第10話 ホテル
バケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨。 傘を持っていなかった私たちは、あっという間に全身ずぶ濡れになってしまった。
「ひゃあっ! 冷たっ……!」 「まずいな。とはいえ、今更傘を買っても」
雨宿りできそうな軒先を探して走るけれど、夜の冷たい雨は容赦なく私の薄手のワンピースを濡らし、肌に張り付かせる。 びしょぬれになった私を見て、お兄ちゃんはピタリと足を止めた。
「ノドカ、このままじゃ風邪を引いてしまうな。緊急避難だ」 「きんきゅ……えっ?」
お兄ちゃんが私の腕を引いて駆け込んだ先。 そこは、煌びやかなネオンサインが光り輝く、まるでお城のような外観の建物だった。 入り口には『休憩 3,000円〜』というパネルが立っている。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!? ここって、その……ブ、ブティックホテルってやつじゃ……!」 「現在地から最短距離で、暖房設備と温水シャワーを即座に利用できる商業施設はここしかない」 「だ、だからって! 恋人同士が入るホテルだよ!? いくら幼馴染でも、高校生と大学生が二人で入るなんて――」 「施設のメインターゲット層など今はどうでもいい」
私の抗議など全く意に介さず、お兄ちゃんは迷うことなく自動ドアをくぐった。
ロビーには、部屋の写真が並んだ大きなタッチパネルがあった。 ピンク色や紫色の怪しげな照明、無駄に丸いベッドや、ガラス張りのシャワールーム。 私は恥ずかしくて直視できず、両手で顔を覆ってしゃがみ込みそうになる。
「ふむ……」
一方のお兄ちゃんは、タッチパネルの画面を真剣な顔で睨みつけていた。
(ど、どうしよう……! お兄ちゃん、まさかSMルームとか変な部屋選ばないよね!?)
「よし、305号室だ。あそこの浴室は大型ジェットバスに加え、高出力の浴室乾燥機が完備されている。衣類の乾燥と体温の回復を同時に行うための最適解だ」
お兄ちゃんは『エロさ』ではなく『熱効率と乾燥機能』で部屋を選び出し、サクッとパネルをタッチして鍵を受け取った。
ガチャリ。
部屋に入ると、そこは期待(?)を裏切らない、ムーディーな間接照明と真っ赤なハート型のベッドが鎮座する空間だった。 BGMには甘ったるいジャズが流れている。
「わぁ……本当にラブホテルだ……」
私がドギマギして入り口で固まっていると、お兄ちゃんはスタスタと部屋の奥へ進み、躊躇なくバスルームのドアを開けた。
「よし、設定温度42度。最大水圧で湯を張る」 「お、お兄ちゃん?」 「ノドカ、早く服を脱げ。すぐに入れ」 「ええええええええ!?」
いきなりの「脱げ」発言に、私は部屋の隅まで飛び退いた。
「ななな、何言ってるの!? いくらなんでもお兄ちゃんと一緒にお風呂なんて――」 「俺は後でいい。お前が先に入れと言っているんだ」 「あ、なんだ……私一人でいいのね。びっくりしたぁ……」
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。
「何を悠長にしている。濡れた衣服を着たままでは気化熱で体温が奪われ続ける。早く脱いで浴室に向かえ」
そう言うと、お兄ちゃんは無表情のまま私にツカツカと歩み寄り、私のワンピースの背中のファスナーに手をかけようとした。
「ひゃっ!? ちょ、お兄ちゃんストップ!!」 「手の震えで運動機能が低下している。手伝った方が早い」 「ちがうの! 寒くて震えてるんじゃなくて……まだ心の準備ができてないから! だからお兄ちゃん、先に入って!!」
私は両手で胸元を隠し、後ずさりながら必死に叫んだ。 お兄ちゃんはピタリと動きを止め、少しだけ首を傾げた。
「……心の準備? 入浴にそんなもの不要だと思うが。……まあいい。先に入らせてもらう。お前は体を拭いて備え付けのバスローブに着替えて、体温の低下を防いでおけ」
それだけ言うと、お兄ちゃんはあっさりとバスルームへと消えていった。
カチャリとドアが閉まり、すぐにシャワーの音が聞こえ始める。
部屋に取り残された私は、濡れたワンピースからそそくさと備え付けのバスローブに着替えた。
(はぁ……はぁ……)
ふかふかのバスローブに包まれて少し落ち着くかと思ったけれど、心臓の音はさっきよりも大きくなっていた。
真っ赤なハート型のベッド。 ガラス越しに薄っすらと人影が見えるバスルーム。 そこから聞こえてくる、お兄ちゃんがシャワーを浴びる水音。
(……この後、お兄ちゃんがお風呂から上がってきたら……私、どうなっちゃうの……!?)
寒さとは全く違う理由で震える体を抱きしめながら、私はお兄ちゃんがお風呂から上がってくるのを、ただひたすらに待つことしかできなかった。




