279 五本の聖水
数多ある惑星の中でも生命が根付いた惑星は極わずかだが、そのひとつ、ナブネθやアプストルなどと呼ばれる星系の第五惑星シュオンに宿った生命は、絶滅の危機を迎えていた。
その管理を担う神々は由々しき事態と判断し対策を講じようとするが、そんな中、ある神の発言が波紋を広げた。
冥府の魔王などと呼ばれる闇の精霊王ハイネウスは、滅びも摂理──たとえ生命体が自滅の道を辿ろうとも、それもまた世界のあるべき姿だと主張した。
霊力を感情と結び付けて事象を起こす力。
祈祷や呪術など、知性を持った生命体が霊力を活用しようとすれば、負の感情と結びついた霊力──魔素が生ずるは必定。
本来ならば自浄作用──精霊による浄化が行われるが、その許容量を超えれば魔のモノが生まれる。
だが、愚かな生命体が滅びれば魔素の供給が途絶え、徐々に浄化され、魔素を絶たれた魔物も消え失せる。
我らの使命は別にある。放っておけば再び新たな生命が生まれるのだから、我らは関与すべきではない。そのような些事に拘泥する必要はない、と……
その意見にも一理あると多少なりとも賛意を示す神々もいたが、唯一、生命を司る精霊王、慈愛の賢者アレイタスだけは、その意見を真っ向から否定した。
生まれた命には意味がある。叡智を授け、教え導くことで、我らが使命に資するものとなる、と。
その意を受けた地神、豊穣の女神ユーカティアは、様々な方策を練った。そのうちのひとつが、エーデワルトという存在だった。
イヴの頭に浮かんだのは、魔人という存在だった。
人は保有霊力が少ないおかげで魔素の影響が少ない上に、複雑な思考によって自然と抵抗できているのだが……
抵抗できなくても体調を崩したり、心が荒んだりする程度だが、限界を超えると様々な症状が現れる。
多くは理性を失い、時には醜い姿となり、総じて死に至る。それも数瞬……長くても数日ほどで命が尽きる。
魔人とは魔素を操る人のことだが、それは即ち魔素の影響を受けてなお、それを克服して生き延び、魔素を操る能力を獲得した人……ということになる。
つまり、可能性こそあるものの脆弱な人の身では魔素に適応できず、現状では実例のない空想の産物として語られる存在でしかない。
それだけに、イヴにしても魔人の存在を信じているわけではない。
だが、異常ともいえる魔の氾濫は、魔人に準ずる何か……知性を持った魔物でもいなければ説明がつかないと考えている。
その存在が魔物を改変──進化させたのだとしたら、あの凶悪な性質なのもうなずける。
とはいえ、不確かな情報で混乱させても仕方がないからと口を噤み、誤魔化す様子をおくびにも出さず、メイプルに話しかける。
「何か呼び名がないと不便ですわね……。仮にスピルバロスとしましょう」
「スピルバロス……ですか?」
「ええ。そのスピルバロスですけれど、もしアニバゴラと同じ特性なのであれば、これが有効でしょう」
イヴが取り出したのは、美術品のような綺麗な結晶の小瓶だった。
それを受け取ったメイプルは、小首を傾げながらまじまじと見つめる。
「硝子の瓶でしょうか。どこかで見た気がしますけど……」
「ええ、大抵の宗教施設に置かれていますからね。硝子の容器に入っているのは、神々に祈りを捧げ、清らかなる水に聖なる属性を付与したもの……つまり、聖水ですわ」
そういえば……と、メイプルは王都の大聖堂や傍都の浄楽園で見たことを思い出した。
とはいえ、その時は、かなり丁重に扱われ厳重に管理されているのを感じ、余程重要なものなのだろうとしか思わなかったが。
たしかに聖水ならば魔物に効果がありそうだけど、なにせ入手が難しい……はずなのだが、それがなぜか手の中にある。
「魔物に飲ませればいいのでしょうか……」
「いえいえ、振り掛けるだけで十分ですわよ」
「どちらにしても、かなり近付かなければダメですね」
「そんなことはありませんわ。魔物との戦いに備えて用意されたものですから、聖句を唱えて投げつければ、容器が弾けるようになっておりますのよ」
まさかの戦闘用だった。
「アニバゴラに限らず大抵の魔物でしたら一本でも十分過ぎるぐらいなのですが、念のために五本、用意させていただきました。どうぞ、お役立てくださいな」
「そんなに? いいのですか?」
「これでもワタクシは光の大精霊ですのよ? 聖属性の付与ならお手の物ですわ。……ですけれど、小瓶はそうもいかなくて、これだけしか用意できませんでした。もし討伐が厳しいようでしたら、無理をせず生きて戻ることを優先してくださいね」
それならばと、現場へ赴く白兎獣人が聖水を受け取り、そのついでに疑問を投げかける。
「お気遣い痛み入るぴょん☆ ハルキにもそう伝えるぴょん☆ ……ですけれど、魔物に対してそれほど優位な力を持っておられるのでしたら、イヴ様が出向かれればすぐにでも解決するのでは?……ぴょん?」
「サ……ピョンコ、失礼ですよ」
慌ててメイプルが窘めるものの、イヴに気分を害した様子はない。だが、少し困ったように微笑んでいる。
「その疑問はもっともですわね。ですが……光の精霊は聖属性の行使に長けているとはいえ、あくまでもその性質は光。魔に対して高い耐性があるというわけではありませんわ。それに、万が一にでも大精霊たるワタクシが魔に呑まれでもすれば、世界に大いなる災いが起こりましょう」
「不躾な疑問にお答えいただき感謝するぴょん☆ つまりは、霊力の低い人間たちに頑張ってもらうしかない、ということですわね……ぴょん☆」
イヴの弟子として精霊術を学んでいるサクヤとしては、ついつい師匠と弟子の雰囲気に流されてしまい、今の立場──ハルキの召喚獣人である白兎獣人としての立場を忘れそうになる。
その様子を見てクスリと笑ったイヴは、ふわりと宙を舞って弟子に近付くと、その耳元で何かを囁いた。




