第7話 お買い物
ショッピングモールに到着した私たちは、一通り生活に必要なもので足りなかったものを購入した後、大型生活雑貨店の寝具コーナーへと足を運んだ。お兄ちゃんが枕を買い換えたいと言ったからだ。
ズラリと並んだベッドを前に、私は密かに胸を高鳴らせていた。
(寝具のお買い物……! これって完全に新婚の夫婦が「私たちのベッド、どれにする?」ってキャッキャするやつじゃない!?)
私は努めて自然な笑顔を作り、一番手前にあった大きなベッドのマットレスをポンポンと叩いた。
「お兄ちゃん、せっかく新居なんだし、こういう大きいベッドにしたら? ふかふかだし、二人で寝ても全然余裕そうだよ?」
『二人で寝ても』。 あえてその言葉を強調してチラリとお兄ちゃんを見ると、彼は無表情のままメジャーを取り出し、ベッドの幅を測り始めた。
「却下だ。単身者の睡眠領域としてダブルサイズは過剰スペックすぎる。部屋の床面積を無駄に占有し、動線を著しく阻害する非合理の極みだ」 「うっ……で、でも! もし誰かがお泊まりに来た時とか、困るでしょ!?」 「急な来客なら防災用の寝袋がある。保温性は抜群だ」 「寝袋って……!!」
(女の子がお泊まりに来て寝袋を出されたら泣いちゃうよ!) 心の中でツッコミつつ、私は気を取り直して枕コーナーへと移動した。今日の目的はあくまでも枕だ。
「この枕は!? このクッションみたいにフワフワのやつ、すっごく気持ちいいよ。私、こういうのに顔を埋めて寝るの憧れるなぁ」
私が淡いピンク色の柔らかい枕を両手で抱きしめて上目遣いでアピールすると、お兄ちゃんはスッと私の手から枕を抜き取った。
「ダメだ」 「えっ、即答!?」 「低反発ウレタンで密度が低すぎる。人間の頭部の重量は約5キロだ。こんな柔らかさでは就寝時に頭部が沈み込みすぎ、頸椎の自然なS字カーブを維持できない。結果として気道が圧迫され、睡眠の質が著しく低下する」 「け、けいつい……」 「枕に求めるべきは『フワフワ感』などの感情的な要素ではなく、頭部の重量を均等に分散させる『体圧分散性』と『適切な反発力』だ」
そう言うと、お兄ちゃんは少し離れた棚から、波打つような不思議な形をした、やたらと硬そうな黒い枕を持ってきた。
「この高反発3D構造こそが最適解だ。おい、ちょっとそこに寝てみろ」 「えっ? わ、私!?」
お兄ちゃんが指差した先には、お試し用の展示ベッド。
(ベッドに寝転がる!? しかもお兄ちゃんの目の前で!?)
心臓がバクバクと跳ね上がる。周囲のお客さんの目も少し気になるけれど、お兄ちゃんに「寝てみろ」と促されたら断れない。 私は顔を真っ赤にしながら、恐る恐るベッドに仰向けになった。
「ど、どうかな……?」
ドキドキしながら見上げると、お兄ちゃんは私の顔を覗き込むように、グッと至近距離まで顔を近づけてきた。
(ち、近い近い近い!! お兄ちゃんの顔が目の前に!!)
思わずギュッと目を瞑り、唇を震わせていると……。
「……なるほど」
お兄ちゃんの手が、私の首の後ろから肩口にかけてスッと差し込まれた。
「ひゃっ!?」 「動くな。……ふむ、マットレスと頸椎の角度が理想的な15度を維持している。寝返りを打つ際の摩擦係数もクリア。首回りへの負荷が完全に分散されているな」 「あ、あの、お兄ちゃん……?」 「よし、耐久テストも兼ねて、そのまま右に寝返りを打て。次は左だ」
お兄ちゃんの目は、私ではなく完全に『枕と首の隙間』に向けられていた。 ロマンチックな雰囲気など微塵もなく、まるで精密機器の動作確認をしているかのような真剣な眼差し。 私は言われるがまま、ベッドの上で右へ左へとゴロゴロ転がるだけのテスト用ダミー人形と化していた。
「んー……お前、今日はワンピースだから生地が干渉してよくわからないな。ちょっと脱いでみてくれないか?」 「はぁ!? お兄ちゃん何言ってるの! 外で脱げるわけないでしょ! じゃ、じゃなくて、家でも脱がないから!!」
公共の場、しかもベッドの上での突然の「脱いで」発言。 周囲の他のお客さんたちが「えっ?」「あの人たち……」とざわざわし始め、一斉に好奇の注目を浴びてしまった。
(ど、どうしよう! 絶対にヤバいカップルだと思われてる!)
私は顔から火が出るほど真っ赤になって、手足をバタバタさせながらわけわかんないことを口走ってしまった。
「ち、違うんです! 脱がないし、この人そういう変態じゃなくて! ただの枕ガチ勢っていうか……あーもう違うのにー!!」
それからしばらくして。 周囲からの生温かい視線に耐えながら、なんとか計測を終えた後。
「完璧だ。これを買う」 「……うん、よかったね」
周囲の目など一切気にする様子もなく、お兄ちゃんが満足げに黒い高反発枕をカートに入れる傍らで、私は乱れた髪を直しながら、大きなため息をついた。
(お兄ちゃんとのお買い物、全然甘い雰囲気にならなかった……)
でも、自分の枕を買うのに、なぜか『私の首のカーブ』でフィッティングを済ませてしまったお兄ちゃん。悔しいけれど、それが少しだけ嬉しくて、私は赤くなった頬を両手でペチペチと叩いてごまかした。




