第9話 外食
モールの出口を抜け、すっかり暗くなった外の空気に触れても、私の頬の熱は一向に引く気配がなかった。
(ちゅ、ちゅー……お兄ちゃんから、ちゅー……っ!!)
さっきのほっぺへの感触が何度もフラッシュバックして、悶々と考えていると、不意にお腹が間の抜けた音を鳴らした。
「そういえば腹減ったな。何か食べて帰るか」
お兄ちゃんが迷いなく向かったのは、モールに併設されたラーメン屋だった。 案内されたのは、横並びのカウンター席。 お兄ちゃんと肩が触れそうな距離感に、私の心臓はまたしても早鐘を打ち始める。
運ばれてきたのは、定番の醤油ラーメン。 私は自分のラーメンを少し冷ましつつ、チラリとお兄ちゃんを見た。
(カウンター席……これなら、ネットで見た『一口頂戴作戦』がいける!)
「ね、ねえお兄ちゃん。私のも一口食べる? その代わり、お兄ちゃんのラーメンも一口頂戴!」
あーんと口を開けて待つ私。間接キスの大チャンスだ。 しかし、お兄ちゃんは無表情のまま、自分のラーメンから麺を一つまみし、小皿に入れて渡してくれた。
「ほら。そっちの味は前に食べたことあるから大丈夫だぞ」
(あーん! してくれるんじゃないの!? なんで物理的に麺を移動させるのよ!)
私のロマンチックな作戦は、またしても彼の無表情の前に散った。
「もうっ!」
私が呆れて小皿を手前に寄せようとした、その時。
ドンッ。
私の肘が、カウンターに置かれていた水の入ったグラスにクリーンヒットした。
バシャッ!
「あっ……!」
氷水が、私のワンピースの太もも付近に容赦なくこぼれ落ちる。
「冷たっ!?」 「何をやっている」
お兄ちゃんは即座に立ち上がると、卓上の紙ナプキンとおしぼりを掴み、私の太ももにバサッと被せた。 そして、一切の躊躇なく、私の太ももを拭き始めたのだ。
「ひゃっ!? ちょ、ちょっとお兄ちゃん!?」 「暴れるな。布地に水分が浸透して、座席のクッション材まで濡れる。後の人の迷惑になるだろ」
(ち、近い近い近い!!)
カウンターの下、お兄ちゃんの大きな手が、濡れたワンピース越しに私の太ももを撫で回すような形になる。
「あ、んっ……自分で拭けるからっ……!」 「動くと水が床に落ちる。じっとしていろ」
(も、もしかして、わざとやってる!? 私のこと、からかってるの……!?)
私は顔から火が出るほど真っ赤になり、周囲のお客さんの目も気になってパニック寸前だ。 しかし、チラリと見上げたお兄ちゃんの顔は――見事なまでの『完全なる無表情』だった。
照れも、焦りも、下心も一切ない。 ただ純粋に『水分の除去作業』を遂行するマシンのような眼差し。
「よし、座席への浸水は防いだ。お前の衣服の水分もある程度吸い取ったからすぐ乾くだろ」
お兄ちゃんは何事もなかったかのように自分の席に座り直し、再びラーメンをすすり始めた。
「……っ、お兄ちゃんのバカァ!!」
私一人がドキドキして、私一人が恥ずかしい思いをして。 絶対にお兄ちゃんをドキドキさせてやるって誓ったのに、完全に私の負けだ。
気まずさと恥ずかしさで無言のままラーメンをかき込み、逃げるようにお会計を済ませて外に出た途端。
ポツッ。
「え?」
私の鼻先に、冷たい水滴が落ちた。 見上げると、さっきまで晴れていた夜空が厚い雲に覆われ、次の瞬間、バケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨が私たちを襲った。
「せっかく拭いたのに」 「もういいってば!」




