第3話 お料理
「今日こそ、私の家庭的なところを存分に見せつけるんだから!」
合鍵をもらってから二週間。 私は宣言通り、お兄ちゃんのアパートのキッチンに立っていた。
今日の作戦はズバリ『胃袋を掴む・リベンジ』だ。 初日のラーメンといい、普段からコンビニばっかりのお兄ちゃん。あんなジャンクなものばかり食べさせておくわけにはいかない。 メニューは家庭料理の王道、カレーライス。エプロン姿で手際よく料理する姿を見せれば、いくら無表情なお兄ちゃんだって、少しは新妻っぽさを感じてドキッとしてくれるはず!
「……っ、うぅ……」
しかし、開始早々、私は最大の難関に直面していた。 玉ねぎのみじん切りである。
容赦なく目に染みる刺激成分。ぽろぽろと溢れる涙。 でも、ふと気付いた。これは……チャンスかもしれない。
私は包丁を置き、涙でうるうるになった瞳でお兄ちゃんの方を振り返った。名付けて『涙目の上目遣いで庇護欲をそそる作戦』!
「お、お兄ちゃん……玉ねぎが目に染みて、痛いよぉ……」
さあ、来て! 「仕方ないな」って言いながら、優しい手つきで私の涙を拭って!
「待っていろ」
お兄ちゃんはパソコンの画面からスッと立ち上がると、引き出しを漁り、私の前に立った。 そして、私の顔に『何か』をカチャリと装着した。
「え?」 「花粉症用の防護メガネだ。揮発した硫化アリルによる粘膜へのダメージは、作業効率を著しく低下させる。アイウェアの装着は基本の安全対策だぞ」 「……は?」
涙目の上目遣いは、またしても彼の超・合理的な安全基準の前に粉砕された。 ゴーグル越しに見るお兄ちゃんの顔は、相変わらず見事なまでの無表情だ。
「もうっ! そういうことじゃないのに……!」
私はプリプリと怒りながら、今度は硬いニンジンに向き直った。 くそぅ、防護メガネなんて絶対外してやる。こうなったら、みじん切りのスピードで家庭的アピールをしてやるんだから。
「えいっ、えいっ……硬っ、全然切れない……っ!」 「おい」
不意に背後から声がしたかと思うと、私の背中にトンッと大きな胸板が触れた。
「えっ!? ちょっ……!?」
お兄ちゃんは私の包丁を持ってる手から、包丁を下ろさせると、後ろから両手を握り込んできた。
(ば、バックハグ!? なんか料理中にそういうのってみたことあるけど、いきなり!?)
顔から一気に火が出る。
「お前、実は料理したことないだろ?」 「え?」 「手つきが素人だし、普段包丁を握ってるような手になってないしな」 「あ、あの、お兄ちゃ……っ」 「もう一回包丁を握ってみろ」
うう、手を握ってもらってるのに、なんか全然ドキドキしなくなったー。
「まったく、そんな力任せの切り方じゃ怪我をするぞ」 「……こう?」 「角度はこうだ。ほら、これでいける」
ザクッ、ザクッ。
私を包み込む手は、甘い雰囲気など微塵もなく、ただ冷徹に『最も効率の良いニンジンの切り方』を物理的・力学的に指導しているだけだった。
「わ、わかった! わかったから離して!!」 「? おう。気をつけて切れよ」
あっさりと離れていく温もりに、先ほどまでの心臓のバクバクはすっかり消え失せ、情けなさと恥ずかしさだけが取り残される。 くやしい。完全に私一人が振り回されている。
この調子で、私の家庭的アピールがお兄ちゃんに届く日は来るのだろうか。 煮え立つカレー鍋よりも、私の顔の方が間違いなく沸騰しているお料理タイムだった。




