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俺は善人なんかじゃない  作者: エクレアだった物
第三章「笑顔の向こう側」

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第26話

職員室前。


 一陽たちは、杏が先生と話している間、廊下の端で待っていた。


「……長いな」


 照平が壁にもたれながら呟く。


「まだ十分も経ってない」


「ハルは時間の感覚まで細かいな」


「お前が大雑把なんだよ」


「はいはい」


 いつものやり取り。


 けれど、美琴は笑わなかった。


「……杏ちゃん、大丈夫かな」


「大丈夫だろ」


 一陽が答える。


「杏は、そう簡単には折れない」


「でも……」


「ただ」


 一陽は職員室の扉を見る。


「自分が悪いと思い込む可能性はある」


 美琴が黙る。


「だから、そこだけは止める」


「うん」


 その時、職員室の扉が開いた。


「……杏ちゃん」


 美琴が駆け寄る。


「美琴」


 杏はいつものように笑っていた。


 だが、一陽には分かった。


 笑顔が少しだけ硬い。


「どうだった?」


「先生、色々聞いてきた」


「何を?」


「莉奈とのこととか、クラスで嫌なことがないかとか」


「それで?」


「ないって言った」


 一陽の眉がわずかに動く。


「……何で」


「だって」


 杏は少し困ったように笑う。


「誰か分からないから」


「それは理由にならないだろ」


「でも、誰か分からないのに疑うのも嫌だし」


「杏」


 一陽は杏の目を見る。


「お前が受けたことを話すのと、犯人を決めつけるのは別だ」


「……」


「そこは分けろ」


「うん」


 杏は素直に頷いた。


「でも先生、ちゃんと話を聞いてくれたよ」


「そうか」


 一陽は少しだけ安心した。


 少なくとも、教師が完全に噂だけを信じているわけではない。


 なら、まだ間に合う。


   *


 その日の昼休み。


 二年二組。


「で、何が分かった?」


 照平が机に弁当を置きながら聞いてくる。


「まだ何も」


「おい」


「昨日から今日までのことを整理してる」


 一陽はノートを開いた。


 そこには時系列が書かれていた。


 机。


 椅子。


 教科書。


 昼休みの孤立。


 匿名メッセージ。


 上履き。


 机への落書き。


 そして、杏が莉奈をいじめたという噂。


「こうして見ると、変だな」


 照平が覗き込む。


「何が?」


「嫌がらせと噂が同時に広がってる」


「そう」


 一陽はペン先でノートを叩いた。


「普通なら、誰かが嫌がらせを受けたという話が先に広がって、その後で理由を探す」


「今回は?」


「理由が先にある」


「杏が悪いってやつか」


「そう」


 美琴もノートを覗き込む。


「……じゃあ、誰かが最初から杏ちゃんが悪いって思わせようとしてる?」


「可能性はある」


「でも、どうして?」


「そこまでは分からない」


 一陽はノートを閉じた。


「だから、犯人探しより先に、噂の出どころを調べる」


「どうやって?」


「一つずつ聞く」


「地道だなぁ」


「地道が一番早い時もある」


「ハル、そういうところだけ探偵っぽいよな」


「うるさい」


「でも探偵なら、もっと格好いい服着ろよ」


「学校だぞ」


「制服じゃなくて」


「知らん」


 美琴が小さく笑った。


 ほんの少しだけ、空気が軽くなる。


 しかし――。


「……あ」


 美琴が突然、スマートフォンを見る。


「どうした?」


「また出てる」


「何が?」


 美琴が画面を見せる。


 そこには、また匿名の投稿。


『蓮田が先生に呼ばれたらしい』


 その下に続く。


『大波が先生に圧かけたんじゃね?』


『蓮田を使ってクラスをめちゃくちゃにしてる』


『正義感強すぎて怖い』


 一陽は画面を見つめた。


「……早い」


「何が?」


「杏が職員室から出て、まだ十分も経ってない」


「じゃあ、誰か見てた?」


「可能性が高い」


 照平が眉をひそめる。


「でも、職員室の中までは分からないだろ」


「だからおかしい」


 一陽は立ち上がった。


「行くぞ」


「どこへ?」


「二年一組」


「また?」


「ああ」


「ハル、嫌われるぞ」


「もう嫌われてる」


「それもそうか」


 照平は苦笑した。


   *


 二年一組。


 昼休みということもあり、教室には多くの生徒がいた。


 一陽が入った瞬間、何人かの視線が集まる。


「……来た」


「また?」


「杏のことでしょ」


 小声が聞こえる。


 一陽は気にせず、教室を見回した。


「羽生田」


「……何?」


 莉奈が振り返る。


「少し聞きたい」


「うん」


「さっき杏が先生に呼ばれたこと、知ってる?」


「知らないよ」


「そうか」


「どうして?」


「いや」


 一陽は周囲を見る。


「ただ確認しただけ」


 莉奈は笑った。


「一陽君って、疑ってるみたい」


「疑ってるんじゃない」


「じゃあ?」


「確認してる」


「同じじゃない?」


「違う」


 一陽は即答した。


「疑うのは結論を決めることだ。確認するのは、結論を決める前に事実を見ること」


「……真面目だね」


「よく言われる」


「嫌われそう」


「もう慣れてる」


 莉奈が少しだけ目を細める。


「……そういうところ、杏が好きそう」


「杏が?」


「うん」


 その瞬間、一陽は少しだけ違和感を覚えた。


「羽生田」


「何?」


「お前、杏のことよく見てるよな」


「同じクラスだから」


「それだけ?」


「……それだけだよ」


 莉奈は笑った。


 いつもの笑顔。


 けれど、ほんの一瞬。


 視線が遠くなる。


 何かを思い出したように。


 だが、それは一秒にも満たなかった。


「……?」


 一陽が見ていると、莉奈はすぐに笑顔へ戻った。


「どうしたの?」


「いや」


 一陽はそれ以上聞かなかった。


 今はまだ、聞くべき時ではない。


   *


 放課後。


 杏は一人で昇降口にいた。


「杏」


「一陽」


「帰るのか?」


「うん」


「一緒に帰るか」


「いいよ」


 杏は嬉しそうに笑った。


「お菓子買って」


「何で?」


「今日頑張ったから」


「自分で買え」


「一陽が買った方がおいしい」


「意味が分からない」


「じゃあ半分こ」


「最初からそれを言え」


「やった」


 杏は楽しそうだった。


 その様子を、少し離れた場所から莉奈が見ていた。


 スマートフォンが震える。


 画面には短いメッセージ。


『まだ続ける?』


 莉奈はすぐには返信しなかった。


 画面を閉じる。


 そして、杏を見る。


 笑っている。


 昨日までと変わらない。


 けれど――。


「……どうして」


 小さく呟く。


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。


 莉奈は視線を逸らした。


「……今度は、ちゃんとしないと」


 それ以上は言わなかった。


 ただ、何かを決めるようにスマートフォンを握り直した。


 その頃、一陽は何も知らず、杏と並んで校門へ向かっていた。


「一陽」


「ん?」


「明日もお菓子買って」


「調子に乗るな」


「じゃあ今日の分返す」


「それはそれで嫌だ」


「じゃあ買って」


「……分かったよ」


「やった」


 杏が笑う。


 一陽も、ほんの少しだけ笑った。


 ――その平穏が、長く続かないことを。


 二人はまだ知らなかった。

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