273 荒波の洗礼
あんまり意識したことはないけど、俺は乗り物に強い方だと勝手に思ってた。
というのも、馬車で気分が悪くなったことはないし、渡し船も平気だったからだ。
なのに……
「ハル兄、大丈夫?」
「だい……じょうぶじゃ、なぅぷっ………けど……しんぱい、ない……」
護衛として同行するシアが、心配そうに俺を見つめている。
いつもなら余計な心配をかけないよう笑顔を返すとこだけど、そんな余裕はない。
メイプルからは、リラックスして揺れに身を任せればいいって言われたけど、自分でも身体が強張ってるのが分かる。どれだけ脱力しようとしても無理だ。無意識のうちに力んでしまう。
他にも、遠くの景色を見ればいいとか、歩き回ればいいとか、多くの打開案をもらったけど、どれも効果は薄かった。
だから今は大人しく横になってるけど、苦しみが和らぐ気配はない。
船旅がこんなに過酷だとは思わなかった。この揺れは厄介すぎる。
「マスター、これで額を冷やすぴょん☆ 失礼するぴょん☆」
白兎獣人姿のサクヤは、横向きに寝転がる俺に近付くと、冷水で湿らせたタオルをこめかみ付近に乗せてくれた。
この激しい揺れの中にあって、小さな二人はよろめきすらしない。まるで靴の裏が床板にくっついてるかのようだ。
足幅を広くし、膝を軽く曲げて重心を落とすのがコツだと言われても、限度というものがある。その程度で、この揺れを克服できるとは思えない。
実のところ、効果的な対策はいくつかある。
……あるんだけど、どれも最後の手段ってことにさせてもらった。
なんせ、サクヤに浮かせてもらったり、シアに抱えてもらうって方法は、他人に見つかった時、どう説明していいのか分からない。
甘美な誘惑だったけど、船酔いでダウンするより惨めなことになりそうなので、なけなしの兄の威厳をかき集めて断った。
他にも、いっそシアに気絶させてもらえたら楽になれると思ったけど、俺に危害を加えるような命令を下すのは気が引けるし、強要されるシアが可哀想だ。
頼めば躊躇いなく、サクッと気絶させてもらえそうな気もするけど……
「ふぅ……、こんな場所に居たのね。ようやく見つけたわ……って、ハルキは何をしているのかしら? ……まさか、揺れで酔ったとか言わないわよね?」
まさかも何も、船酔いで無様を晒してるだけだけど……
実は姿を隠して俺を監視してたんじゃないかってタイミングで現れた風精霊は、白兎獣人から説明を受けて大笑いした後、ミレンスの情報を伝えてくれた。
シェラの友人だという薬師は、俺が領主町を発った翌々日に到着した。
その薬師の見立てでは、流行り病の心配はないらしい。
とはいえ体調を崩してるのは確かなので、マリーたちには活力の薬が処方された。
隔離生活で暇と元気を持て余してた彼女たちだ。解き放たれるやいなや部屋を飛び出し、俺の代わりに領主城内を視察……って名目で、探検を楽しんでるそうだ。
「……でもね、まだ症状は治まってないのよね。だから薬師には、原因を突き止めるため、領主城に滞在してもらってるわ」
「そっか……なんにせよ、みんなが元気そう…で、よかったよ」
「元気も元気。マスターなんて、ハルキを追いかけるって騒いで大変だったのよ? だから、代わりに私が様子を見にきたのだけど……まさかアンタが、こんな面白いことになっていただなんて思わなかったわ」
「メイリアたちには……ないしょ、だからな……」
「呆れたわね。アンタにそんなことを言う資格なんてないわよ。覗きのこと、もう忘れたのかしら?」
茶目っ気を交えて冗談っぽく言ってるけど、半ば本気に見える。
まあ、それも仕方ない。相手のプライベートを覗こうとしたくせに、自分の醜態は黙ってて欲しいとか、厚かましいにも程がある……と自分でも思う。
未遂なんだから許して欲しいけど、たぶん言っても無駄だろう。
ともあれ、メイプルの報告と大差なかったとはいえ、マリーたちの詳しい様子が知れたのはよかった。
おかげで、かなり気が紛れた……ような気がする。
そこへ、一人の男──王宮から派遣されてきた術士、クロウが見舞いに現れた。
「よっ、大丈夫か? ……って聞くまでもないわな。あれ? 虫が入ってるぞ」
「……? えっ? もしかして、虫って私のことかしら?」
「おっ!? おいっ! この虫、しゃべるのか?」
冗談にしてはタチが悪いし、真に迫ってるけど、悪いが訂正してやる元気はない。
この後に訪れるであろう惨劇を憂うだけで、残りの体力が尽きそうだ。
「なに、この人間、失礼にも程があるわね。この愛らしい姿、どう見ても精霊でしょ? 虫と間違えるだなんて、これまで一体どんな教育を受けてきたのかしら? これはキツイお仕置きが必要ね」
「へっ? ……精霊?」
視線で問いかけられた俺は、無言でコクリとうなずいた。
その間にも、風精霊の殺気が膨れ上がっていく。
「ま、待て、待ってくれ! 精霊が実在するって知らなかったんだ。悪気は無かった。許してくれ……いや、許してください!」
俺の視界からクロウが消えたのは、床に平伏したからだろう。
「それは命乞いのつもりかしら? 悪ふざけが過ぎたわね、人間。最大級の侮辱を受けたのだから、アンタのことは絶対に許さない。その罪、命で贖いなさい!」
俺に配慮してくれたのか、怒気を発し続ける風精霊は、騒ぎ立てることなく静かに宣言して、クロウを宙吊り窒息の刑に処した。
それを、白兎獣人が慌てて止める。
「フィーリア、殺してはダメぴょん☆ 彼には重要な役割があるぴょん☆」
「……しょうがないわね。大自然の怒り、少しは思い知ったかしら?」
言葉を吐き捨てた風精霊が、腕組みしてフンと鼻を鳴らした直後……
宙に浮いてもがき苦しむクロウの身体が、糸の切れた操り人形のように落下を始め、視界から消えた。




