262 全てはお兄さまのために 前編
「オース教の大司教ともあろう者が、雁首揃えてうなだれておるとは、何とも滑稽なものだな」
「ギーヴス枢機卿、そう責めてやるな。ただでさえキュリスベルは厄介な地。そうそう上手く事は運ばぬよ」
ギムナ皇国の中枢を担うメルデオルト宮殿で、上等な法衣のまま額を絨毯に擦り付ける三人の大司教たち。
その姿を、明らかに格上と分かる十二名の枢機卿が椅子に座り、尊大な態度で見下ろしていた。
枢機卿は十六名と定められており、欠員が出れば大司教の中から選ばれる事になっている。だが、そのうち四つが長らく空席になったままだ。
その候補にもなっていない大司教たちだとはいえ、その熾烈な椅子取りゲームから、さらに遠ざかったのは間違いない。
枢機卿たちからも離れ、さらに一段上に昇った最奥には、冠を頭を乗せて錫杖を握り、ひと言も発することなく厳めしくも冷淡な表情をした男が、這いつくばる三人を害虫でも見るかのような視線で貫いている。
この男こそが、ギムナ皇国の頂点にしてこのオースフィア大陸に覇を唱えるオース教の教皇ドルイゼンである。
教皇は絶対。それ故に一挙手一投足が注目され、態度や言葉ひとつで方針が決まる。だからこそ、沈黙を貫いている。
簡単に状況を説明すると……
キュリスベル王国で問題が発生し、その担当である大司教たちが呼び出され、教皇の御前で枢機卿たちに吊るし上げられていた。
その問題とは……
キュリスベル王国の王都キュリスで誘拐事件が発生し、それにオース教が関与していることが露見してしまった。
さらに、奴隷制度が禁止されているキュリスベル王国で、オース教が奴隷売買に関わっていたことが明るみに出たことで、信徒の往来に制限が加えられた。
このままでは、ギムナ皇国にも疑惑の目が向きかねない……いや、すでに疑惑の目が向けられているであろう由々しき事態だ。
「先人たちが長年に亘って途方もない財を投じ、その厄介な地にてようやく築き上げた組織を、この者たちは軽々に損ない、危険に晒したのだぞ!」
「……とはいえ、被害はキュリスの一部のみ。まだ組織は生きておる。いくらでも再生は可能だろう」
そう思っているからこそ悠長に構え、このような儀式を行っているのだが……
オース教の信徒は、国境を越えて巡礼することが許されている。
つまり、信徒の姿をした密偵が、大陸全土で自由に活動しているのだが……
誘拐事件に端を発した騒動でオース教の関与が疑われ、キュリスベル王国では解決するまで信徒の往来……特に越境が固く禁じられた。
国境線が厳重に封鎖され、キュリスベル内部の組織と連絡を取るには、帝国の連絡網を利用するしかなくなった。
ギムナ皇国の外交部を通じて……という手段もあるが、不用意に接触を図れば一連の犯罪行為に皇国が加担していたと認めることになりかねない。
頼みの連絡網だが……
皇国は帝国が行っているキュリスベル王国の攻略に協力しており、オース教は帝国の連絡網構築に全面協力している。
……のだが、まさかキュリスベル王国内の連絡網が敵の手に落ちているとは思っていなかった。
なので、キュリスベル王国内にあるオース教の施設が次々と検められ、関連のある犯罪組織や帝国の間者たちが根こそぎ拘束されていっていることに、皇国も帝国も全く気付いていなかった。
ギムナ皇国の支配者たちは、非常時の対策も万全だからと完全に油断していた。
現地の司教や司祭たちには、もし犯罪組織への関与が疑われる者が出たら、無関係を装って見捨てるようにと言い含めてある。
証拠隠滅の方法など対処法も周知徹底してあるので、そうそう大きな被害になることはないと信じ切っていた。
それだけに、場合によってはいくつかの施設や人員を切ることになるだろうけど、すぐに代替のモノを用意すればいいだけだと、軽く考えていた。
そんな認識しかない枢機卿たちが、現実を知らないまま理想に沿って方針を示しているのだから、実際に指揮を執る大司教たちの苦労は絶えない。
もちろん、作戦を立案・遂行して成功を収めれば、その功績は全て担当教区を束ねる大司教のものとなるが、その分、責任も重い。
枢機卿たちにとっては、大司教へのこの仕打ちも、教導の一環だと考えている。
哀れな大司教たちがこの試練を乗り越え、全てを糧にしてより一層オース教のため、ギムナ皇国のため、身命を捧げて励むことを願っている。
手法は昔から変わらない。
恐怖に怯える大司教たちを徹底的に責め立て、育ち始めた自尊心を粉微塵に砕き、神の慈悲と特別な聖水によって我欲のない敬虔な信徒へと育て上げる。
これも神が与えし試練、愛の鞭だと念じながら……
告解を終えた大司教たちは、神の意に背くわけにはいかぬと全力を尽くした。
その成果が現れたのか、徐々に良い報告が届き始めた。
……もちろんそれは、キュリスベル王国側が流した偽の報告なのだが、大司教たちは全く気付いておらず、疑うことすらしなかった。
結果、彼らは誤った情報をもとに作戦を練り上げ、決して実行されることのない指示の手紙を送り続けることになった。
それは、サンクジェヌス帝国も同じで……
残念ながら国王は健在なれど、宿敵だった式神使いだけでなく、魔獣使いや聖騎士など、名だたる者たちの排除に成功。王都キュリスは大混乱に陥り、盛夏の祭典も失敗に終わった……と伝えられていた。
さらには、キュリスベル王国における南部の要衝、商都メルシアでの工作も成功し、住民や革命軍もろとも灰燼に帰した……とも。
王国兵が国境を固めているのは、帝国の侵攻を恐れているからであり、裏を返せば王国が弱気になっている証拠だ……ということになっている。
偽情報を流した王国側としては、バレることが前提の作戦であり、連絡網が当てにならないと敵に思わせることで牽制になればと考えていた。
なのに帝国は、今こそ王国を倒すべしと気炎を吐いているという。
これには王国のほうが「さすがにあり得ない。こちらを欺くための作戦だろう……」と疑ったが、財政難に陥っている帝国が軍備増強に乗り出し、積極的に戦闘訓練を行っているとなれば無視できない。
帝国の動きを訝しみつつも、王国としては攻めて来ることを前提に守りを固めざるを得なくなった。
帝国が出兵を決断したのには理由がある。
もちろん、情報が偽物だと見抜けなかったからだが、側近たちは、さらにそれを自分たちに都合の良い物語へと改変して、皇帝に奏上していた。
その根底には、ゲヌマの魔物を飼い慣らしていたことが発覚し、帝国が世界の敵になってしまったという失態がある。
今や帝国の威信は、水底に沈殿する汚泥の如く失墜した。それを再び天高く掲げると共に、自分たちの名誉も回復させたいというのが、側近たちの願い……いや、保身のための欲だった。
その結果、偽の情報は荒唐無稽な夢物語となって、若き新皇帝の耳に届けられた。
そして冬が明け、ようやく全ての準備が整った。
「我らの手によって、キュリスの悪魔どもは地獄に堕ちた。そう、我らは悪魔に勝利したのだ。頼みの悪魔を失った愚かな蛮族どもは、帝国の威信に畏れをなして引きこもっておるという。国境に兵を集めておるのがその証拠である。
我、サンクジェヌス帝国皇帝マリオンが命ず! 悪魔と通じて我らを貶めたキュリスの蛮族どもに正義の鉄槌を下せ! 今こそ我らが、大陸に覇を唱える刻ぞ!」
敵の内部が混乱している今、国境の兵を打ち破れば、奪われたオーミリカの奪還はもちろん、長年離反工作を続けていたセラフットを手中に納めることも可能だ。
それどころか王都キュリスを制圧し、オースフィア大陸の西部を丸ごと支配下に収めることだって不可能ではない。
大陸の半分を手に入れることができれば、キュリスベル王国に同調していた国々も考えを改め、我が帝国に降るだろう。
まさに起死回生の一撃。それを成功させるには、今しかない。
そんな夢物語を本当に信じたのかは不明だが、皇帝マリオンはキュリスベル王国への出兵を宣言した。




