第8話 迷子
「はぁ……はぁ……」
なんとか枕(と私の首のカーブ)のフィッティングを終え、私たちは生活雑貨店を後にした。 さっきの「脱いで」発言のせいで、私の顔はまだ茹でダコみたいに熱い。当のお兄ちゃんは、完璧な枕を手に入れてどこか満足げだ。
(もうっ、お兄ちゃんのバカ! 私ばっかりドキドキして、完全に空回りじゃない……!)
気を取り直して歩き出そうとしたその時。 モールの通路の端っこで、しゃがみ込んで泣いている小さな女の子を見つけた。 年齢は5歳くらいだろうか。周囲に親らしき人の姿はない。完全に迷子だ。
(……チャンス!!)
私は瞬時に頭を切り替えた。 ここで優しく女の子をあやしてあげれば、お兄ちゃんに私の『家庭的で優しい母性』を猛アピールできるはず! 「ノドカって、いいお母さんになりそうだな」なんて思わせる絶好の機会だ。
私はしゃがみ込み、とびきり優しい声で女の子に話しかけた。
「どうしたの? お母さんとはぐれちゃった? 大丈夫だよ、お姉ちゃんたちが一緒に探してあげるからね」 「うわぁぁぁん! ママぁぁ……!」
よしよし、と頭を撫でて安心させようとした――その時だった。
お兄ちゃんが真剣な顔でしゃがみ込み、自分のカバンをごそごそと漁り始めた。 そして、泣き叫ぶ女の子の目の前にスッと差し出したのは――。
「これを食え。黒胡椒味のサラダチキンだ。それとゼロカロリーコーラ。タンパク質と水分の補給において、これが現在の最適解だ」 「なんで5歳の女の子にスパイシーなチキンと炭酸を飲ませようとしてるの!? 胃がびっくりするでしょ!!」
私の母性アピールが、お兄ちゃんの謎の食生活の押し付けによって一瞬でかき消された。
「俺の普段のエネルギー補給における最適解を共有しただけだが」 「お兄ちゃんの最適解であって子供の最適解じゃないの! ほら、女の子泣き止まないじゃない!」
私は慌ててお兄ちゃんからサラダチキンを没収し、近くの自販機で買ったリンゴジュースを女の子に渡した。 ジュースを飲んで少し落ち着いた女の子と手を繋ぎ、インフォメーションセンターへ向かい、館内放送をお願いした。
それから数分後、慌てた様子のお母さんが駆けつけてきた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう!」 「うん、お母さんが見つかってよかったね」
私がホッと胸をなでおろして微笑むと、女の子はお母さんと手を繋ぎながら、ふと不思議そうな顔で私たちを見上げた。
「ねえ、お兄ちゃんとお姉ちゃんは恋人同士なの?」 「え? えっと、違うよ」
いきなりのストレートな質問に、私は少し慌てて首を振った。
「そっか。じゃあ、仲良しさんなの?」 「うん、仲良しではあるかな」 「そっか、じゃあちゅーもするんだね?」 「え? それはしないかな」 「そうなの? お母さんとお父さんがちゅーするのなんで? って聞いたら、仲がいいからだよって言ってた」 「それは、えっとー……」
純粋すぎるロジックに返答に困り、私がしどろもどろになっていると。 横からスッとお兄ちゃんが顔を近づけてきた。
「俺たちは仲良しだぞ。ちゅっ」
「は? ……はぁーーー!?」
お兄ちゃんは無表情のまま、咄嗟に私のほっぺにちゅーをしてきた。 突然のリップ音と、頬に残る柔らかな感触。頭の中が真っ白になる。
「やっぱり仲良しなんだね! それじゃあね、お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
女の子は納得したように満面の笑みを浮かべ、お母さんと一緒に去っていった。お母さんの方はギョッとした顔で私たちを二度見していたけれど。
「お、おお、お兄ちゃん……! い、今のって……!?」 「あー。あの場はああして証明した方が、質問プロセスが早く終了すると思ってな。言語による概念説明より、視覚的・物理的な証拠提示の方が幼児の納得度は高い」 「な、ななな……」
周囲の人が一斉にこちらを振り返る。 私はボンッと音を立てて顔を真っ赤にした。
(ど、どうしよう! お兄ちゃんはまったく意識してないのに、私のドキドキが止まらないよ……!)
私がチラリと隣を見上げると、お兄ちゃんは不思議そうな顔で私を覗きこんできた。
「……どうかしたか?」 「〜〜〜っ! もう、ほんとデリカシーないんだから!!」
私は真っ赤になった顔を隠すように、足早にモールの出口へと向かって歩き出した。




