第24話 玉砕
あいつ、変な気を起こさないといいけど。
今井の重い過去を知って1週間が経った。今のところ本人に変わった様子は見られないが、あの<ぶっ殺すつもりです>という物騒なセリフが頭の中から消えることはなかった。
「立花さん。ちょっと、いいかな?」
朝の居室掃除を終えた功が、屋外の水場でモップを絞っていると背後から声がした。
やっぱりな……。
振り返るとそこに立っていたのは、あの若い女性事務員だった。
「何か用ですか?私、今日は10時から病院受診の付き添いがあるので今から準備しなきゃならないですけど」
「はい。はい。忙しいのはお互い様よ。そんなことより、今すぐ、事務所に行ってください。玉木さんが待っているから」
玉木さんが待っている……ってどういうこと?
頭の整理が追い付かないまま、功はモップを片付けると事務所の方へ向かって歩き出した。
「失礼します」
事務所に入ると、中川と玉木が横並びでひそひそ話をしていた。
「そんなところに突っ立てないで、どこでもいいから座れ」
「はい」
玉木に促された功は、長椅子の右端に座った。
これが、あの、盗難事件の現場か?今まで入ったことなかったから知らなかったけど、結構、綺麗な部屋だな。それに、あの机も高そうだな。
「ここじゃ、なんだからちょっと外に出よう。おい、こいつ、ちょっと借りるぞ」
「どうぞ」
はぁ?だったら、初めから外に来いって言えよ。
こっちは今から病院受診の準備をしなきゃいけないってのに……ていうか、どこまで歩くつもりだよ。
そんなこと知らんわ。と言わんばかりに目の前を肩で風を切り悠々と遅いペースで先を歩く玉木の背中と腕時計を交互に見ながら功は、焦っていた。
やっと止まった。さっさと話せ。こっちは時間がない。
事務所裏にあるゴミ捨て場の前で立ち止まった玉木は、ゆっくり振り返った。
こんな短時間で人の顔ってここまで変わるのか。
元々、悪人顔だった玉木の顔はさらに悪人、いや、悪人を通り越して鬼の形相に変わっていた。
「お前さぁ。今井になに吹き込まれたのか知らんけど、現役の国会議員に喧嘩売って無事に済むと思ってるの?」
周囲に人が居ないことを確かめた玉木は、その狂気じみた顔面を功の鼻先まで近づけながら威圧してきた。
「なんのことですか?」
「まぁ。とぼけるならそれでもいいけどよ。あっ。そうだ、お前だけに教えてやる。今井の野郎、来週いっぱいで退職することになったからよ」
えっ……。
玉木は、言うだけ言うと、功の反応には目もくれず、来た時と同じように肩で風を切り遅いペースでその場を離れた。
「おい。来週いっぱいで退職ってどういうことだよ?」
その日の夜。10回目でようやく電話に出た今井に功は、怒りと焦りからいきなり本題を切り出していた。
「アハハ。そのことですか。ぶっ殺してやるつもりが見事に返り討ちにされてしまいましたよ。あいつら、政治家じゃなくてただのやくざ者でした」
「返り討ち?やくざ者?話がよくわからん」
「いいですよ。どの道、辞める身なので教えますよ」
次の瞬間、スマホの向こう側から「スーッ」という深呼吸の音が聞こえた。
これって、ひょっとして……。
カミングアウトから半月ほど経ったある日の夕方。タンスの奥の方に眠っていた父親の古い日記を発見した今井は、日記を読み終えると、以前、興信所に調べてもらった玉木の自宅マンションまで行き待ち伏せした。
<あんた。俺が小6の時に家に出入りしていた男だよな?>
深夜0時を少し回った時だった。車から降りてきた玉木に今井は背後から大声を張り上げながら一世一代の大勝負に打って出た。
<お前。誰?>
時間は深夜。辺りに人の気配はない。そんな状況下で大声で迫って来る男。
普通の人間なら怖くて振り向けないところだが、性根が腐りきっていた玉木にはそれほど効果はなかったらしい。
<あんたが、昔、騙した市役所職員の今井光男の息子の今井悟志だよ>
<市役所職員の今井光男?そんなやつ知らねぇよ>
<おっと。忘れたとは言わせねぇぞ。この右ポケットの中にある日記に当時のお前とのやり取りが書かれているからな>
今井は、威勢よく啖呵を切ったあとで、左ポケットの中に忍ばせていたスタンガンを取り出しスイッチを入れた。
<だったらどうなんだ?>
<それは認めたということでいいのか?>
<解釈はお前の自由だ>
ところが、この直後、今井にとって信じられないアクシデントが発生した。
<玉木さん。遅いじゃないっすか。皆さん、お待ちかねですよ>
いつまで経っても部屋に上がってこない玉木を心配したどう見てもそっちの筋にしか見えない2人組の男が玄関ホールへ現れた。
<玉木さん。こいつ、スタンガン持っているけど知り合いっすか?ってそんなわけねぇか>
勝負あった。
今井は、2人組に襲われた拍子に切り札である手帳を落としてしまった。
「僕。逃げ足だけは早いから助かったけど、あれが、3人だったら間違いなく捕まっ
てボコボコにされていましたよ」
今井は笑いながら話していたが、その時は、ちびるほどビビっていたと思う。というより、ちびっていたに違いない。
2人組の登場で仇討ちの機会を逸しただけでなく、切り札である手帳まで奪われたのは、今井にとって現時点で人生最大の汚点だろう。
「馬鹿野郎。無茶しやがって。いいか、こういうことは時間を掛けてゆっくりじわじわ真綿で首を絞めるようにだなぁ」
「立花さん。あの職場、早く辞めた方がいいですよ。先月から中川がきな臭い動きしていますから」
「きな臭い動きって、どういうこと?」
「知らないんですか?あいつ、先々月くらいからパートのおばちゃん職員達に嘘の投資話を持ちかけては金を巻き上げているんですよ」
「それ、確かな情報なのか?」
「ええ。小杉さんも白川さんも三原さんもそれでトラブって辞めたんですよ。僕、あの3人から直々に相談されていましたから」
「つまり、そのうち、俺も標的にされる可能性があるってこと?」
「確実にそうなると思います。最後に短い間でしたが、お世話になりました」
電話はそこで終わった。




