第35話 備えあれば憂いなし
思い出すだけで顔から火が出そうになる面接から10日後。周囲の反応から100パーセント入塾はないと思っていた功の元に3日遅れて合格通知が届いた。
これ、信じていいんだよな?
新手の詐欺もしくは個人情報を入手した愉快犯の仕業。そんなことが頭の片隅になかったわけではないが、功にはそれ以上に気になっていたことがあった。
「ちょっと、いいかな?」
「何よ」
天ぷらを揚げていた泉は、迷惑そうな声で返した。
「例の5千万円問題(あの日、以来、立花家というか由紀子と泉と自分の間ではそう呼んでいる)だけど、あれって、どうやって証明したの?」
過去形で訊いたのは、書類選考の際にその証明種類も添付することになっていたからだ。
つまり、書類が通過した時点で自分に5千万円の資産があったということになる。
功が知りたいのは、それがどうやって作られたのかということだ。
「生命保険よ。昔と違って今はいろんな種類の生命保険があるのよ。続きは里佳子が寝た後で話すからさっさとお風呂に入ってよ」
生命保険か。大方、そんなことだろうとは思ったけど、それにしても5千万となると毎月の掛け金も馬鹿にならんはずだ。今の俺の給料で払い続けたとなると相当しんどかっただろうな。
派遣社員として働いて数年が経つが、あの時、先輩方が言っていたように会社は現場に送り込むだけで、社員登用に関する話はこれまで一切なかった。
過去にはそれが、不満で辞めた人もいたが、面白いことにそういう人に限って頻繁に出戻りを繰り返していた。
「あなた。いつまで入っているの?早く食べてよ。冷めちゃうでしょ」
うっ。こいつら。ハイエナか?
湯船で長考していたせいか。居間に入ると、あんなに大量に作っていたはずの天ぷらが3本しか残っていなかった。
「なぁ。里佳子も休んだみたいだし、そろそろ、さっきの続きを教えてくれよ」
午後11時。洗い物が終わって居間に入って来た泉に功が訊いた。
「知りたい?」
「うん」
「あなたにとって嫌な話になるかも知れないけど、最後まで怒らないって約束できる?」
「わかった。約束する」
功の返事を聞いた泉は「ちょっと、待ってね」と言って、居間を離れた。
「これよ」
居間に戻った泉は、右手に持っていた白い大きな封筒を功に渡して座った。その際に見た泉の顔は、真剣というよりは深く思いつめている感じだった。
「さっきも言ったけど、昔と違って今はいろんな種類の生命保険があるのよ。私が選んだのは、加入から3年が経過したら自殺でも保険金が下りるタイプの保険よ」
「何故、そんな保険に入ったの?」
冷静に話の続きを促すことができたのは、泉には泉なりの深い考えがあってのことだと信じていたからだ。
「主婦のネットーワークって結構広くてね、前にあなたが働いていた『双葉』の話はよく話題になっていたのよ」
「うん。それで」
「『双葉』の話を耳にするたびに私、あなたみたいなタイプの人は仕事で殺されるって思ったのよ。だって、そうでしょう?聞けば聞くほど恐ろしい職場環境じゃない」
「確かにあの頃は、心身ともクタクタだったよ」
『双葉』時代のいい思い出は、初期に厨房で働いていたわずかな期間だけでそれ以外は、理不尽な目に遭ったことしか覚えていない。
「辛かったでしょう?苦しかったでしょう?」
「うん」
「あなたと同じくらい私も辛かったわ。だって、もし、あなたの身に何かあったら、私と里佳子は路頭に迷うじゃない」
「そうだね」
「そんな時に知り合いの奥さんに相談して勧められたのが、この保険ってわけ」
「そうだったんだ……ってなるか」
「だから、最初に嫌な話になるって言ったじゃない。本当は墓場まで持って行くつもりだったのよ」
「墓場?これが本当の死人に口なしってやつだな」
「あなた。良い例え。わかりやすい」
「ありがとう……って言うわけないだろ?」
「そりゃ。そうだ」
深刻ムードから一転。夫婦漫才コンビと化していた2人はどちらからともなく吹き出していた。




