第14話 第二章完
翌日。
文化祭の準備は、何事もなかったかのように進んでいた。廊下には色紙が貼られ、教室の扉には看板が並ぶ。問題になっていた展示物も、実行委員全体で確認し直されることになった。
三芳美琴への非難は消えた。けれど、一陽への視線は残っていた。
「……あ、大波」
廊下ですれ違った男子が、小声で言う。
「昨日、また委員会で色々言ったらしいよ」
「先生にも謝ったって」
「結局、揉め事を起こしたのはあいつなんでしょ?」
一陽には聞こえていたが、振り返らなかった。以前なら訂正していたかもしれない。今は、もうしなかった。
「ハル」
照平が追いついてくる。
「聞こえてた?」
「何が?」
「……ああいうの。普通、腹立つだろ」
「腹立つよ。でも、俺が何を言っても好きに解釈されるだろ」
「だからって黙ってたら、もっと好き勝手言われるぞ」
「じゃあ、照平が代わりに怒ってくれるか?」
「もう怒ってる。でも、お前が何も言わないなら、俺だけ騒いでも意味ないだろ」
一陽は少し目を見開いた。
「……お前、意外と真面目だな」
「意外ってなんだよ。俺はいつだって真面目だ」
そこへ咲がやってきた。
「二人とも、朝から何を揉めてるの?」
「ハルが一人で抱え込んでる」
「抱え込んでない」
「その顔で言われても説得力ないよ」
咲は一陽の顔を覗き込む。
「全部諦めて、面倒を避けようとしてる顔」
「お前ら、俺の顔を見すぎじゃない?」
「ずっと見てるから分かるの」
照平が腕を組む。
「気にしないふりと、本当に気にしてないのは違うぞ」
「分かってる。でも、どうしようもない」
「その言い方、嫌いだな。どうしようもなくなる前に、俺たちに言えよ」
咲も頷いた。
「勝手に一人で終わらせないで。そういうの、感じ悪いから」
「心配してるのか、怒ってるのか分からないな」
「両方。心配してるから怒ってるの」
一陽は二人を見て、苦笑した。
「……お前ら、朝から重いな」
「ハルが重くしてるんでしょ」
「俺のせいかよ」
「そうだよ。だから、少しはこっちにも持たせて」
咲が言い切ると、照平が吹き出した。一陽も、ほんの少し笑った。
「大波くん」
美琴の声がした。手には文化祭のパンフレットがある。
「今日、一緒に回らない?」
「俺と?」
「うん」
「……俺、評判悪いけど」
「知ってる。それでも、一緒に回りたいと思ったの」
一陽が言葉に詰まると、照平が肩を叩いた。
「ほら、返事」
「急かすなよ」
「また考えすぎて断りそうだから。返事くらい早くしろ」
咲も美琴の隣に並ぶ。
「私も行く」
「勝手に決めるな」
「じゃあ置いてく?」
「……それは困る」
「なら決まり」
「俺も当然行くからな」
照平が笑う。
「お前も来るのかよ」
「友達を放っておけるかよ。あと、焼きそば食いたい」
「結局それか」
「きっかけは何でもいいだろ」
一陽はため息をついた。
「なんなんだよ、お前ら」
「友達」
照平が笑い、咲が釘を刺す。
「今日はちゃんと楽しむために行くの。ハルの様子を見張るためじゃないからね」
「……本当に?」
「半分は見張る」
「半分かよ」
「十分でしょ」
その言葉に、一陽は小さく笑った。
そして、文化祭当日。
校門には大きな看板が掲げられ、朝から生徒たちの声で賑わっていた。一陽たちは校門前で待ち合わせていた。
照平、咲、美琴。そして――。
「お待たせしました」
振り返ると、海老名美月が立っていた。その隣には凪もいる。
「お久しぶりです、大波くん」
「海老名先輩」
「こんにちわ、大波さん。今日はお姉ちゃんがちゃんと楽しむ日だから」
「何それ」
「最近、私のことばっかり気にしてたから」
美月が困ったように笑う。
「凪、それは……」
「本当でしょ?」
「……否定はしません」
「ほら。今日は私のことを気にしなくていいからね」
「あなたが余計なことをしなければ、そうします」
「それは無理」
「即答しないでください」
二人のやり取りに、一陽は思わず笑った。
六人は校舎へ入っていった。
「よし。今日は全部回るぞ」
「全部は無理でしょ」
「じゃあ面白そうなところ全部」
「それも無理」
「じゃあ適当に」
「最初からそれでいいじゃん」
凪が笑う。
「一陽は何食べたい?」
「焼きそば」
「即答じゃん」
「腹減ってるから」
「じゃあ最初、屋台ね」
美琴がパンフレットを見る。
「私は展示を見たい」
「じゃあ二手に分かれる?」
一陽が言うと、全員が一斉に「ダメ」と答えた。
「……なんで?」
「お前、絶対一人でどっか行くから」
凪が一陽の腕を軽く引く。
「今日は私たちが見張ってるから」
「監視される覚えはないって」
「なら、ちゃんと隣にいてよ。迷子になったら面倒だし」
「俺を子ども扱いするなよ」
「子ども扱いじゃなくて、放っておくと勝手に消える人扱い」
美月も穏やかに続けた。
「そのほうが安心します」
「先輩まで……」
「すみません。でも、本当にそう思います」
一陽は困ったように笑った。
「……分かったよ」
廊下を歩き、教室を覗き、展示を見る。時々、誰かが笑う。
誰もが一陽を理解しているわけではない。すれ違えば視線を逸らす人もいる。小声で何か言われることもあった。
「……あの人、文化祭実行委員と揉めた人でしょ」
それでも、一陽は振り返らなかった。
隣では、照平がくだらないことを言い、咲が容赦なく突っ込み、凪が笑い、美月が穏やかに受け止めている。そして、美琴が一陽の隣を歩いていた。
「大波くん、楽しい?」
一陽は少し考えた。
「……まだ分からない」
「そう?」
「こういうの、あんまり慣れてないから」
「じゃあ、分かるまで一緒にいよう」
一陽は何も言わず、少しだけ歩く速度を落とした。六人の歩幅が揃う。
「ハル! 焼きそば売り切れるぞ!」
前から照平が叫ぶ。
「今行く!」
一陽が走り出し、美琴たちも追いかける。
昨日までの悪評が消えたわけじゃない。一陽が突然、人付き合いに器用になったわけでもない。自分を犠牲にする癖も、まだ治っていない。
それでも今日だけは、ただの高校生として、この時間を楽しんでもいい。そう思えた。
「お前ら、遅いぞ!」
「お前が速いんだよ!」
笑い声が文化祭の喧騒に溶けていった。
文化祭の片付けが終わった夕方。
人の少なくなった校舎裏で、一陽は自販機の前に立っていた。そこへ美琴がやってくる。
「大波くん、ここにいたんだ」
「うん。少しだけ静かなところに来たくて」
美琴は温かい飲み物を買い、一陽に差し出した。
「今日は、ありがとう」
「俺は何もしてないけど」
「一緒にいてくれた」
一陽は缶を受け取った。
「焼きそば、食べ損ねてたから」
手のひらに伝わる温かさに、一陽は少し目を伏せる。
「……よく見てるな」
「見てたから」
「俺のこと?」
「うん。無理して笑ってるのも、みんなに合わせようとしてるのも」
一陽は缶を見つめた。
「俺、今日ちゃんと楽しめてたかな」
「楽しもうとしてた」
「それは、楽しめたのとは違うだろ」
「でも、前より近いと思う」
一陽が顔を上げる。
「近い?」
「うん。誰かと一緒にいることを嫌がらなかったから」
「……嫌じゃなかっただけだよ」
「それでも、私には嬉しかった」
美琴は照れたように笑った。
「これ、ありがとう」
「どういたしまして」
「それと……今日は、俺も楽しかった」
「本当?」
「たぶん。まだ、こういうのに慣れてないから」
「じゃあ、また一緒にいればいいよ」
一陽は少し驚き、視線を逸らした。
「……うん。そうしてくれると、助かる」
「じゃあ、考えすぎる前に声をかけるね」
「三芳さんが?」
「私が」
その答えが嬉しくて、一陽は小さく笑った。
「分かった。待ってる」
夕暮れの校舎裏に、二人の声だけが静かに残った。




