↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺は善人なんかじゃない  作者: エクレアだった物
日常編2

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/54

第33話

休日。


 夕暮れの駅前は、平日の学校とは違う賑わいを見せていた。


 商店街の軒先には色とりどりの看板が並び、八百屋からは威勢のいい呼び声が響いている。焼き鳥の香ばしい匂いや、パン屋から漂う甘い香りが通りに混ざり、買い物袋を提げた家族連れや、友人同士で歩く人たちが行き交っていた。


 制服姿の学生は少なく、代わりに休日を楽しむ人々の穏やかな表情が目立つ。


 そんな中、海老名美月は駅前の時計を見上げていた。


「……本当に来るのでしょうか」


「来るって言ったんですから、きっと来ますよ」


 隣にいた妹の凪が、明るく答える。


「大波君、約束には意外と律儀ですから」


「意外とって何?」


「普段は適当そうに見えるからです」


「それは分かるかも」


 二人が話していると、商店街の入口から声がした。


「おーい」


 振り返ると、一陽が立っていた。いつもの制服ではなく私服姿で、片手には小さな紙袋を持っている。


「大波君、その袋は何ですか?」


「秘密」


「食べ物ですか?」


 一陽が黙る。


「図星ですね」


「鋭いな」


「……そういえば、最近学校で大変だったそうですね?」


 一陽の動きが止まる。


「……誰から聞いたんですか?」


「学校の友達からです。『二年生でまた大波君が揉め事を起こした』って」


「またって何だよ」


「そこではないでしょう」


「噂なんて、だいたい脚色されてますよ」


「かなり悪い噂になっていると聞きました」


 一陽は紙袋を持ち直した。


「まあ、ちょっとした行き違いですよ」


「本当に大丈夫ですか?」


 一陽は一瞬だけ黙った。


「大丈夫大丈夫。俺、こう見えてメンタルだけは鋼ですから」


「本当ですか?」


「……アルミ」


「弱くなっています」


「じゃあチタン」


「微妙です」


 凪が吹き出し、美月も口元を緩めた。


 商店街のざわめきの中で、三人の声だけが近くに浮かんでいるようだった。


「そうやって誤魔化すところ、変わりませんね」


「誤魔化してないですって」


「では、学校で何があったのですか?」


「これは罠だろ」


「心配しているだけですよ」


 その言葉だけは冗談ではなかった。


 一陽は視線を逸らす。


「……心配するほどじゃないですよ。俺が学校で嫌われるのなんて、今に始まったことじゃないし」


 美月の表情が曇る。


 一陽はしまったと思い、すぐに言い直した。


「いや、今のは冗談。俺は人気者ですよ」


「無理があります」


「休日に先輩と後輩二人から気にかけてもらえるくらいには人気者」


「そういう意味ではありませんよ」


 凪が吹き出した。


「大波先輩、気にかけられるとすぐ変なこと言いますよね」


「防衛機構なんだよ」


「便利なんですか?」


「本人には便利」


 三人で笑った。


 けれど、美月は一陽の横顔を見つめていた。


 いつも通りに冗談を言っている。それが本当に平気だからなのか、平気なふりをしているだけなのか、美月には分からなかった。


 駅前の時計が、夕暮れの空を背に静かに時を刻んでいる。周囲では、買い物を終えた人々が家路を急ぎ、店先では店員が片付けを始めていた。


 穏やかな休日の景色の中で、一陽だけが、見えない何かを抱えたまま笑っているように見えた。


     ◇


「では、今日は何を買いましょうか?」


 凪が話題を変える。


「俺は本屋に行きたい」


「また難しい本ですか?」


「普通の漫画」


「漫画も読むんですね」


「俺を何だと思ってるんだ」


「難しい本しか読まない人です」


「偏見だな」


「では、どんな漫画ですか?」


「秘密」


「またですか?」


「男には秘密が――」


「それはもういいです」


 美月が遮った。


「先に服を見ましょうか」


「俺、服そんなに興味ないんですけど」


「知っています。ですから、連れてきたんです」


「横暴だな」


 三人で商店街を歩く。


 古い喫茶店の窓から漏れる明かりを覗き、店先に並んだ小物を眺め、くだらない話をしながら、ときどき一陽が荷物を持たされる。夕暮れに染まったアーケードの下で、三人の歩調は自然と揃っていた。


 学校では、一陽を見る目が変わった。噂も消えていない。


 けれど今だけは、そのことを考えずにいられた。


 美月と凪の話し声を聞いている間だけ、胸の奥に沈んだ重さが遠のいていく。


「大波君」


「ん?」


「学校のこと、本当に無理しないでくださいね。私たちに話してくださってもいいですから」


 一陽は口元を緩めた。


「大丈夫ですよ」


「またそれですか?」


「本当に大丈夫ですから」


「では、無理な時はちゃんと誰かに頼ると約束してください」


 一陽は困ったように頭を掻いた。


「それは難しいな」


「人に頼るのが苦手だからですか?」


「……よく分かりましたね」


「だから申し上げているんです」


 一陽は黙り、それから小さく息を吐いた。


「……善処します」


「それ、絶対やらない人の言い方です」


「よく分かりましたね」


 美月が呆れたように息をつく。


「でも、何と言われても気にかけますからね」


「それは困る」


「どうしてですか?」


「気にかけられると罪悪感が発生する」


「そこまで考えなくていいですよ」


「では、俺が代わりにアイスを買います」


「何でそうなるんですか?」


「罪滅ぼし」


「意味が分かりません」


「俺にも分からないです」


 凪が笑い出し、三人の声が商店街に響いた。


 店じまいを始めた店先の明かりが、三人の足元を柔らかく照らしている。その穏やかな光景とは裏腹に、一陽の胸の奥には、学校で向けられた視線や、杏の不安そうな顔が残っていた。


 それでも、今は二人の表情を曇らせたくなかった。


     ◇


 帰り道、駅へ向かう途中で、美月がふと口を開いた。


「大波君」


「はい」


「杏さんという子……大波君のことを気にかけていると聞きました」


 一陽が足を止める。


 夕暮れの駅前には、帰宅する人々の足音と、電車の到着を知らせるアナウンスが重なっていた。商店街の看板には明かりが灯り始め、昼間とは違う静かな賑わいが広がっている。


「自分のせいで、大波君が悪く言われているのではないかと」


 一陽はしばらく黙っていた。


「……あいつ、そういうところだけ妙に真面目なんだよな」


「……そうですね」


 一陽は口元を緩めた。


「プリン一個買えば忘れるだろ」


「そんな簡単ではないと思いますけど」


「では、二個にしましょう」


「増やせばいいという話ではありませんよ」


 美月が吹き出す。


「分かってますって」


 けれど、美月には分かっていた。


 一陽は冗談で話を逸らしただけだ。本当は、杏が自分のことで傷ついていることも、学校でどう見られているのかも、かなり気にしている。


 駅前を行き交う人々は、それぞれの帰る場所へ向かっている。家族と並んで歩く人、誰かに電話をかける人、買い物袋を抱えて急ぐ人。その中で、一陽は二人と歩きながら、誰にも見せない不安を抱えていた。


「……大波君」


「何ですか?」


「ありがとうございます」


「何が?」


「いえ、何でもありません」


「それ、一番気になるやつだろ」


「では、秘密です」


「先輩までそれ言うのかよ」


 二人が笑う。


 少し前を歩いていた凪も振り返り、笑顔を見せた。


 一陽もいつものように笑っていた。何も問題などないように。


 けれど、その奥には、誰にも見せない疲れが残っていた。


 それでも一陽は口にしなかった。


 気にかけられるくらいなら、自分が冗談を言っていたほうがいい。


 そう思っているからだ。


「では、次はどこに行きますか?」


「大波君、まだ帰らないの?」


「休日を無駄にするのはもったいないですよ」


「さっき疲れたって言ってなかった?」


「気のせい」


「絶対嘘です」


「先輩、俺のこと疑いすぎ」


「信用しているから気にかけているんです」


 一陽は一瞬だけ黙り、それから口元を緩めた。


「それ、一番困るな」


 また三人の声が響く。


 夕暮れの駅前では、商店街の明かりが一つ、また一つと灯っていった。


 その穏やかな光の中で、三人は並んで歩いている。


 その日だけは、一陽も少しだけ、誰かに気にかけられることを悪くないと思っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。