第40話 (最終話)報われた日
「お帰りなさい。遅かったわね。夕食、まだでしょ?冷凍のチャーハンと餃子があるけど、それでいいなら今から支度するね」
居間に入ると泉が、テレビを観ながら洗濯物を畳んでいた。
「その前に大事な話があるけど、いいかな?」
「ごめん。これ片付けてからでもいい?」
「うん」
どこからどうやって話そうかな?
泉が黙々と洗濯物を畳んでいるのを横目に見ながら功は、必死に話しの切り口を探していたが、何も思いつかないまま時間だけが流れていた。
「終わったわ。それで、大事な話ってなに?」
最後の洗濯物を畳み終わったところで、泉がこっちに顔を向けた。
素直に事実と気持ちだけを伝えよう。
覚悟を決めた功は、さっきの武藤とのやり取りを話した後で率直に今の気持ちを伝えた。
「そっか。それじゃ、今やっているアルバイトは辞めないといけなくなるってことよね?わかったわ。それじゃ、私、明日から正社員の仕事を探すわ。そっちの方があなたと里佳子を扶養に入れられるから何かと都合いいでしょ?その代わり、出るからには最下位でもいいから当選しなさいよ」
1を聞いて10を知る。
泉は、生活の心配をしていた功の気持ちを汲み取っただけでなく、いつ行われるかわからない選挙に向けて協力してくれる意志まで示してくれたのだ。
「あなた、さっきから凄い勢いで食べているけど、そんなにお腹減っていたの?他に何か作ろうか?」
「いや、いいよ。これで、十分だよ」
一番の理解者と協力者を得た功は、腹だけでなく心も満たされていた。
嬉しい悲鳴はこれに留まらなかった。
「おはよう。お父さん。お母さんから話は聞いたわ。今日から家のことは私がやるから、お父さんはお父さんがやるべきことをやって」
この4月で中2になった里佳子が全面協力を約束してくれた。
こうなったら当選するしかない。
さらに気持ちが固まった功は、その場で武藤に連絡を入れて、打ち合わせの約束を取り付けた。
「それじゃ、まずは資金の準備。その次は出馬する選挙区を決めましょう」
「はい」
今も昔もメディア等では、選挙、とりわけ、国政選挙に勝つためには多額の費用が必要だと言われている。
事実、国政選挙だと衆議院でも参議院でも出馬するだけで300万円以上の供託金が必要だ。
候補者の乱立を防ぐためとはいえ、先進国の中でここまで高額なのは日本だけだ。
供託金の準備は、定期預金を解約することで簡単に工面できた。
「選挙区は、立花さんの地元にしましょう。私はボランティアを手配します。立花さんも親族はもちろん、地元の知人や友人そのまた知人や友人にも声をかけてください。それと、朝・夕の演説は毎日行ってください」
いつ行われるかわからない選挙に向けてスタートを切った功は、朝と夕方は駅前で演説を行いつつ、地元の知人や友人達にも積極的に連絡を取った。
最初は見向きもされなかったけど、ポツポツではあるけど、こんな自分にも手を振ってくれる人もいるんだな。
継続は力なり。
典型的なドブ板作戦だったが、連絡を取った小・中・高の友人や知人の中には家業を継いだり、自ら興した商売が当たったことで地元の有力者になっていた者もいた。
かつて、功にセルフノックアウトされた五十嵐や大野もその中の1人だった。
「功。毎日、演説ご苦労さん。まさか、お前が選挙に出るとは思わなかったな。それと、いまさらだけど、あの時は事情も分からず喧嘩売って済まなかったな」
「あの時は本当に悪かった。俺達、かなりガキだった。反省しているよ」
夕方の演説が終わり、前から誘われていた同級生が経営している居酒屋に顔を出すと、偶然、奥座敷に居合わせた五十嵐と大野が照れくさそうな顔で謝罪してきた。
「そんな昔のことは忘れたよ。それより、俺もそっちで飲んでいいかな?」
「おう。大野、そっち、ちょっと、詰めてくれ」
「はいよ」
二人ともずいぶん出世したみたいだな。俺もうかうかしてられないぞ。
五十嵐と大野が、20代後半で会社を興し、現在、地元の商工会議所でも一目置かれる存在になっているという話は以前から耳にしていた。
「国政に打って出るお前の心意気は見上げたものだ。でも、ここは昔から玉木の選挙区だ。利権で金儲けしているあいつの牙城を崩すのは大変だぞ」
各々の仕事の話や家族の話題が一段落したところで、五十嵐が焼酎入りのグラスを呷ってから言った。
「でも、安心しろ。俺は、自分のことしか考えないあの野郎が嫌いだ。俺だけじゃない。ここで、俺と同じく土木屋をしている連中は全員あの野郎が嫌いだ。お前もここで働いていた時にあの野郎と接点があったから俺の気持ちわかるよな?だから、もし、選挙が行われることになったら俺、いや、地元の土木屋はお前に全面的に協力するぜ」
「五十嵐も大変だけど、じつは俺も会社が儲かりだした頃からあいつに目を付けられて大変だったよ。あの野郎、俺からお金を引っ張りたいがために子供でもわかりそうな嘘をつくんだぜ。ひょっとして、借金まみれの一文無しだったりして」
「あの利権野郎が一文無しだって?日頃からこれ見よがしに高級外車を乗り回している野郎だぜ。あれの維持費を考えたらそれはないよ」
「でも、名義が本人じゃなかったら可能性はあるよ」
へぇ。お金がなくても高級外車に乗れるんだ。
大野が最後にした発言はしばらく頭に残っていた。
それから5ヶ月ほど過ぎたある日のことだ。
今朝の朝刊の一面を見た功は、あまりの驚きに口に加えていた歯ブラシを床に落とした。
情報通りじゃないか。恐るべし、東大ブランド。
紙面には白抜きの太字で今秋の『衆議院解散』の文字が載っていた。
昨日まで武藤に言われるがままにドブ板作戦を遂行していた功は、歯磨きを中断すると、すぐに五十嵐と大野に連絡して応援の約束を取り付けた。
もちろん、2人はこれを快諾してくれた。
国政選挙、特に衆議院の解散から総選挙までの過程は、憲法や法律で厳格にスケジュールが決められている。
衆議院選挙の場合、解散から数日〜2週間ほどあとに選挙戦のスタートである公示が行われる。
因みに公示日とは、選挙の日程が正式に発表され、立候補者の届け出が締め切られる日のことだ。衆議院選挙の場合、公示日から投票日まで12日間の選挙期間が設けられている。
要するにこの12日間の活動ですべてが決まるということだ。
知名度に加えて与党の公認候補でもある玉木との選挙戦は、序盤から苦戦の連続だった。
地元の有力者である五十嵐と大野の協力でこれだから、完全な丸腰だったらと思うとそれだけで卒倒しそうになった。
この調子だと確実に負ける。
功を筆頭に陣営の誰もがそう感じ始めた時だった。
玉木の身に思いがけない火の粉が降りかかろうとしていた。
夕方。駅前で街頭演説を終えた玉木が選挙カーに乗り込み、スマホをいじっていると画面に所属していた党の幹事長から着信があった。
ふん。どうせ、上手くやっているかの確認だろ?あとで掛け直すのも面倒だし、出てやるか。
玉木は、通話ボタンをタップした。
「お疲れ様です。幹事長。幹事長の根回しのおかげですべて上手く」
と言いかけたところで幹事長の怒鳴り声がした。
「玉木。お前、俺の姪っ子になんてことをしてくれたんだ。お前のせいで姪っ子は40過ぎても家の中に引き籠ったままだぞ。明日の応援演説は中止だ。それだけじゃない、お前とは今日限りで終わりだ。このゴミクズ詐欺野郎」
「幹事長。落ち着いてください。何をおっしゃっているのかわかりません」
「黙れ。この大ペテン師」
電話はそこで切れた。
誰のリークか知らないが、かつて玉木が搾り取れるだけお金を搾り取って捨てた女性達の中に幹事長の姪っ子がいたことがマスコミの記者を通じて幹事長の耳に入ってしまった。
ちょっと、搾り取っただけじゃないか。これだから温室育ちの女は嫌いなんだよ。
まぁ。身内の恥だから幹事長も表沙汰にはしないだろう。
玉木は安易に考えていたが、状況は思っていた以上に深刻だった。
「みんな。こいつ、昔、投資詐欺をやっていたグループの1人だぞ。嘘だと思うなら『政治家ちゃんねる』って掲示板見てみろよ」
翌日。昨日と同じ駅前で街頭演説をしていた時だった。不意に現れたチンピラ風の若者の一声でそこに集まっていた人々は、一斉に自分のスマホでそのチャンネルにアクセスした。
「あっ。これ、知っている。私が中学生の頃、近所のおじさんが巻き込まれたっていっていた事件だ」
選挙になると、時々、こういう意味不明なことをいう輩がいます。ですが、私は神に誓ってそんなことはしていません。信じてください。
いつもならこんな風に冷静に対処していただろう。
ところが、視界の先にある男の姿を見付けたことで状況は一変した。
あいつ。あれだけいじめ倒したのにまだ歯向かってくるつもりか。
待てよ。まさか、あの時の仕返しをここでするつもりじゃ。
いや、考え過ぎた。こんな昼日中に公衆の面前でやれるわけがない。でも、万が一ということもある。
あの時と違って近くに輩連中を配備していなかった玉木は、無駄に動揺の雪だるまを作っていた。
そんな玉木にお構いなく男は、1歩、また、1歩と着実に選挙カーへ向かって歩いてきた。
「具合が悪い。演説は中止だ。これから病院に行くから早く車を出せ」
錯乱した玉木は、持っていたマイクで選挙カーの運転手に怒鳴った。
玉木の度を超えた錯乱ぶりに驚いた運転手は、玉木が乗り込んでもなかなか発進しようとしなかった。
「早く発進しろ」
玉木は、車から外に出ると運転席のドアを開けて力任せに運転手を引きずり出そうとした。だが、シートベルトが外せなくて焦りとイライラは最高潮に達していた。
「てめぇ、早くどけよ」
「急にどうしたんですか?怖いじゃないですか」
「黙れ。この底辺野郎」
運転手を強引に外へ引きずり出した玉木は、運転席に乗り込み逃亡した。
「これで気は済みましたか?」
「はい。まさか、選挙でこんな場面が見られるとは思いませんでした」
「確かに普通に生きていたら絶対に見られないもんな」
武藤は、言いながら男の頭を撫でた。
玉木の逃亡により大本命が消えた選挙戦は、以降、混戦を極めた。
こういう時こそ必要なことを必要な分だけしっかり丁寧にやろう。
予期せぬハプニングで中盤戦を乗り越えた新平に思わぬ助っ人が現れた。
「皆さん。スターが帰ってきましたよ。まぁ。私の経歴についてはいまさら申し上げることはないと思います。そんな私から皆さんに1つだけお願いがあります。それは、ここに立っている私の弟、立花功を皆さんの清き1票で男、いや、ニュースターにしてください。そうすれば、スター兄弟としてメディアに売り込めます」
国政選挙で恥ずかしいこと言うなよ。この、目立ちたがり屋。
選挙戦終盤。地元の英雄で元プロ野球選手の新平の応援演説にその場にいた誰もが吹き出していた。
功よりはるかに知名度のある新平の影響は、絶大で特に野球好きな高齢者から「名前書くから、サイン頂戴」と会う人、会う人にありがたいようなありがたくないような取引を持ち掛けられた。
因みに、それについては「公職選挙法に抵触するかも知れませんので、すみません」と丁寧に謝り続けた。
当選していますように。
迎えた投票日の夕方。
五十嵐から無償提供されたプレハブ小屋で功は、祈るような気持ちで速報の結果を待っていた。
「ただ今、無所属で新人の立花功氏の当確が出ました」
選挙速報開始から6時間後。ついに、歓喜の時が訪れた。
「うわぁ。なんだよ。兄ちゃん。聞いてないよ。恥ずかしいから止めてよ」
「止めない」
「功。これは、お兄さんの命令だ。悪く思わないでくれ」
「さぁ。皆さんも手伝って」
五十嵐と大野は、その場にいたボランティアスタッフを呼んだ。
準備が整ったところで新平がテレビ中継のカメラマンに向かって指をさしながら「行くぞー。1、2、3、ダァー」の合図で胴上げが始まった。




