第37話 タフネス
「一身上の都合とはいえ、急な退職を受け入れていただきありがとうございました」
「今までご苦労さん。退職等諸々の手続きは早急にこちらでやりますので心配しないでください」
これって、ドライ?それとも、円満?
入塾試験を受ける少し前、一応、直属の上司には合格したら退職する予定だと伝えていたが、その時も今と同じように引き留めの言葉はなかった。
後年、元同僚から訊いた話によると、この時、働いていた会社は数年前から続いていた累積赤字を減らすためゴールデンウィーク明けからリストラを実施しようとしていたらしい。
そんなことなど露知らず、個人的な事情で退職を希望した功に会社、とりわけ人事課の対応は優しいだけでなく手厚かった。
その証拠に退職等諸々の手続きは1週間以内で終わった。また、これまでの勤務態度と全社員の中でいの一番に退職を申し出たことが評価され、リストラ実施前にも関わらず特別功労金を受け取ることまで決まった。
経緯はどうであれ、これからの立花家の家計を考えるとウィンウィンの退職だった。
国会議員への道は険しいと思うけど、やるしかない。
入寮3日前の夜。居間で期待に胸膨らませながら引っ越しの荷造りをしていると、テーブルの上に放置していたスマホが激しく振動した。
こんな時間に誰だろう?
功は、スマホを手に取って画面を見た。
知らない番号だな。
時期が時期だけに下手に出てしょうもないトラブルに巻き込まれることを恐れた功は、無視しようとしたが振動は一向に止まなかった。
「もしもし。立花ですが?」
功は細心の注意を払って電話に出た。
「あっ。立花功さんの携帯で間違いないでしょうか?夜分遅くにすみません。私は、村野政経塾塾長の村野勝司と申します。面接でしか顔合わせしていないと思いますが、覚えていますか?」
「はい」
勢いで2つ返事になってしまったが、本当は全く覚えていなかった。
無理もない。あの日は、会場入りの時点からライバル達の存在に圧倒されまくりで、まじまじと他人の顔を見るゆとりなど1ミリもなかったからだ。
「時間も遅いので単刀直入に申し上げます。今回、立花さんは補欠合格なので当塾の規定で入寮は出来ません。なので、当塾へは通いでお願いします。それと、カリキュラムについても若干の変更があります。それ以外は他の合格者と同じです。もし、不服であれば辞退することも出来ますよ?」
補欠合格?そんなこと、願書にも合格通知にも一切書かれていなかったぞ?というか、今頃になって補欠だからカリキュラムの変更っておかしくないか?それなら、なおさら、書いておくべきだろう?
村野は言葉遣いこそ丁寧だったが、どれも釈然としない内容だった。
もし、これが『双葉』時代の自分だったら、無言で電話を切っていただろう。
そうだ。せっかくの機会だから訊いてみよう。こんな一方的な話のあとだからさすがに拒否はしないだろう?
頭を切り替えた功は、静かに口を開いた。
「話はわかりました。その前に1つだけ教えて欲しいことがあります?」
「何でしょうか?」
「補欠合格者は私だけですか?」
この質問をしたのにはわけがあった。
それは、勉強でも運動でもなんでもいいが、自分と同レベルの人間と競わないと成長する前に挫折あるいは堕落する可能性が高まるということを元プロ野球選手で兄の新平から言われていたからだ。
あの連中のレベルにはついて行けそうもない。もし、補欠合格者が俺だけなら断ろう。
功は、緊張の面持ちで村野の答えを待った。
「いえ、もう1人います。その方は、当塾の近くにアパートを借りるとおっしゃっていました。非常にガッツのある若い男性ですよ」
「わかりました。私もその人と同じく通学も特別カリキュラムの変更もそちらの方針に従います」
「ご理解いただきありがとうございます。それでは、失礼します」
一体、どんな人なんだろう?
土壇場での後出しじゃんけんには、依然として引っ掛かる物があるが、もう1人の補欠合格者に会ってみたいという気持ちがそれを打ち消してくれた。
俺の隣以外の席は全部埋まっているな。ということは……。
入塾初日。功は、一軒家を改装した教室の中でまだ見ぬ同志が現れるのを心待ちにしていた。
ドタッ。ドタッ。ドタッ……バン………。
オリエンテーション開始3分前。急ぐ足音のあとで教室の扉が乱暴に開いた。
それと同時に若い男が「ハァ。ハァ……ゼェ。ゼェ……」と息を切らせながら飛び込んできた。
若い。痩せている。そして、チビの俺よりさらにチビ。
でも、顔つきを見る限り感じ良さそうな人だな。
それが、もう1人の補欠合格者、茂木幸雄の第一印象だった。
「すみません……隣……いいですか?……」
茂木は、功の横まで来ると、整わない呼吸で訊いてきた。
そこしか、空いてないだろ?もし、俺がダメって言ったら、どうするつもりだ?
当たり前だが、丁寧に接してくる相手にそんな下品で意地悪な突っ込みはしない。
「そんなに走って疲れたでしょう?早く座るといいですよ。さぁ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
受験勉強を通して、知識と同じくらい感情のコントロールの重要性を学んでいた功は、これ以上ない優しい対応で茂木に接した。
「立花功です。元は会社員でした」
「茂木幸雄です。現在は、東京在住ですが出身は福島です。元々は自営業をしていました。よろしくお願いします」
この日の午前中は、各々の自己紹介のあとで政界志望者と財界志望者のグループ分けが行われた。
功も茂木も政界志望者のグループだった。
「これのどこが若干の変更なんだ?夜間学生の逆バージョンじゃねぇか。しかも、休みは日曜日だけって、いつの時代の働き方だよ?」
カリキュラム表を受け取った功が呟くと「同感です」と茂木もこれに続いた。
「それじゃ、立花さんと茂木さん以外は、私が戻るまで静かに自習するように」
午後1時10分。塾が提携してる食堂で昼食を済ませた功と茂木は、村野が運転する車に乗せられ塾を出た。
「着きましたよ。私は近くのコインパーキングに車を停めてきますので、2人とも先にここで降りてください」
「はい」
「わかりました」
20分後。村野の指示で2人は、古い雑居ビルの前で降りた。
まさかとは思うけど、人身売買とか人体実験の道具にされるなんてことはないよな。
築40年はゆうに経過していると思われる雑居ビルの不気味な外観に功は、嫌な空想を膨らませていた。それは、横にいた茂木も同じだったようだ。
「立花さん。僕達、どこかに売り飛ばされたりしませんよね?」
「これがあるから大丈夫だよ」
功は言いながらスマホの位置情報が正確に機能しているか確認した。
「お待たせ」
5分ほど経ったところで背後から登場した村野が、笑顔を見せながら2人に近づいてきた。
この人、間近で見るとかなりの男前だな。終戦間際に生まれた日本人にしては上背も高いし、動きも矍鑠としている。パンフレットに京大卒のエリート商社マンと記載があったけど、当時はモテモテだっただろうな。
コンパスの違いでずんずんと先を進む村野をほぼ同じ身長の功と茂木が、早歩きで追った。
「それじゃ、立花さんは2階にある『佐々木測量・家屋調査士事務所』。茂木さんは3階の『大川測量事務所』に行ってください。両代表には、私の方で事前に話はつけているので、ドアをノックしたら名前と私からの命令でやった来たことをお伝えください」
事務仕事ならまだしも、完全に肉体労働じゃねぇかよ。
憤慨している功の横で茂木は「階段はどこですか?」と村野に尋ねてその場を離れた。
これからしんどい思いをするってわかっているのによく平気でいられるな。
頭ではそう思っていても、茂木の度胸に功も動かざる終えなかった。
あー。もう、あんなに勉強したのになんでこんな思いしなきゃいけねぇんだよ。
30分後。見知らぬ土地で測量士の補助業務に駆り出されていた功は、怒っていた。
それもそのはず。午後からの『現地実習』というのは名ばかりのカリキュラムで実質『アルバイト』と同じだった。
ひょっとして、ここでのバイト代が給料になるのでは?
ブラック企業じゃあるまいし、いくらなんでもそんなマネーロンダリングみたいな真似はしないよな。でも、いきなり、振込先の口座番号を聞かれたからあり得ないこともないぞ。
代表とのやり取りを勘ぐれば勘繰るほど惨めで不愉快な気分になった。
「立花さん。今日は疲れましたね」
午後5時。仕事を終え、1階の玄関で落ち合った功に茂木が声をかけた。
「機材は重いし、立ちっぱなし、歩きっぱなしで、足がパンパンだよ。俺、先週で3
8歳になるんだけど、まさか、この歳で測量の仕事をさせられることになるとは夢にも思わなかったよ」
功は、仏頂面で言った。惨めさと不愉快さはまだ残っていた。
「立花さん。物は考え方ですよ」
「どういうこと?」
「このわけのわからん、実質、バイトのカリキュラムのおかげで僕達は、他の人達が勉強している間にドブ板選挙に必要な気力・体力が養えるんですよ。仮に政治家になれなかったとしてもこの経験は必ずどこかで活きますよ」
「例えば?」
「そうですね。僕だったらこの経験をコメディー風の小説にして1発狙いますね。それがダメなら……」
「ダメなら?」
「諦めます」
諦めるんかい!
シベリアより寒いオチと真剣な目は、時間差で功の笑いのツボを刺激した。




