そして一陽は、ふと思った。
――こういう解決の仕方も、悪くないのかもしれない。
いや。
悪くないどころか、こっちが正解なのだろう。
誰かに頼ることは、弱さではない。
自分の考えを手放すことでもない。
同じ地図を囲み、同じ方向を見て、足りないところを補い合うこと。
それは、一人で正しさを守るよりも、ずっと強いのだと。
一陽は、ようやく少しだけ理解し始めていた。
そんなことを考えた直後。
「大波君」
「はい?」
「次の議題なんだけど」
「まだあるんですか?」
「うん」
綾乃が笑顔で一枚の紙を差し出す。
一陽は紙を見る。
そして。
「……帰っていいですか?」
「駄目」
「ですよね」
結局。
問題解決屋の平穏な日常は、まだ始まったばかりだった。




