282 クラミスの守神
精霊にとって、クラム郡という地名も、ワルトクラム島という名前も、後から人が勝手につけたものだ。
今は見る影もないが、このワルトクラム島は温暖湿澗で動植物の楽園ともいえる自然が豊富な場所だった。
それが、いつしか狂った精霊が現れ始め、徐々に寂しい場所となり、果ては生命の乏しい荒野となり果てた。
原因は明白だ。島に漂う瘴気……魔素とも呼ばれる、負の意志を宿した霊力が増えたから。
だが、その原因を探るのは困難を極めた。
なにせ、瘴気に触れた精霊は正気を失い、調べようとすればするほど犠牲が増える。そして……
いつしか精霊を食べる魔物の仕業だと噂されるようになった……
地面にペタリと座り込んで、キョトンとした表情でシアを見上げる男の子。
まさに純真無垢……だけど、違和感というか、こんな環境で生活してる子供には似つかわしくないように思う。
王侯貴族や深窓の令嬢でも、もう少し何か反応があるだろう。
……いやまあ、実際のところは知らないけど。
ともかく、シアが気付いた違和感や、白兎が抱く警戒心は本物だ。
頭の上の黒猫も臨戦態勢なだけに、目の前の子供が危険人物……かはともかく、見た目通りの相手じゃないってことだけは間違いない。
そうじゃなければ、この状況で怯えも戸惑いもせず……
「みんなどうしたの? 僕はウーミル。あの料亭の息子だよ?」
……なんて、台詞は出てこないはずだ。
まるで事前に用意していたかのような、白々しさを感じる。
「ちょっ、領主さん? ここで子供に詰め寄ったりしたらマズいんじゃね?」
「クロウは黙ってて」
シアの言葉に驚いたクロウが、戸惑いながら口を閉ざす。
まあ、多くの住民が見てるだけに、この状況がマズいってのは分かる。
クロウの言うことは尤もだけど、だからといって見過ごすわけにはいかない。
万が一、この子供……の姿をした何かが、人に危害を加えるような存在だとしたら──考えたくはないけど、帝国に与する敵だとしたら、一刻も早く対処しなければならない。
住民たちから感じた不気味さの理由が、洗脳のような能力によるものだとしたら、危険どころの話じゃない。
最悪の場合、俺たちに明日はない。
「料亭? ああ、あの女将さん……たしかポーリンって人の店だな。ウーミルは、そこの息子なのか?」
「そうだよ」
「だけどキミは、人じゃないよな?」
「えっ? ……なんでそう思ったの?」
「いや、なに、人にしてはその霊力は異常だからな。すぐに気付かなかったのは迂闊だったけど、その霊力で人……それも、ただの子供っていうのは無理があるよ」
「それはお互い様だと思うけど……」
「……? どういう意味だ?」
シアたちが警戒してるのを見て、霊力を見るモードに意識を切り替えてみたら、子供の身体が輝いていた。
それは人間や幽霊の範疇を遥かに超え、精霊に迫る強さだった。
とはいえ、邪な気配は感じないから魔物じゃなさそうだけど、だからといって精霊とは限らないし、たとえ精霊でも味方とは限らない。
何にせよ、精霊が逃げ出すような場所に残ってるわけだから、未知の何かって可能性が高い。たとえ友好的だったとしても、その真意が見えるまでは油断できない。
距離をとりつつも敵対する意思を見せないよう極力注意しながら、子供の姿をした何かの情報を得ようと会話を続ける。
……けど、ニコリと微笑んだ子供は、降参とばかりに両手を上げた。
「さすが勇者さまよね。だから私が出てきたんだけど……」
「頼むから、俺にも分かるように話してくれ」
小さな呟きは自問自答だったのか、こちらの問いには答えず、ゆっくりと子供が立ち上がる。
その所作から男の子っぽさが消え、顔つきもどことなく女の子のように見える。……それどころか、まるで人が変わったかのようにガラリと雰囲気が変わった。
姿は子供のままなのに、放つ気配が圧力となって圧し掛かってくる。
「なんだこりゃ! ヤベぇぞ!」
片膝をつき、這いつくばらないよう抵抗するクロウの姿が見える。
俺も圧力を感じてるが、多少身体が重く感じる程度で動けないほどではない。だけど、クロウに手を差し伸べる余裕はない。
相手が奇襲を仕掛けるなら今しかない。そう思い、周囲の気配を探ることに全神経を集中させる。
それを援護するように、無言のままシアが俺の前に立つ。
その胸に抱かれてたはずの白兎は、いつの間にか白兎獣人姿となって俺の隣──左側に立ち、黒猫は変わらず頭の上で……たぶん、いつでも行動できるよう警戒を強めているようだ。
緊迫した空気が漂う中……
「私はコルサナ。……クラミスの守神と呼ばれている水の精霊よ」
子供の姿をした何かは少女のような声と仕草で、少し恥ずかしそうにそう言った。




