第36話 掟破り
学歴・経歴を見る限り、今年の塾生はどいつもこいつも癖の強い連中だな。
とりわけ、この水増し合格者の2人からは、クレイジーの域を超えて狂気すら感じるよ。
午前9時45分。日課の筋トレを終えた村野勝司は、プロテインの牛乳割りを飲みながら今年度の入塾者一覧表を眺めていた。
私塾を開いて今年でちょうど10年になる。
数こそ少ないが、ここを巣立っていった歴代の塾生達の中には、中央政界や財界等で活躍している者もいる。
一方、途中で辞めた者、卒塾はしたけれど政界にも財界にも進まずどこで何をしているのかわからない人間もいる。
ここ数年に限れば、むしろ、後者の方が多い。
入塾のハードルを無茶な設定にしたのは、是が非でも政治家、あるいは、財界人になりたいという熱量ある人間を確保するためだ。
この2人、個人的興味で入塾を許可したけど、毎月の手当のことを考えると気が重いな。
村野は、ため息をついたあとで残りのプロテインを一気に飲み干した。そして、空になった容器を台所へ持って行った。
あの2人の手当を捻出するにはどうすればいいか?それが、問題だ。
煮詰まったら、3分、いや、1分でもいいから、一旦、棚上げして別のことに全神経を集中させる。そうすれば、知らぬ間に頭が整理されて解決策に辿り着きやすくなる。
村野は、自分の経験則に従って容器を洗うことに没頭した。
「おはよう。パパ」
容器を洗い終え食洗器に放り込んだ時だった。背後から娘の声がした。
「おはようじゃないよ。もう、10時だぞ。この寝坊助」
村野は、振り向きながら言った。言葉とは裏腹に顔には、男親の甘さがしっかり表れていた。
「だって、眠いんだから仕方ないじゃない。そんなことより、私、明日の便でママのところに帰るのよ。だから、今日中にUSJに連れて行ってよ」
「ここは東京だよ。ディズニーランドならともかく、USJは大阪にあるから無理だよ」
「地図見たけど、そんなに遠くないじゃない。車を飛ばせばすぐに着くんじゃないの?」
「新幹線や飛行機ならまだしも、遊びのためだけにわざわざ東京から大阪まで車で行く人なんかいないよ」
「日本ってアラスカやテキサスより小さいから、てっきり、車で行けると思っていたわ」
こいつ。外見は東洋人でも中身はしっかりアメリカ人だな。
まぁ。あんな馬鹿デカい土地でアメリカ人のあいつ(元妻)と35年も暮らしていたらそういう感覚になっても仕方ないわな。
太平洋戦争終戦の2ヶ月前。野村勝司は、兵庫県でうどん屋を営む両親の5人兄姉の末っ子として生まれた。
子供の頃から体が大きくスポーツ万能で頭も賢かった村野は、どこにでもある普通の公立高校に入学した。
そこから現役で京都大学農学部に入った。大学卒業後は、東京の一流商社へ就職した。
エリート街道まっしぐらのように思われるが、村野には1つだけ男、いや、オスとして致命的な弱点があった。
それは、女、特に金髪の美女には目がなかったことだ。
じつは就職先に商社を選んだのは、仕事にかこつけて合法的に多くの金髪美女と知り合いになれる(遊べる)と考えたからだ。
入社から3年後。最初で最後の赴任先となるアメリカで苦労の末に口説き落とした1つ下の金髪のヌードダンサーと結婚した。
大恋愛の末の国際結婚だったので、今のご時世ならそこまで問題にはならないと思うが、当時の村野の行動は、プライベートとはいえ社内で大問題視された。
とりわけ、26年前に敗戦を経験していた上役連中達からの評価は最悪で「戦勝国の女にのぼせた大馬鹿野郎」「アメリカかぶれ」「先の大戦で亡くなった我が国の英霊達に詫びろ」と一時帰国した際に面と向かって罵倒されたこともあった。
結婚から1年後。会社からの帰国命令でアメリカから連れてきた金髪嫁との生活は、経済的には何不自由なかったが精神的には辛かった。
それは、翌年、娘が誕生したあともしばらく続いた。
「お前があの有名な村野さんか?」
まだ、いびる気か?しつこいにもほどがあるだろ?
結婚から7年後。相も変わらず顔を合わせる度に自分のことを「非国民」呼ばわりする上役連中達に野村の精神はついに悲鳴を上げた。
あんなところで働くのはもうたくさんだ。
会社を辞めたことで一家の主としての責任を果たせなくなった野村は、金髪嫁からも三下り半を叩きつけられた。
俺のために異国からこんな東洋の島国まで来たんだから、最後くらい明るく振る舞おう。
離婚の際、当時、5歳だった娘の親権及び高額な慰謝料を要求された村野は「今までありがとう」と笑顔で全財産を元嫁に差し出した。
独身に戻った村野は、英語会話講師の職に就いた。仕事に慣れた頃からは大学時代の知り合いの伝手を頼って執筆活動も開始した。
すべては、毎月支払う養育費のためだった。
あれだけ書いてこれだけかよ。プロの作家みたいにはいかないもんだな。
講師の仕事は順調そのものだったが、執筆活動の方は3年経ってもなかなか芽が出なかった。
ところが、神は愚直に努力し続ける村野を見捨てなかった。
暇潰しに書いただけなのにこんなに貰えるの?
数年後。執筆活動の合間に気分転換のつもりで書き貯めていた作詞の1つが運よくヒットを記録したことで、村野は贅沢さえしなければ死ぬまで安泰な大金を手にすることが出来た。
60になったら年金貰って楽に生きよう。
30代半ばで億単位のお金を手にした時は本気でそう考えていた。だから、生活のレベルを変えることはせず還暦になるまでは今までと同じように英会話講師と作詞家の2足のわらじで行こうと決めていた。
だが、村野に俗世からの引退は無理な注文だった。
自身の生活・養育費捻出のために働き始めた英会話講師という仕事を通して人に教える・人を育てるということに生き甲斐を感じるようになっていた村野は、いつしか自
分の手で世の中に役立つ人間を輩出したいと考えるようになった。
期限は10年。その間に出来る限り多くの優秀な人材を政界や財界に送り込みたい。
それが、58歳で『村野政経塾』を立ち上げた時に決めた目標だ。
この水増し2人組の手当、どうやって捻出すればいいんだ?
午後4時。日課の散歩を終えて家に戻った村野は、午前中に見ていた資料を睨みながらなおも結論を出せないでいる自分が情けなくて仕方なかった。
「パパ。朝もその紙見ながら悩んでいたよね?ちょっと、見せて」
「勝手にどうぞ」
どこにも連れて行ってもらえず、朝から1日中家の中にこもっていた娘は、疲れからテーブルに突っ伏していた村野の横に立つと強引に資料を奪った。
「へぇ。2人とも保険金の額も同じで受け取りの名義人もパパにしてるんだね?でも、これってバレたら社会問題になるんじゃない?」
「大丈夫だ。それは、本気で入塾する気があるかどうかを見極めるためだから名義は変更してもらう」
「それじゃ、何をそんなに悩んでいるの?」
「いい質問だ。この塾は、毎月、塾生に手当を支払うシステムなんだよ。この2人は、俺の個人的興味で水増し合格させたからその分だけ赤字なんだよ」
「気安さが仇になったわけね」
娘はそれだけ言って再び資料に目を落とした。
こいつの言う通り、やっぱり、受け入れるべきではなかったな……。
2人の間に何とも言えない重苦しい空気が漂い始めようとしたその時だった。
「ねぇ。こういう方法はどう?」
それまで黙って資料を眺めていた娘が資料から目を離してこう続けた。
「この2人は、補欠合格という形にして2人だけの特別カリキュラムを作るのよ。
「例えば?」
「午前中は勉強。午後から働いてもらうとか」
「他の塾生が朝から晩まで勉強しているのに、この2人だけ働きながら勉強させるってこと?それで、納得するかな?」
「するかな?じゃなくてさせるのよ。政治家になるためには、額に汗して働く尊さを学ぶ必要があるとか庶民感覚を忘れないとか言えば受け入れてくれるんじゃない?嘘も方便よ。それに、政治家になったら自分の食い扶持は自分で稼がないといけなくなるから今のうちから人脈を作るという予行演習も悪くないと思うけどな」
「それ、いいな。よし。そのアイディアいただき。ありがとう。お前が娘で良かった」
村野は、娘を抱き寄せると優しく頭を撫でた。
「キャ。パパ。顔が近い。近いってば」
今年で40歳になった娘は口では嫌がっていたが、ハグ文化で育ったその目は笑っていた。




