263 全てはお兄さまのために 中編
ここで話は冬の前……ハルキたちを商都メルシアに残し、先にリーフォニア領へと戻ったディアーナたちが、広がった領地の管理や溜まった仕事に奔走していた頃まで遡る。
リーフォニア領ディッケスにある小さな町ミレンスは、今やリーフォニア領を統治する領主町だが、古来よりディッケスの領主が代々住まう土地でもあった。
隣接する丘の上には無駄に立派な古の戦城があるが、これは中央から送り込まれた守護役が辺境の地に睨みを利かせていた時代の名残であり、道が整備されてからは無用の長物と化している。
守護役が廃止された後は領主の居城として使われることがあったものの、不便という理由で麓の町に居を移して放置され、廃城同然となることが多かった。
城の正門は町から離れた場所にあり、そこへ続く道は崖に沿って蛇行していて、守りに有利な地形となっている。
それだけに、登城するだけでも時間がかかるので、平和な時代にはそぐわない。
とはいえ、これほど立派な建物を放置しておくのも勿体ない。だから有効活用しようと考えた。
最初は研究拠点にする予定だったが、商都の領主城に倣って、備蓄倉庫や緊急時の避難場所にも利用することにした。
さらに、半ば強制的にメイプルが、リーフォニア家の居城として利用すると決めた。というのも、兄妹だけでは広く感じた領主の館も、さすがに五人の嫁と一緒では少々手狭で寛げない。
……というのは建前で、一番の理由は安全な目印の場所を確保するためだった。
跳躍(召喚跳躍)する姿を見られたところで全力で誤魔化せばいいのだが、妹たちが人間として過ごすためには、余計な危険は避けたほうがいい。
領主の館は無駄のない造りで潜める場所が少なかったが、領主城なら無駄な空間だらけで目印する場所に事欠かない。
もし領主城に目印があれば、いざという時、わざわざウラウ村から走らなくてもよくなる。
そこで問題となるのは、この城の利便性だ。
守りに徹した構造は、登城するだけでも大変だ。
やはり昔の領主も不便に思っていたのだろう、城と町とを結ぶ近道が残されていた。明らかに後付けだと分かる不自然な形で。
道というかほぼ階段なのだが、これをありがたく使わせてもらうことにする。
通学や登城に使えるよう手すりや転落防止柵を設置して、子供でも安心して通れるよう整備した。
この近道が荷物の搬送にも使えればよかったのだが、たとえ坂に改造したところで狭くて急勾配では馬車や荷車は通れない。
なので城へ荷物を運び込むには、遠回りになる正門へと向かうか、新たに設置した昇降機を利用することになる。
残念ながらリーフォニア領には、優秀な職人は少ない。なので、王都に住む雷聖フィリー(ニーバス伯爵夫人)に口添え頂き、北に隣接する西海地方のニーバス伯爵領から派遣してもらっている。
その上で、近くて便利な輸送路が造れないかと商業組合に相談しているが、残念ながら望むような道の造成は難しく……
近道の混雑を避けるため、普段の執務は引き続き領主の館で行うことになった。
領主城内、主塔に隣接する『城主棟』と名付けられた建物の書斎で、ひとり書き物をしていたメイプルは、ペンを置いて小さく息を吐いた。
インクが乾くのを待ち、書き終えたばかりの挨拶文を二十枚ほどの紙束と一緒にまとめて、精神収納に放り込む。
これで翌日中には、ミア経由で王様の下へと届けられる。
しばらく考え込んだメイプルは、今度はフゥ~っと大きく息を吐き出して肩の力を抜くと、両腕を上げ、天井を見上げて大きく伸びをする。
「ん、ん~っ……。これも、お兄さまのため……」
さっきの書類には、サンクジェヌス帝国を攻略するための素案が記されていた。
マリーから念話で相談されるのはいつものことだが、今回は内容が内容なだけに、急いで王様へと届ける必要があった。
簡潔にまとめたつもりだが、ギムナ皇国の動きなど予測が難しい部分も多く、懸念点とその対策、最悪の事態とその回避策などを盛り込んだせいで、枚数が多くなってしまった。
それは仕方のないことだが……
その案にはハルキの意に沿わぬ部分が多々あり、そのことがメイプルを憂鬱にさせていた。
「これを知れば、お兄さまは悲しまれるでしょうね……」
資料を片付けて立ち上ったメイプルは、ふらつきながらソファーに向かうと、倒れるようにポフッと座った。
書斎のソファーはハルキのために用意したもので、寛ぐためのものだけにすごく座り心地が良く、寝心地も良い。
行儀が悪いし、とても他人に見せられた姿ではないが、それでも心身を休めたいという欲求には逆らえなかった。
ソファーに座ったメイプルは、靴を履いたまま肘掛け部分にふくらはぎを乗せて足を投げ出すと、クッションを枕にして仰向けに寝そべり、天井を見つめながらハルキのことを思い浮かべた。
メイプルがハルキに召喚されたのは去年の春過ぎなので、もうすぐ一年と半分ほどになる。
与えられた役割は、日々の生活に苦しむハルキを救うこと。
その為に授けられた召喚付与能力は『知識の泉』というもので、その扱いは困難を極めた。
メイプル自身、知識の泉のことを正確には理解していないが、どこか別の国、別の時代、もしくは別の世界の知識なのではないかと考えている。
お呪いに近いものや、法術のようなものが高度に発展した文明、物質の融合を前提とした技術や、目的に合わせた生物を生み出す……なんてものなど実に様々で、いくつもの世界の知識が混ざり合っているようだった。
使い方は簡単そのもの。意識を傾けるだけで関連する知識が次から次へと浮かび上がってくる。
突飛な発想が混ざっていたり、どう考えても実現不可能なものも多いが、こちらの言語で伝わってくるのでとても助かっている。
とはいえ、知らない単語が多すぎるので、それらを理解するところから始めなければならないのが最大の難点だった。
たとえば、最初に畑のことでハルキから相談を受けた時には……
農作物の生育が悪い時は土壌改良や肥料を工夫するなどの対策が有効……といった知識はすぐに理解できたものの、カリウム不足と言われても、カリウムというものが何なのか分からない。
肥料についても、草木を燃やした草木灰、白い石を砕いた石灰、動物の糞尿から作る堆肥、積もった落葉が分解された腐葉土などが有効という知識は湧き上がってくるものの、実際に活用しようと思えばさらに詳しく理解する必要があった。
これはまだ簡単なほうで、たとえば……
ケピラの球根を焙煎し、揮発したメペルルをグニオールのレベルプレアでプロメテール水にする。プロメテール水をカペラの盃で精製しプロメテルエード化合液にする。レトに数滴混ぜてカムネ菜に与えれば、よく茂り上質に育つ。……というものがあった。
肥料から派生して出てきた知識だったので、何か有用な情報が隠されているかもと頑張って解析したのだが、複雑な機械が必要な上に、同等の成分を含む植物が実在しているのかも分からないという、報われない結果に終わった。
そんなことは珍しくないが、ともかく調査や実験を繰り返し、なんとか玉黍の栽培に成功した。だが、実際に収穫を終えるまで不安が消えることはなかった。
メイプルにとって知識の泉は危険物と同じで、助けになることもあるが、扱いを誤れば酷い結果を招くものでもある。
全てを理解してしまえば、そんな不安は消えるのだろうけど……
今はまだ膨大な知識に溺れ、全容の欠片も把握できてない状態だけに、たとえ千年かけたとしても全てを理解するのは不可能に思える。
なので、知識の泉の使い方を工夫し、要点を絞って調べるコツを身に付けた。
それを限られた時間の中で最適な答えを導き出す技術として磨き、いくつもの危機を乗り越えてきた。
とはいえ、何か大事なことを見落としているのではないかという不安が、常に付きまとう。そのせいで、別の危険を招いているのではないか……と。
だから、今回のこと──帝国が王国に攻め込もうとしているのも、自分が対処を間違ったからではないか……可能性に気付けなかった自分の落ち度ではないかと不安になっていた。
その贖罪の気持ちが、王様に送った紙束の厚さに表れたのかもしれない。




