第11話 お泊まり
シャワーの水音が響く部屋で、私は真っ赤なベッドの端にポツンと座っていた。
いつからこうなったんだろう。 小さい頃からいつも一緒で、私にとってお兄ちゃんは、ずっと『ただのお隣のお兄ちゃん』だったはずなのに。 いつの間にか、私はお兄ちゃんのことが好きになってしまっていた。
でも、お兄ちゃんにとっての私は、いつまで経っても『世話の焼けるお隣の妹』でしかない。 春にお兄ちゃんが引っ越しをして、一人暮らしを始めるって聞いた時は、胸が張り裂けそうだった。 でも、意外と電車ですぐの距離だったから、私は口実を作っては週末ごとに彼のアパートに通い詰めている。
だけど……いつもドキドキして、空回りしているのは私だけだ。 料理も、洗濯も、今日のデートも。 お兄ちゃんは全くブレないし、私の気持ちになんてこれっぽっちも気づいていない。
(もう、こんな関係やめた方がいいのかな……)
いっそ、思い切って気持ちを伝えてしまおうか。 フラれるならフラれるで、ちゃんと気持ちを伝えて終わりにしよう。もうお隣同士でもないんだし、私からお兄ちゃんの家に行かなければ、自然と会うこともなくなるんだから。
ガチャリ。
決意を固めていると、バスルームのドアが開いた。 お兄ちゃんが、備え付けのバスローブ姿で髪を拭きながら出てくる。
「はやくお前も入れよ。雨雲レーダーを見たが、ただのにわか雨だ。お前が風呂から上がる頃には雨も止んで、問題なく帰れるだろう」
相変わらずの冷静な状況分析。 いつもなら「もうっ!」と文句を言うところだけど、今の私には、胸の奥で燻っていた想いが限界まで膨れ上がっていた。
「……あのね、お兄ちゃん」 「ん?」 「私、今日は帰りたくない」
「え?」
お兄ちゃんの動きがピタリと止まった。 無表情な彼が、珍しく目を丸くして私を見ている。
(えっ!? わ、私、今何言ったんだろう!?)
『帰りたくない』。 ラブホテルの密室で、お風呂上がりのお兄ちゃんに向かって放つ言葉としては、あまりにもダイレクトで、とんでもない意味を持ってしまう!!
「わ、私お風呂行ってくる!!」
私はお兄ちゃんの表情をこれ以上確認することができず、脱兎のごとく逃げるようにお風呂へ駆け込んだ。
バタンッ! とドアを閉め、鍵をかける。 心臓がバクバクと暴れ回って、息が上手く吸えない。
「言っちゃった……言っちゃったよぉ……!」
服を脱ぎ、逃げ込むように温かいお湯に浸かる。 さっきまでここにお兄ちゃんがいたかと思うと、その事実に恥ずかしくもあり、なんだか少しだけ嬉しくもある。
お兄ちゃん、どんな顔してたかな。 引かれちゃったかな。それとも、少しは女の子として意識してくれたかな。
(……よし)
お風呂から上がったら、今度こそちゃんと、この気持ちを言葉にして伝えよう。 フラれちゃったら、その時はその時だ。当たって砕けろだ!!
私は覚悟を決め、お風呂を上がると、思い切ってバスタオルを一枚だけ体に巻き付けた。 バスローブなんて着ない。この無防備な姿なら、さすがのお兄ちゃんだって私の本気に気づいてくれるはず!
「あ、あのね……お兄ちゃん」
深呼吸をしてバスルームのドアを開け、部屋に戻る。 しかし。
「……あれ?」
部屋の電気が、すっかり消されていた。 返事もない。
(もしかして、寝ちゃった……?)
そーっと壁の手探りでスイッチを探し、明かりをつける。 真っ赤なハート型のベッドには、誰もいなかった。 それどころか、部屋のどこを見渡しても、お兄ちゃんの姿はなかった。
「え……?」
ふと、サイドテーブルに置いた私のスマホの通知ランプがチカチカと光っているのに気がついた。 画面を開くと、お兄ちゃんからのメッセージが一件。
『明日の朝迎えに行く。ゆっくり休めよ』
「……ちょ、、まじ!?」
状況を理解した瞬間、私はスマホを握りしめたまま崩れ落ちた。
お兄ちゃんは、私の決死の『帰りたくない』という言葉を、「雨に濡れて体力を消耗し、疲れて歩きたくない」という物理的な疲労の訴えだと勘違いしたのだ! そして、「それならノドカを一人でゆっくりベッドで休ませてやるのが最適解だ」と判断し、自分だけサッサとこのホテルから帰宅したのである。
ラブホテルに、バスタオル一枚の女子を残して。
「う、うう……私の決心は一体なんなのよぉぉぉー!!」
せっかくの悲壮な覚悟も、バスタオル一枚の体当たりアピールも、すべてが空回り。 私の情けない叫び声だけが、無人のラブホテルに虚しく響き渡るのだった。




