276 伝説の英雄
法術使いエーデワルト、水晶の騎士ボールド、大地の巫女アリサといえば、地獄門を築いて大侵攻を防ぎ、ゲヌマの魔物を数多く倒し、オースフィア大陸に平和をもたらした、誰もが知る救世の三英雄である。
救世の三英雄は千三百年ほど前の人物で、ボールドとアリサの足跡は途絶えたものの、エーデワルトはキュリスベル王国を建国して初代女王となり、齢百を超えて大往生したと伝えられている。
そのエーデワルトが二十歳前後の若々しい姿で優雅に寛いでいた。
しかも、彼女に付き従う勇ましい体躯と粗雑な物言いの青年執事は、水晶の騎士ボールドだ。
そんな伝説級の英雄たちに見つめられながら、ルキリアと呼ばれた老婆は本来の姿──手のひらサイズの光の精霊に戻り、光の翼を高速で振動させながら音もなく宙を舞って、上機嫌な様子でテーブルの上に降り立った。
エーデワルトは光精霊に友人だと認められているが……
精霊にとって友人という言葉は特別な意味を持つ。
魂の共鳴とでもいおうか──悠久の時を生きる精霊が儚い生物を気にかけ、その生涯に寄り添うと決めた……つまり、溺愛するほどのお気に入りってことになる。
とはいえ、エーデワルトは受肉した精霊であり、定命の生物ではない。
エーデワルトは実体化した精霊ではなく、受肉した精霊である。
つまり、精霊が霊力で肉体を模倣したわけではなく、精霊ながら人として生まれ落ちた存在だ。
故に、肉体が大きく損傷し、精霊由来の膨大な霊力でも修復できない状態となった時には、死を迎える。
いや、肉体を失って精霊に戻るというのが正しいだろうか。
ただ、受肉は実体化と違って子孫を残すことができる。
その血は、術士の素質という形で受け継がれる。つまり、術士の素質がある者は、全てエーデワルトの子孫ってことになる。
それはさておき、エーデワルトが魔に対抗するため受肉した精霊だからこそ、純粋な好意だけでなく、精霊を代表して光精霊が手を貸している……という側面がある。
今回は特に厄介な頼みごとをしたこともあって、光精霊を労うため、主である貴婦人の命を受けた執事がテーブルを整えていく。
ペタリと座り込んだ光精霊の前に黒糖の焼き菓子などが次々と並べられていくのだが、その途中、菓子を宙に浮かせて引き寄せた精霊は、待ちきれないとばかりに大口を開けてハグハグとかぶりついた。
行儀が悪いにも程があるが、そのことに言及せず鋭い視線を向けた執事は、代わりに咎める口調で問いかけた。
「ご機嫌なのは結構だが、彼の者は無事なのか?」
「もっちろん♪ 魔力酔いが治まって、揺れる船の中で元気に踊ってるよ♪」
それはさすがに言い過ぎだろうと懐疑的な視線を向ける執事だったが、光精霊は意に介さず貴婦人に向かって楽しそうに報告を続ける。
「グレイシアちゃんとチルちゃんも、ちゃんとお薬を飲んでくれたから、これで大丈夫……なのよね?」
「ええ。霊力の高い者ほど魔素に中てられますからね。これで島での活動が楽になるはずですわ。……でも、あなたはダメですわよ」
「わ、わかってるわよ。あんなおっかないとこ、お願いされても行かないって」
「それが賢明ですわ」
よほど恐ろしいのだろう。光精霊が蒼い顔で身体を震わせている。
それを見て思わず慈しみの表情を浮かべてしまった執事だったが、すぐに表情を引き締め、ぶっきらぼうな態度で霊力を含んだ果実水を差し出した。
「無鉄砲な其方が尻込みとは、らしくないな」
泡玉のように硝子杯から一握りの果実水を浮かせて引き寄せ、自前のストローを突き刺して飲もうとしていた光精霊の、その手が止まった。
……いや、細かく震えている。
「う……うっさいわね。アレのヤバさはアンタも知ってるでしょ? アレは、そう……私たちにとって、最悪の……」
何を思い出したのか……
震える小さな身体を、自分の両腕で強く抱きしめる。
……と同時に、制御を失った水球が落下を始めるが、テーブルクロスに触れる寸前、ピタリと制止する。
エーデワルトが、指先から放った霊力で水球を掬い上げたのだ。
難易度の高い繊細な霊力操作を事も無げにやってのけたエーデワルトだが、その意識は遠く離れた人物に向けられていた。
「あの子たちには申しわけないことですが、私たちでは対処が難しい以上、無理を承知で頑張ってもらうしかありませんわ」
「そうだけど! そうなんだけど……」
「以前にも説明した通り、ここのところ魔の蠢動が目立っておりますが、無秩序なようでどこか統制がとれているように思われます。魔の傀儡となり果てた帝国や皇国が乱を起こすのも、何か意図があるのでしょう」
コクリとうなずく光精霊。
「また、あの魔人が悪いことを考えてるって話よね?」
「まだ確証はありませんが、その全てが魔人ニグルムの企みだとすれば、その狙いは……」
「地獄門!」
「……ですので、警戒を強めるようアリッサにお願いをしたわけですけど、今のところ目立った動きはないようですわね」
アリッサとは、救世の三英雄のひとり、大地の巫女アリサのことである。
「何にせよ、事が起こる前に、少しでも魔の戦力を削ぐ必要があります」
人ならざる救世の三英雄は、歴史の表舞台から退場した後も魔を打ち滅ぼすべく、人知れず活動を続けている。
魔を祓うは太陽の大神ラーテルの意志であり、それは即ち、世界に残された最後の希望──オースフィア大陸を護ることであり、魔に抗う者たちを育むことである。
そしてそれは、豊穣の女神ユーカティアの意志でもある。
「年明けに帝国が動くのは間違いありません。国家存亡をかけた戦いとなれば、これまで温存していた魔物も投入されるでしょう。その時、あの魔物が放たれれば非常に厄介なことになります。そうならないよう、あの子に……」
「で、でも、あの子、アレに勝てるの? それに、もし魔人が関わってるなら、何を仕掛けてくるか分かんないし、すっごく心配だわ」
「私も同じ気持ちですが、そこはあの子に頑張ってもらうしかありませんわね。その代わり、この討伐を見事に果たしたその時は……」
無言で示すエーデワルトの宣言に、執事と光精霊は決意を込めて小さくうなずいた。




